第62話『誰が為の戦か⑦』
状況は最悪だった。
適当なホラで『悪魔の無罪』を主張し、戦闘を避けるのがこれまでの私の常套手段だった。
――それがどうだ。
今回の【戦神】なる悪魔は完全に罪を自供している。
エルバという国を混沌の内乱に陥れ、あまつさえそれを『弱者を淘汰するためだった』と嘯いてみせるなど、どこからどう解釈しても邪悪な悪魔でしかない。
(いっそ仮病でも使おうかな)
悩んだまま列車に丸二日ほど揺られ、そこからは馬車に乗り継いだ。
エルバ南方の教会友好国から、山脈の切れ目を通って入国する経路である。
(いやダメだ。聖女の力があれば病気になるなんてあり得ないし。もっと別の言い訳を……)
それだけ移動に時間がかかってなお、私は有効な言い訳を思い付いていなかった。
現時点でもっとも有力な逃避案は「この悪魔は私と母の二人がかりで対処する必要があります」と主張して母を呼ぶことだったが、たぶん母は応じてくれないだろう。
素直に「この悪魔は私の手に余ります」とギブアップして撤退する手もなくはないが、それではユノやヴィーラの失望を買ってしまう。将来的に私は母から教会のトップの座を奪い取ろうと思っているのだから、今現在手にしている二票を失うのはあまりにも痛い。
そんなこんなを考えているうちに、馬車はエルバとの国境に迫りつつあった。
「――臭うな」
私が必死に言い訳を考えている中、唐突に白狼が言った。
なんだこの犬。急に汚いフレーズを。人様が一生懸命悩んでるときに、誰かが屁をこいたとでも言いたいのか。
「とてつもなく強大な悪魔の臭いだ。【雨の大蛇】すら比較にならん」
「うわ。ほんとだ。あたしもゾワッてした」
白狼にワンテンポ遅れ、ヴィーラも寒気を覚えたかのように身震いした。
両者ともに警戒の色を濃くするが、私だけ何が何だか分からない。
「しかも……見られているな。視線を感じる」
「ねえねえ狼さん。あたしも見られてる感じは分かるんだけど、なんだか数が多くない?」
「確かに……」
まったく話についていけない私は、とりあえず神妙な顔をしながら窓の外を眺めた。
さも熟考しているっぽい雰囲気を出して。こちらに話題を振られないように。
と、そこで。
切り立った峡谷の岩壁に花が咲いているのが見えた。宝石のように深い青色をした、とても美しい花である。
これまでずっと殺風景な岩肌が続くばかりだったのだが、気づけばあちこちにその青い花が咲いている。
(見たことないお花だなぁ。持って帰って庭に植えようかな)
そう思って私が花をよく見てみると、
――目が合った。
一瞬、脳が理解を拒絶した。
美しく青い花弁の中心に、まるで人間のような目があった。
模様ではない。ぎょろぎょろと蠢いてこちらを見据える、本物の目だった。
「ぴぎゃあっ!」
私は窓際から飛び退く。
震えながら見れば、岩壁に咲いた花々――そのすべてに『目』があった。そしてその視線はすべて、この馬車へと向けられていた。
「む。視線の元はあれか」
「うわあ。目がいっぱい」
白狼とヴィーラも身を乗り出して花の『目』を確認する。
おぞましい光景にもかかわらず、ヴィーラがちょっと惚れ惚れしていた様子なのが不気味だった。
「ええと、この花が【戦神】……なんですかね? 想像してたのとだいぶ違いますけど」
私は疑問を呟いた。
【戦神】という名前なのだから、てっきり武人のような姿をしたゴツい悪魔だと思っていた。事実、エルバ国内においても【戦神】を祀る神殿などでは、武人めいた姿の神像が建てられていたという。
「悪魔だ! 出ろ!」
そのとき、私たちの後ろを走っていた馬車から声が上がった。同行の聖騎士や教会要員が乗っている馬車である。
彼らも岩壁の『目』に気づいたらしく、剣や槍を持った聖騎士たちが一斉に馬車から飛び降りて排除に乗り出す。
「ま、待ってください皆さん! 迂闊に刺激しないで――」
だが、聖騎士たちの雄叫びに搔き消され、私の声は届かなかった。
慣れた連携を取って動き出した彼らは、次々に岩肌に咲く花々を潰していく。
『またつまらぬ雑兵どもを寄越したものだ』
そこで岩肌の花々が一斉に揺らめき、峡谷に声を響かせた。
奇妙な声だった。植物の葉が擦れ合う音が幾重にも幾重にも混ざり合って、人間の声を構成しているかのような。
この花の悪魔が【戦神】なのかどうかはともかくとして、白狼やヴィーラが格の違いを感じ取った悪魔である。聖騎士ごときに敵う相手ではない。
私は大きく息を吸い込んで、今度こそはと絶叫する。
「コラ――っ!! 攻撃中止! 今すぐやめろ―――――っ!!」
狭い峡谷にわんわんと私の声が鳴り響く。
さすがにこれなら私の声は届いたはず――だったが。
「手を緩めるな!」
隊長格の聖騎士が一喝して、攻撃を続行させた。
配下の連中も全員それに追随する。まるで私の声など聞こえなかったかのように。
(あ? なんだこいつら?)
