第60話『誰が為の戦か⑤』

 酷い。酷すぎる。これが聖女のすることか。

 無垢で健気で純粋な乙女わたしを、卑劣にも騙してくれやがるなんて。覚えてろいつか絶対この借りは倍にして返す。


 特別列車の寝台車で、私は枕をぶん回してベッドに叩きつけまくっていた。

 本当はもっと派手に何かぶっ壊してやりたい気分なのだが、錯乱したと思われても困る。そんな悪評を立てられたら私の沽券に関わる。


 ひとしきり暴れて溜飲を下げた後、窮屈なドレスから適当なワンピースに着替えた。列車に着替えを積んでいてくれて助かった。このままでは浮かれた馬鹿丸出しのドレス姿で現地に向かうところだった。


 寝台車の扉を不機嫌なままに蹴り開けて、ヴィーラや白狼が同乗している客車に戻る。


「娘よ。妙に物音を立てていたがどうした?」

「別に。ちょっとベッドをほぐしてフカフカにしてただけです」


 しれっと嘘をついて、ソファにどかりと座り込む。

 本当ならあのまま寝台車で不貞寝でもしたかったが、あいにくとそんな暇はない。これから到着までの間に対策を練らねばならないのだ――いつも通り、戦闘を避けるための。


「ヴィーラさん。今回の任務の資料って持ってますか?」

「うん、もちろん」


 そう言うとヴィーラは自身の背嚢を漁り始めた。

 私に渡されたのは都合のいいところだけを切り抜いた資料だったので、まずは本当の任務内容をしっかり把握せねば。


「はい、これで全部」


 どさり、と。

 想像していた十倍以上の量の資料が、私の目の前のテーブルに積まれた。

 目を丸くした私は、資料とヴィーラを交互に二度三度と見る。


「え? なんか異常に多くないですか?」

「宣教任務ってこんな感じみたい。宣教対象国――エルバと教会の関係の歴史的経緯とか、現地の文化とか。そういう資料もたくさんあったよ」


 面倒臭さに私はげんなりした。

 なるほど母の言っていた『外交』というのもまるっきり嘘ではないらしい。


 だが、まともにこの量の資料を読むのはさすがに疲れるし、かえって頭に入らない。


「ヴィーラさんはエルバの情勢に詳しいんですよね?」

「ううん、どうかな。前から興味はあったし、資料もちゃんと目を通したからまあまあ勉強できたとは思うけど」

「実を言うとですね、ここ最近の私は多忙に多忙を極めていまして、今回の資料にあまり目を通せていないんです。なので簡単に資料の内容をまとめて聞かせてくれませんか?」


 私がそう注文すると、ヴィーラより先に白狼が反応した。


「む? 娘よ、そこまで最近多忙だったのか? たまに教会本部に行く以外、ずっと家にいたように思うが――」

「い、家の中にいてもいろいろ忙しかったんです! いろいろ! 修行的なこととか!」


 正直ほとんど毎日昼まで寝る暮らしをしていたのだが。

 我ながら苦しい言い訳だと思ったが、相変わらず馬鹿な白狼は「なるほど。そうだったのか」と感心している。やっぱりこいつはいくらでも騙せる。


「そっか、そういうことなら恐縮だけど説明させてもらうね」


 幸いヴィーラも快諾してくれる。

 彼女はぺらりと資料をめくって、エルバらしき地図を見せた。


「エルバは海に面してない内陸国で、見てのとおり国土が綺麗な三角形になってるんだ」


 私は地図を覗き込む。

 三角形の国土の下辺には山脈が通っていて、二本の上辺はそれぞれ大きな川が通っている。


「山脈に降り注いだ雨が、東端と西端からそれぞれ川になって、国土の最北端で合流する形だね。だけど、南の山脈に降った雨は全部川に行くわけじゃなくて、地形の傾斜に沿ってじわじわ地面にも浸透していくんだ。つまり何が言いたいかというと――」


 ヴィーラがにわかに興奮する。


「国全体がほとんど湿地帯! 衛生状態が基本あんまりよくない!」

「ヴィーラさん。そういうこと嬉しそうに言うと良識を疑われるから控えた方がいいと思いますよ」

「ごめん。気を付けるね」


 注意したら一応ヴィーラはちょっと肩を竦めた。

 趣味はヤバいが決して悪人ではないのだ。趣味はヤバいが。


「ということは、なんかこう……全体的に沼地みたいな感じの国なんですか?」

「ううん。建国以来ずっと数百年にわたって干拓されてきたから、ちゃんと農地も居住地も拓かれてるみたいだよ」


 そう言ってヴィーラはまた話を続ける。


「でね。エルバは今言ったとおり、もともとあんまり人が住むのに向いてる土地じゃないんだ。なのに、そんなところに人が集まるようになったのは理由があって――」


 そこでヴィーラは言葉を止めた。

 少し天井を仰いで考える仕草を見せ、


「ねえメリル様。『悪魔』っていえば普通はどんな意味だと思う?」

「はい?」


 唐突に尋ねられて一瞬私は困惑するが、


「狼さんとか、そういう感じの存在ですよね?」


 傍らにお座りする白狼を指差して答える。

 だが、私が怪訝にする中、白狼は何やら察したような顔をしていた。


 そして白狼が、ヴィーラの話を引き継いだ。


「娘よ。かのエルバの地では『悪魔』といえば別の存在を指すのだ。『人の姿形を模した、人にあらざる忌まわしき者』を指す言葉として」


 人の姿形を模した、人にあらざる――?

 ヴィーラと白狼が何を言いたいのかよく分からず、私が困惑していると、やがてヴィーラが続けた。


「あたしたち『悪魔祓い』のことを、昔からエルバの人たちはそう呼んでた――というか、そう呼ぶ人たちがあちこちから集まって、エルバっていう国を作ったんだ」

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