第55話『あなたの願いは⑧』
結局、日が暮れる寸前まで資料室にこもってみても【偽りの天使】の倒し方は分からなかった。
一日を徒労に費やしてしまった私は、苛立ちも露わに帰宅した。
「あら~。お帰りなさいメリルちゃん。もうそろそろご飯よ~」
「ふんだ」
温かく出迎えてくれた母にも、わざとそっけない態度を取ってみせる。
当然である。母が勿体ぶらず親切に教えてくれたら、調べ物などという面倒に出向く必要もなかったのだから。
食堂の席に着き、母と向かい合って食事を待つ間も、私は不貞腐れたままだった。
「それでメリルちゃん。【偽りの天使】の倒し方は分かったかしら?」
「ぜーんぜん」
私は背もたれに体重を預けて、行儀悪く足をブラブラとさせる。
「はいはい。どうせ私ごときには何も分かりませんでしたよ。もう飽きたからやめる。悪魔の倒し方なんてそんなの出たときに考えればいいもん」
たとえば白狼をけしかけるとか。ユノをけしかけるとか。母に泣きつくとか。
そういうシンプルイズベストな倒し方でいいじゃないか。出るかどうかも分からない悪魔への対策を、事前にあれこれ考えたってキリがない。
ちなみに、ユノはなんだか妙に勉学への意欲を刺激されたようで、私が帰るときもずっと熱心に悪魔関係の文献を読み続けていた。非番なのに実に勤勉でよろしいことである。私にはとても真似できない。
そこで前菜が運ばれてくる。
細かく刻んだ野菜の
頭を使って腹を空かせていた私は、パンに酢漬を載せてもりもりと食べる。
「……そう。メリルちゃんなら分かると思ったのだけど」
「む」
そう落胆されたような態度を取られると、こちらのプライドにも少々障るものがある。私は前菜を口に運びつつ、言い訳じみた抗弁を開始する。
「まあ、倒せなくていいなら? 無害化でいいなら一つだけ案はあるけど?」
「あら。どんな手?」
正直、理論上は可能というだけで、実際にはまず実現不可能な案だ。
とても四歳児にできる手法ではない。それでも、とりあえず何か言っておきたくて私は適当を並べる。
「――【偽りの天使】の周りに、また人を住ませればいいの」
我ながら無茶もいいところな案である。
滅びた人里には滅ぶなりの理由があったはずで、そこにまた無理やり人を移住させたところで、上手くいくわけないのは目に見えている。
「メリルちゃん。それはどうして?」
しかし私のトンデモなホラを、意外にも母は真面目な顔で聞いていた。
笑い飛ばされて終わりと思っていたのに。
そこでとりあえず私は周囲を確認する。
悪魔の情報はいちおう教会の機密扱いなので、使用人たちに聞かれてはまずい。
廊下の方に聞き耳を立てた感じ、まだ次の皿が運ばれてきそうな気配はなかった。
「たぶんだけど【偽りの天使】は、安易な誘惑に乗っちゃった人を叱ってあげるだけの存在だと思うの。で、周りに人がいなくなると危険な悪魔になるけど……逆にいえば周りに人が戻ってくれば、また無害な存在に戻るというか」
「なぜ人がいなくなると危険な悪魔になるの?」
母に問われ、私は首を傾げた。
そんなの簡単ではないか。
「寂しいからでしょ。叱ってあげるくらいだから人間のこと好きなんだろうし――そんな悪魔だからこそ、一人になったら『誰かにそばにいて欲しくて』あんなことしちゃうんだと思う」
おそらく、凶悪化した【偽りの天使】は人を殺そうと思って殺しているわけではない。
ただ自分の近くに留め置こうとしているだけだ。行き会った人間がずっとそばにいるように。二度と離れていかないように。
「まあ、だからといって傍迷惑というか害悪なのは変わりないけど」
私は最後のパンを口に放り込む。
話も終わったし、そろそろ次の皿が運ばれてこないだろうか。
「たとえば、ね。メリルちゃん」
そこで母が、少し嬉しそうに語り始めた。
「大勢を周りに連れてこなくたって――たった一人でも【偽りの天使】に寄り添ってあげる人がいたらどうかしら? 恐れもせず、魅せられもせず、ただ普通にお喋りしてくれる人が」
母が何を言いたいのかよく分からず、私は眉を顰める。
背中から翼を生やしたヤバそうな存在に、そこまでフレンドリーな態度を取れる人間がいるわけないではないか。
「案外、そんな単純なことで【偽りの天使】は満足するのかもしれないわよ。もう消えてもいいと思うくらいに」
どこか懐かしそうに微笑む母に、私は唇を曲げてこう言った。
「いやママ。そんな簡単に悪魔が倒せたら誰も苦労しないから」
まったく、そんな子供騙しで私が納得すると思っているのだろうか。だとすれば舐められたものである。いいからさっさと本当の正解を教えて欲しい。
そんな風にむくれる私を、母はいつまでも楽しそうに眺めていた。
(第5章 完)
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