第65話『誰が為の戦か⑩』

 なんだこいつ。

 王族の血筋だか何だか知らないが、この私を顎で使うつもりか?

 思いあがるなよ小娘。こんな滅亡寸前の田舎国の王族よりも、私の方が絶対に偉いに決まっている。


 内心ではそう思ったが、なんせ相手は蛮族である。

 対応を誤ればここで代表団が一斉に襲い掛かってくるかもしれない。

 そのため不本意ながら私は穏便に、用意しておいた時間稼ぎの言い訳を並べる。


「えー……もちろんそのつもりではあるのですが、今すぐというのは難しいです。聞けば【戦神】は私の力をもってしても、一撃で消し飛ばすのは容易でないようです。しばらく休んで調子を万全にしてからでないと、仕損じてしまう恐れがあります」


 私がそう言うと、トゥルメナは僅かに唇を噛んだ。

 それから膝を折って、表情を隠すように頭を下げる。


「……申し訳ありません。気が逸っておりました」


 そこで、後ろに控えていたおじさんが彼女の前に割り込んできた。

 かなり大柄で、いかにも兵士然としている。トゥルメナは王族の血縁ということで急遽担がれた人物だそうだから、おそらくはこっちが代表団の実質的なリーダー格なのだろう。


 彼は私に向かって深々とお辞儀する。


「どうかお許しください。姫はまだこうした場に不慣れでして」

「え、ええ? まあ、事情はだいたい聞いてますので」


 しどろもどろになって視線をあちこちに泳がせていると、ふと気づいた。

 目の前のおじさんには、左足がなかった。

 腰に巻いた布で目立たなかったが、爪先を見れば一目瞭然だった。裾から左足の代わりに覗いているのは、義足というのも憚られる粗末な木の杖だ。


 私の視線に気づいたか、おじさんは気まずそうに苦笑した。


「驚かせてしまいましたか」

「あ、いえ。こちらこそじろじろと見てしまって――」


 そこで私は嫌な予感がして、はっと背後を振り向いた。

 案の定、ウキウキ顔でヴィーラがこちらに歩み寄ってきていた。


「ねえおじさん! その足治せるよ! っていうか生やせるよ! 新しい足、一本どうかな!?」


 胡散臭い露天商の売り込み文句みたいだった。

 この台詞をキラキラと輝く純粋な瞳で言うのである。どこからどう見ても立派な狂人だった。


「……いえ、傷は戦士の勲章ですので。そのままにしておきたく思います」


 そして目の前のおじさんは、明らかに引いた。

 そりゃあそうである。足というのはこんなノリで生やしていいものではない。生やすとしても、もっと厳粛に神の奇蹟的なムードで生やさないとダメだと思う。


「えー! なんで!? 絶対あった方がいいよ大丈夫痛くないから!」

「ヴィーラさん。ストップ。いったん抑えてください」


 そこで私はヴィーラの腕を引っ張っておじさんから遠ざけた。

 ヴィーラは申し出を断られたことがよっぽど意外だったようで、ずいぶんショックを受けていた。今まで見たことがないほどに悲しそうな表情になって、


「ねえメリル様……。もしかしてこれが、ユノ君の言ってた『教会への偏見』っていうやつかな……?」

「いいえ。これについては偏見とかじゃなく、ごく常識的な判断だと思います」


 規格外な母を見慣れているから、腕とか脚を生やすことに私はさほど抵抗がない。

 そんな私でもさっきの感じで迫られたら普通に怖い。悪魔祓いの力と無縁に生きてきた彼らがドン引きするのも当然といえよう。


「えーっと、驚かせてしまってすいません。この人は治療専門の悪魔祓いなんですが、ちょっと仕事熱心すぎてテンションがおかしくなることがありまして」


 これで「悪魔祓いはやっぱり悪魔みたいな連中じゃないか」などと思われたら困る。


「でも、腕は確かですから! もし怪我人や病人がいたらぜひ彼女にお任せを!」

「ありがとうございます。必要となれば、その際はご厚意に甘えさせていただきます」


 おじさんが感謝の言葉を述べるが、やはりどこかよそよそしい。

 背後に並ぶ代表団の中には、他にも重い傷を抱えた者が散見されたが、誰も治療を希望してこない。こちらの視線に若干目を逸らす者すらいる。


 どことなく気まずい雰囲気になってきたとき、ふとトゥルメナがその場にしゃがんだ。

 ごく自然な動きで。一言も発することなく。


 そして彼女は、近くに転がっていた拳大の石ころを拾い上げ――自らの手の甲に思いきり叩きつけた。


「ひっ!」


 突拍子のない行動に私は驚愕する。

 トゥルメナは苦痛に表情を歪めたが、それでも声一つ上げなかった。


「悪魔祓い様。どうかその奇蹟の御力に触れさせていただければと思います」


 そうして彼女は、血まみれになった手の甲をヴィーラに差し出してきた。

 ヴィーラはというと、その異常な行動を目の前にしておきながら、ぱぁっと嬉しそうな顔をしていた。


「うん! 全力で治すね!」


 ヴィーラがトゥルメナの怪我に手をかざすと、淡い光とともに傷口が塞がっていく。たった数秒でトゥルメナの手は、まったくの無傷に戻っていた。


「……ありがとうございます。素晴らしい御力です」


 賞賛の言葉とは裏腹に、トゥルメナの顔は青ざめていた。

 私と握手したときよりも遥かに酷い鳥肌も立っている。


「ザーク。あなたも治してもらいなさい」


 振り返ったトゥルメナは、さきほどのおじさんに命じた。


「は。ですが……」

「戦士の勲章? 同胞と殺し合って得た傷が、そこまで誇らしいですか?」


 おじさんの横を素通りし、トゥルメナは他の代表団の面々に呼びかける。


「我らは教会の旗下に入るのです。それだけは覚えておくように」


 代表団の面々が沈黙する。

 意を決したように数人が身じろぎした、そのとき。


「ね、ね。姫様」


 トゥルメナに駆け寄ったヴィーラが、その肩をつんつんと指でついた。


「……いかがなさいましたか?」

「せっかくだし姫様も新しく腕生やさない?」

「……はい?」

「さっきね、手を治したときに袖口から見えたんだ。腕にたくさん傷とか火傷の痕があるよね? 今の腕をいったん肩から落として新しく生やせば、そういう古傷も綺麗に」


 私はヴィーラの背に飛びついて、両手でその口を塞いだ。


「あははは!! すいませんジョークですジョーク! 忘れてください本当すいませんこの人ちょっと悪質な冗談の癖があって!」

「むー」

「みなさんも治療はいつでも大丈夫ですので、全然焦らないでくださいね! 気が向いてからでいいので! はい、そういうわけで宿に案内してもらえますか!」


 これ以上この空気は御免だったので、強制的に話題を打ち切る。


 移動続きでこちらも疲れている。

 腰を落ち着けてこの窮地を凌ぐアイデアを熟考しよう。今回の悪魔の無罪証明は難しそうなので、できるだけ私の株を落とさず撤退する口実を探す方針で。


「……かしこまりました。では、城にご案内いたします」


 恭しく答えるトゥルメナ。

 ほほう、お城に泊まるのか。それはまた面白い体験だ。


「ん?」


 ちょっと待て。

 資料にあったぞ。エルバの王城といえば、十年前――


 クーデターで王家の者たちが皆殺しにされた、いわくつきの場所である。

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