第64話『誰が為の戦か⑨』

 峡谷を抜けると、エルバの王都はすぐそこである。

 王都はもともと峡谷を死守するために拓かれた街だそうだから、近いのはまあ当然ではある。


 しかし、道中のどこを見渡しても妙に物々しい雰囲気が漂っている。

 峡谷の出口には要塞のように巨大な門があった。今もそこかしこに崩れた防壁やら、見張り塔の残骸らしき瓦礫があったりする。

 たぶん、ここ十年の内戦の間で大半が破壊されてしまったのだろう。


「うっ」


 そこで私は慌てて窓から目を逸らした。

 転がっている瓦礫の中に、人骨らしいものが見えたからである。しかも、遠目からでも分かるくらい大量に。


「あー。焼き場だ。この近くで出た死人をまとめてあそこで焼いてるのかな」

「ヴィーラさん。拾って持ち帰ったりしないでくださいね絶対」

「骨だけになったのはそこまで好きじゃないから大丈夫」


 ヴィーラは尖った八重歯を見せて笑う。

 あまり安心できない。もし肉が残ってる遺体があったらどうするつもりだ。

 実際ヴィーラはじろじろと興味深げに窓の外を眺めている。ついさっきまで聖騎士たちの治療をしていた聖人ぶりはどこへやら。


 ユノは私たちが何の話をしているか分からないようで、怪訝そうに首を傾げている。ヴィーラの趣味を説明するのも面倒臭いので、ここは放っておくことに――


「あ、【戦神】だ」


 いきなりヴィーラがそう呟いたので、私はぴきりと凍り付いた。

 は? なんだあの悪魔。おとなしく待っていると言ったじゃないか。また性懲りもなく襲撃してきたのか。ちくしょうなんて卑劣な。


「見てみてメリル様。資料にあったのと同じ像だよ」

「……像?」


 そこで私は、おっかなびっくり窓の外を見た。

 そこには石像があった。『鞘に納まった剣を頭上に掲げた武人』の姿をした像が。


 ただし、それは地面に引き倒され、あちこちを破壊されていた。

 腕や足が折れ、腰のあたりで上半身と下半身も泣き別れとなり、首は少し離れたところに転がっている。

 これまでの瓦礫とは少し様子が違う。

 破壊のされ方に執念というか、悪意めいたものがひしひしと感じられた。


「……エルバの人たちは、【戦神】の正体が花だって知らないんですか?」


 ユノに問うと、彼はすぐに頷いた。


「はい。正体を知っていたのは王族のごく一部だけだったそうです」


 ユノ曰く、現在のエルバの代表団すら最近まで【戦神】の正体を知らなかったらしい。

 しかも、正体を知ったのも偶然だそうだ。


 その経緯はこうだ。代表団は教会との対外交渉をするにあたり、自分たちが正統なエルバの代表であると示す必要があった。そこで王族の生き残りを長として担ぐことにした。


 彼らは王族の血を引く人物を死に物狂いで探した。

 その過程で、王城に残されていたあらゆる家系図や文献を調査し尽くして――


「そこで初代エルバ王の手記が発見されたのです。現在判明している【戦神】についての情報は、ほぼその手記から得られたものです」


 ということらしい。

 私はふむふむと唸って、


「その手記って今も代表団が持ってるんですか? 参考までに読んでみたいんですけど」

「エルバの古語で書かれているので、僕らが直接読むのは難しいかと」


 つまり、代表団の連中から聞かねばならないと。

 正直あまり気乗りしない。こちらを『悪魔』扱いしている蛮族連中と、どうして言葉を交わせるものだろうか。ひれ伏して私のことを崇めるなら考えてやらんでもないが。


 そこで、馬車が徐々にスピードを落とし始めた。

 そろそろ着くのだろうかと、窓から前方の様子を見てみる。


 行く手には、巨大な石積みの壁が聳えていた。


 間近で見るとなかなか壮観だった。あれは王都を護る大防壁である。

 エルバの王都は山脈の麓に位置している。つまり背後に山脈という天然の防壁を備えている形だ。そしてあの大防壁が平地側を余さず囲っているため、全方位に隙がない都市となっている。