私はこめかみに青筋を浮かべた。
こともあろうに私の命令を無視? いい根性だ。覚えてろ。減俸や左遷の覚悟はできているんだろうな。最悪クビだぞ。この私に楯突いた罪をせいぜい後悔するがいい。
「待って。みんなの様子が変だよ」
そこでヴィーラが言った。
変? そりゃあ変だろう。私を無視するなんて正気の沙汰じゃない。
「止まるな! 忌まわしき悪魔に死を!」
「おお!」
命令無視の役立たず軍団は、怒号のような声を発して岩壁の花々に剣と槍を振るい続ける。そして、よく見ると――
――彼らが切りつけた岩壁は、深々と抉られていた。
おかしい。聖騎士は鍛錬こそ積んでいるが、ただの人間である。岩壁を抉るような力など持ち合わせてはいない。
その異常な膂力に武器も追いついていないようで、彼らの握る剣や槍が次々に折れ砕けていく。それでも彼らは一心不乱に花を潰し続ける。
「ひっ」
やがて手持ちの武器を完全に壊してしまった聖騎士は、素手で岩壁の花を殴りつけ始めた。その拳はみるみるうちに血で真っ赤に染まり、いくつかの指があらぬ方向に曲がっていく。
『あまりにつまらぬ雑兵どもだったのでな。少し面白くしてやった』
峡谷に嘲笑のような声が響く。
「メリル様! 助けなきゃ!」
「えっ? あっ、えっ? そそそ、それは――」
ヴィーラが馬車から飛び出して聖騎士たちの方に駆け出す。
正直このまま聖騎士たちを見捨てて逃げ出したい気分だったが、馬車もすっかり止まってしまっている。混沌とした状況に馬が怯えてしまって、御者はそれを宥めるので精一杯だ。
どうする。どうしようもない。もうダメだ。私の無能がバレる。
そのとき。
無数の花を咲かせていた岩壁に、突如として真っ赤な光が走った。
まるで炎のように紅く燃え盛るその光は、悪魔の花を次々に吞み込んで灰へと変えていく。
見覚えがある。この紅色の『聖なる力』は――
「メリル・クライン様は力を温存していてください。ここは僕らが」
ユノだった。
開け放たれた馬車の扉の前で、私に向かって恭しく跪いている。
天は私を見捨てていなかった。
最高のタイミングで援軍が来た。いいぞユノ。マザコンこじらせたガキなのに、なんかちょっとカッコいいじゃないか。少し見直してやろう。
「分かりました! 温存ですね! ここは任せます!」
「感謝します」
断る理由など一つもないので、私は全力で快諾する。
深くお辞儀したユノは、峡谷の岩壁を睨んで高々と声を挙げる。
「【戦神】よ! 要求通り、最強の悪魔祓いを連れてきました! このメリル・クライン様こそが――あなたを討ち果たすでしょう!」
は?
ちょっと待てコラ。
「それを前に、こんな小競り合いをする必要がありますか? ただ【戦神】の最期を穢すだけかと思いますが」
何をほざいてやがるこのクソガキ。
今すぐ貴様が全身全霊で戦ってこの花みたいな悪魔を滅ぼせ。か弱い
『メリル・クライン。その名は知っているぞ。あの邪悪な魔女の娘か』
ユノの言葉に、どこからともなく悪魔の返答が響く。
『それは実に愉しみだ。ならば確かに、このような戯れは時間の無駄だな。王都にて待っているぞ』
悪魔がそう言うと、聖騎士たちが急に崩れ落ちた。まるで操り人形の糸が切れたかのように。
一人一人殴って強制的に気絶させていたヴィーラは、その様子を見てふうと額の汗を拭い、それから聖騎士たちの治療に取り掛かる。
まだ聖騎士たちが倒れているのをいいことに、馬車から歩み出た白狼がユノに問いかけた。
「小僧。今の悪魔が【戦神】なのか? 想像とかけ離れた外見をしていたが」
「ええ。情報漏洩のおそれがあったので、電報での速報には書けませんでした。申し訳ありません」
ユノは白狼とこちらに向けて二度お辞儀をした。
私はぎりぎりと歯噛みする。謝るべきはそこではない。勝手に私をあんな悪魔にけしかけてくれやがったことである。
「メリル・クライン様? なぜ歯噛みを?」
「察しろ、小僧。目の前で傷つく者たちを前に『力を温存しろ』と言われたのだ。あの娘の心痛がいかなるものか」
「はっ、そういうことでしたか……」
違うぞ。私は貴様らにムカついているだけだ。
白狼も畜生の分際で勝手に私の感情を代弁するな。
「しかし、それだけあの悪魔は侮れない相手なのです。聖女様やメリル・クライン様ほどの力をもってしても、討ち果たすのは容易でないでしょう。全力を出せる態勢を整えておくべきかと」
私はがしがしと頭を掻いて、深く呼吸する。
責任転嫁してもしょうがない。とにかくこの窮地を乗り越えるためには前を向かねば。
「……で、ユノ君。あの【戦神】というのは具体的にどんな悪魔なんですか?」
私の問いに、ユノがぴしりと背筋を正す。
「昔の――【戦神】を祀る以前の古代エルバには、戦地に赴く兵士に薬物を摂取させる風習があったそうです。エルバの限られた地域でしか育たない花から抽出される薬物で、戦意を高揚させる作用があったと」
「花から抽出される薬物……」
さきほどの【戦神】は花の悪魔で、人間の戦意を異常に昂らせる能力を持っていた。
それはつまり――
「その花が悪魔として意志を得たものが、あの【戦神】です」
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