第59話『誰が為の戦か④』
「それじゃあママ……私、頑張ってくるね!」
我が家の目の前にある聖クライン駅。
ホームまで見送りにきた母に向けて、私は胸を張って決意表明してみせた。
「あら~。今日のメリルちゃんはいつになくやる気満々ね~」
「うん。とっても重大なお仕事で緊張するけど、逃げちゃダメだと思うんだ。私のことを待ってる人たちがいるんだから!」
実際、かつてなく私は任務に燃えていた。
身に纏っているのは、まるでお姫様のようなヒラヒラのドレス。髪に飾ったティアラには大粒の宝石がいくつも輝いている。
母曰く、宣教任務は『外交』だという。
神の遣いとして現地に赴く悪魔祓いは、存分にその威光を見せつけ、相手国に教会の正当性を知らしめねばならない。
そこに求められるのは戦闘能力ではない。それっぽい雰囲気である。
だから私は全力で着飾った。
母は絶世の美女だが、私もその美貌をしっかり受け継いでいる。これは自意識過剰ではなく、客観的事実である。母も事あるごとに「メリルちゃんは若いころの私そっくりね~。ちょっと表情が軽いけど~」と褒めてくれる。
ここまで本気で装いを整えた私は、誰がどう見ても麗しい天使にしか見えないはずだ。
あとは口八丁で聖女っぽい綺麗事を並べ立てればいい。
そういうのは得意中の得意だ。
「娘よ。そんな服では戦闘になったとき動きづらそうだが、大丈夫なのか?」
と、そこで傍らの白狼が問いかけてきた。
やれやれ。この犬っころは。今回の任務の何たるかをよく理解していないらしい。
「大丈夫ですよ狼さん。今回の任務では戦闘とかあり得ませんから。新たな友人となる国に行って、平和的にお喋りして帰ってくるだけです」
「しかし行き先はあの【戦神】の国なのだろう?」
白狼がいきなり頓珍漢なことを言い出したので、すかさず私は訂正してやる。
「違いますよ狼さん。今から行くのはエルバっていう国です。せんじん? とかいう国じゃありません」
「そう、そのエルバだ。人間はそう呼ぶのだったな。我々悪魔の中ではかなり有名な国だ」
「有名?」
意外だった。悪魔なんていうのは人様の世間事情に疎いものだと思っていたが、他国の事情まで知っているものなのか。
「――迂闊に手を出せばただで済まん、恐ろしい国としてな」
しかし、そこから続いた白狼の言葉に私は首を傾げた。
「いえいえ狼さん。エルバはこれまで教会と距離を置いていた国ですし、現地に聖騎士も悪魔祓いもいないはずですけど」
「ああ。かの地には聖騎士も悪魔祓いもいない。だが、その代わり【戦神】という名の悪魔がいた」
「何ですか? その【戦神】って」
私が問うと、それに答えたのは母だった。
「【戦神】というのはね、エルバの王家が代々祀っていた神様よ~。もちろん、私たち教会の基準では悪魔になるのだけど――その【戦神】はね、あらゆる人間に『悪魔と戦う力を授ける』ことができたの」
「えっ。何それすごい」
素直に私は感心する。悪魔討伐に役立つ悪魔とは、なんて便利な悪魔だろう。
きっと【雨の大蛇】のように有益な存在として、人々から親しまれていたに違いない。
「あれ、でも待って。それならどうしてエルバが教会の教えを受け容れることになったの?」
自力で悪魔を退ける術を持っているなら、教会の庇護を求める必要などないような気もするが――いいや。やはり得体の知れない悪魔などに頼るより、強く優しく美しい母のような悪魔祓いがいる、安心の教会に頼りたくなるのが人情というものか。その気持ちはよく分かる。
私がそう考えた、そのとき。
「メリル様! おはよー!」
駅舎をくぐってヴィーラが駆けてきた。
お洒落を決め込んだ私と違って、いつも通りの不良シスターといった感じの装いだ。
「あっ。どうも今回はよろしくお願いしますヴィーラさん」
「いやいやメリル様。こっちこそありがとね? あたし、一度でいいからエルバに行ってみたかったんだ! 本当嬉しい!」