 さらに、王城も見えてきた。

 高々と聳える大防壁よりもさらに上。王都を一望できる山脈の中腹あたりに、飾り気のない無骨な建造物が立っている。

 あれがエルバの王城である。標高が高すぎて死ぬほど不便そうとしか思えないが、外敵の侵入を監視するには防壁すら見下ろせるあの位置が最適なのだという。


 軍事などにはほぼ無縁な私だが、この景色を見ただけでも、エルバがどれだけ外敵の排除に心血を注いできたのか分かる気がした。


「……ん?」


 そこで気づく。

 防壁の出入口たる関所に、数十人の集団が立っている。

 しかも、あまり身綺麗とはいえない。小汚い装いの者たちである。

 さては教会の馬車を狙う野盗などではあるまいか。ならば聖騎士連中を動員してさっさと鎮圧させよう。


「メリル・クライン様。ご準備を」


 と、ユノが唐突に私に話しかけてきた。

 準備? 何のだ? まさかこの私に、薄汚い野盗どもの始末をしろと言うつもりじゃないだろうな貴様。


「あちらが代表団の皆様です」

「ぶっ!」


 私は噴き出した。

 あんなのが? 聖都の一般市民より粗末な身なりじゃないか。

 信じられずに私はもう一度よく眺めてみる。言われてみれば、なるほど――確かに前列の警護兵らしき連中はボロボロの兵装を纏っているが、奥に控えている連中はもう少しマシな身なりをしている。


 と、その中から一人の女性が前列に歩み出てきた。

 彼女だけは他と比べても、明らかに装いが違った。汚れ一つない上等な絹布のドレスを身に纏って、耳や手首には黄金らしき装飾品も光っている。


 だが、明らかに着慣れていなかった。

 数歩ごとに絹布の裾を踏みそうになっているし、そもそも歩幅が大股すぎる。こう見えて私は聖女の娘として、数多の偉いさんを見てきた身である。王侯貴族の子女にあるべき雰囲気というものが彼女には少しも見受けられなかった。


 やがて彼女の手前で馬車が止まり、ユノに促されて私は馬車を降りる。

 地面から【戦神】の根が伸びてこないか少し不安だったが、幸いにもそこは大丈夫だった。


「え、えーっと。どうも。メリル・クラインです」


 いつものように教会圏の人間を相手にするなら偉そうにできたが、相手が蛮族となれば私も出方に苦悩する。結果、不本意ながらちょっと腰が低い感じになってしまった。


 と、そんな私にドレスを着慣れていない女性が歩み寄ってきた。

 私よりは年上だが、ヴィーラよりは年下だろう。おそらくは十八歳くらい。

 そして彼女はにこやかな笑みを浮かべ、私に手を差し出してくる。


「ようこそいらっしゃいました。メリル・クライン様。私は現在、このエルバの代表として王位を与っております、トゥルメナと申します。我が母国に神の恩寵を授けてくださることを、まことに嬉しく思います」


 お?

 なんだなんだ?

 分かってるぞこいつ。ちゃんと私に対して真摯な態度を取ってくるじゃないか。


 安堵のままに私はヘラヘラと笑って、ぎゅっと彼女の手を握り返す。


「いや~。こちらこそ、あなたみたいに素敵な人とご友人になれて嬉しいです~」


 その瞬間。

 トゥルメナと名乗った女性の手に「ぶわっ!」と音がするほどの勢いで鳥肌が立った。


「……へ?」

「どうかなさいましたか? メリル・クライン様?」


 あくまで彼女は微笑んでいる。しかし、その手は凄まじく粟立っている。

 しかも、繋いだ手からぷるぷると震えが伝わってきた。まるで寒気を覚えるような。


 つい、慌てて私はその手を放してしまう。

 ここまで他人から直球の嫌悪感を向けられたのは、生まれて初めてだった。


「え、えっと? トゥルメナさんでしたっけ? そんなに緊張なさらなくても――」

「やはり、こうなってしまいましたか。堪えるつもりだったのですが」


 フォローしようとしたが、トゥルメナは落胆の息を吐いた。

 そうして瞳からすっかり光を消してしまった彼女は、私にこう続けた。


「ご機嫌を損なったなら申し訳ありません。許せなければ、後ほど私を死罪にでも何にでも処すがよいでしょう。その代わり――必ずや、あの【戦神】だけは殺してください」


 トゥルメナは真正面から私を睨みつける。


「『最強の悪魔祓い』ならば、そのくらい簡単なのでしょう?」

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