そう言うとヴィーラは私の手を握って、ぶんぶんと嬉しそうに振り回した。
その頬はほんのり赤く喜色に染まっていて、本気で喜んでいるようだった。
そこまで行ってみたかったのか。エルバというのは観光名所とかなのだろうか。
「エルバはね、十年前から酷い内戦が続いていたの」
そこで、母が言った。
穏やかでないフレーズに、私がぎこちなく振り向く。
「……内戦?」
「【戦神】は人間に力を授けるわ。だけど、闘争本能も異常なまでに昂らせてしまう負の側面もあったのよ」
母の目から笑いが消える。途端に雲行きが怪しくなってくる。
「それでも数百年の間、エルバの国民たちは王家の強固な統率のもとに一致団結していたのだけど――十年前、王家の一族が皆殺しにされるクーデターが起きたの。それ以来、国の統率は乱れて、【戦神】から力を授けられた戦士たちがそれぞれの正義を主張して互いに殺し合いを始めた」
「そうそう! で、最近やっと終わったばっかりなんだよね! だからまだ怪我人とか病人とかすっっっっごくたくさんいると思うんだ!!」
いきなりヴィーラが興奮気味に叫び始めたので、私は噴き出した。
そうだった。この人の倫理観はこんな感じだった。観光名所だから行きたいとかではなく、地獄みたいな惨状の国だから行きたいという意味だったのか。感性が終わっている。
なんかこう、華々しいお城で王侯貴族の人たちと煌びやかにダンスパーティーとかして親交を深める絵面を想像していたのだが、陰惨な戦場の絵面しか想像できなくなってきた。
「で、でも……ほら。内戦も終わって、その【戦神】とかいうのはもういないんだよね? ユノ君が安全を確保してるって話だったもんね?」
エルバを混沌の内戦に陥れた【戦神】なる邪悪な悪魔は、既にユノが倒してくれたに違いない。きっとそのはずだ。なんか話が嫌な流れになってきたが、私はユノを信じている。彼はやればできる子だ。
「メリルちゃん」
「な、なぁにママ?」
「列車が来たわよ」
母が指差す先を見れば、黒煙を上げながら任務の特別列車が迫ってきていた。
「そ、そうじゃなくてママ。【戦神】っていうのはもういないんだよね? だって安全な任務っていう話だったもんね?」
「そうね。安全な任務――とは言えるかしら。だって今の【戦神】に戦闘の意志はないもの」
「……はい?」
戦闘の意志はない?
それはどういうことだ。その言い草は、まるで今も【戦神】が生きているような。
「今の【戦神】は、ただ敗軍の将として処刑を求めているだけよ。ただ、あまりにも強大すぎる悪魔だからユノ君の手には負えなかったのだけど。メリルちゃんなら大丈夫よね?」
私は絶句した。
そんな私のドレスの裾をつつきながら、白狼が呆れたように言う。
「だから言ったろう。そんな服では満足に戦えんと……いくら貴様とて、あの【戦神】を消し去るならばそれ相応に全力を尽くさねばなるまい」
「そうね~。ユノ君の報告を聞く限り、私でもちょっと苦戦するレベルの悪魔みたいね~」
母でも苦戦する悪魔?
ふざけるな。そんな規格外の悪魔、私がどうこうできる相手ではない。
「……まっ、ママ! やっぱり私じゃ宣教任務なんて務まらないから、今からでも担当を交代――」
「ところでメリルちゃん。本部の事務方さんたちとすごく仲良くなってたのよね? お友達が増えたみたいで、ママもとっても嬉しいわぁ」
時間が止まった。
硬直する私の背後に、キキィとブレーキ音を立てて列車が停まる。
「それじゃ行こっかメリル様」
ヴィーラが私の手を引っ張って列車に乗り込む。
白狼もそれについてくる。
一方、引っ張られるがままの私は母を睨み続けたまま――こう叫んだ。
「卑怯だぞぉ―――――――!! いつから気づいてたぁ――――――!!!!」
母はそれに答えず、穏やかに微笑みながら手を振り返してくる。
やがて列車はゆっくりと動き始めた。
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