第53話『あなたの願いは⑥』
白狼のような動物ベースの悪魔は別として、これまで私が見てきた悪魔たちはある程度の行動指針を備えていた。
たとえば【雨の大蛇】は、雨を司って村人たちに恵みをもたらすこと。
たとえば【誘いの歌声】は、救われぬ子供たちに安息をもたらすこと。
自我の薄そうな【弔いの焔】でさえ、祖霊信仰の象徴として、祀る者たちに温もりを与えていた。犯罪に悪用されると暴走するという性質も、それは【弔いの焔】なりに怒っていたのではないか。
一方、今回の【偽りの天使】はいったいどんな性質の存在なのか、まずそこから分からない。
私がうんうんと唸っている間に、ユノも【偽りの天使】の資料を読み込んでいる。
「……参考までに意見を聞きたいんですがユノ君。この悪魔は何がしたいんだと思いますか? いえ私はそこそこ察しがついてきたんですが、本当にちょっと参考までに」
威厳を損なわないよう虚勢を張りつつ、ユノにも意見を尋ねてみる。
彼は少し悩んでから、申し訳なさそうに目を伏せた。
「申し訳ありません。僕では見当が付かず……ただ」
「ただ?」
「この資料に記録されている【偽りの天使】たちが、全員同じ目的で行動していたとは限らないと思います。一般的な【誘いの歌声】と僕の母とでは、同じ種類の悪魔でもかなり性格が違っていましたから」
おっ、と私は感心した。
そうか。同じ悪魔でも置かれた環境や状況次第で、性質が変化することもある。
ユノの母たる【誘いの歌声】は、後天的に善性を備えた存在へと変化した。犯罪者に利用された【弔いの焔】は、生者をも焼く悪性の悪魔へと変化する。
ならば過去事例の【偽りの天使】たちも、善性と悪性に分けられるのではないか?
私はメモを取り出して、過去の事例を仕分けてみる。
この悪魔のどこに善性があるかは分からないが、とりあえず人死にが出なかったものを善のカテゴリに。犠牲者が出たものを悪のカテゴリに。
そうして篩い分けていくうち、あることに気づいた。
「……人死にが出るのは、いつも廃村や放棄地など、誰も住まなくなった場所だけですね」
民話じみた商人のケースもそうだし、母の討伐例もそうだった。
理想の夢を叶えて人間を衰弱死に追い込む【偽りの天使】は、いつも滅びた土地にのみ現れる。
一方、まだ人が住んでいる土地に出没した事例では、人死には一件も報告されていない。
少年の民話においても、父と母は小作人として働いていた。つまり耕作地があって、それなりに人が住まう土地だったということだ。
このケースでは人死に以外の被害も基本的に少ない。悪夢の記憶も薄れていくため、おぼろげな恐怖が残ることは多いが、深刻なトラウマとまでは至らないようだ。
それなら後者の『悪夢を見せてくる方』を、『悪くない悪魔』だと仮定してみよう。
もし善意に基づいて人間を悪夢で脅すことがあるとすれば、それはどんな場合か。
「……ユノ君。資料にある商人の話と少年の話はもう読みましたか?」
「はい」
「私はですね、それを最初に読んだとき――昔話みたいだなって思ったんです」
「そうですね……言われてみれば確かにそのような気もします」
この二つの話は具体的な被害例ではなく、民間に伝わっていた【偽りの天使】との遭遇例らしき逸話である。もしかすると脚色や創作の要素も混ざっているかもしれない。
ただ、その作り話っぽさにこそ、真実があるのかもしれない。
「なんで昔話っぽいかと言うと、ちょっと教訓話っぽいというか……説教臭さがあるんですよね」
「説教臭さ?」
「ええ、いかにも寓話らしいじゃないですか。『怪しい奴に近づくな』とか『甘い言葉につられるな』って感じの教訓が分かりやすくて」
そう難しく考えなくていい。
この悪魔の逸話を『説教臭い』と感じたなら――
「たぶん、元はそういう悪魔なんだと思います」
「そういう……?」
当惑するユノに私は頷く。
「甘い言葉にまんまとつられちゃった迂闊な人を、悪い夢で叱ってあげる悪魔です」
「あっ……」
誘惑を無視すればまったくの無害だというのは、そもそも叱る必要のない相手だからだ。
見せられた悪夢の記憶がすぐに薄れるというのも、この前提で考えると納得である。相手のためを思うなら、あまり深刻なトラウマを与えては本末転倒だ。
その後には『怪しい存在に惑わされ、何か恐ろしい目に遭った』という漠然とした感情だけが残る。教訓としてはちょうどいい匙加減だろう。
「なーんて。あくまで推測ですけど」
くるくると万年筆を回して私は頬杖をつく。
この悪魔の行動原理はちょっと分かったような気がするが、だからといって倒し方が分かったわけではない。どういう存在か分かれば弱点も分かるものだと思ったのだが、当てが外れた。
そんな私をよそに、ユノはやたらと深刻な顔で資料をまた読み込み始めた。
それから、少し暗い表情で私に問いかけてくる。
「メリル・クライン様」
「うん?」
「それでは……実際に危害を加えている方はどうなるのでしょう? 人のためを想っていたであろう悪魔が、なぜそのようなことを……?」
――――――――……
「本当によろしいのですか? どのような願いでも叶うのですよ?」
「しつこい!」
メリルは『それ』を前にぷんすかと怒った。
「だいたいあなた、とっても偉そうなの! なにさま!?」
「私は天よりの遣いでございます」
そう言うと、『それ』は恭しく頭を下げた。
メリルはぴたりと怒るのを止めて、
「なぁんだ。それじゃ、ママの友達?」
「私は神に仕えし者。地上の人間に友はおりません」
「かわいそ。したっぱなんだ」
メリルの頭の中では、母は神にすら並ぶ最高に偉い存在だった。
なので『天の遣い』を名乗りながらも『母の友ではない』と主張する目の前の存在のことを、メリルは『母の友達にもしてもらえない下っ端』と認識した。
相手を見下すことで心の優位をすっかり取り戻したメリルは、ぽんぽんと励ますように『それ』の腰を叩いた。
「そうだ。もうすぐママが帰ってくるの。とくべつに
「……お母様のことが、好きなのですね?」
そこで『それ』は、目を細めて笑いを深めた。
それに気づかずメリルは「うん!」と頷く。
「ママはすごいんだもん! 強くて
「ですが、お母様は忙しくて滅多に家に帰らない。それをあなたは寂しく思っている」
妖しい笑顔をたたえ、『それ』はメリルの内心を見透かしたように誘惑の言葉を放つ。
それに対してメリルは、
「は??? そんなことないですけど???」
露骨に意地を張った。
せっかく手にした優位を死んでも手放したくない。絶対に弱みは握らせまいという、四歳ながら非常に浅ましい根性だった。
「嘘はいけません。本当は寂しいのでしょう? 私に願えば――大好きなお母様が、毎日でも遊んでくれるようになりますよ」
「ふん」
メリルはそっぽを向いて、意固地に言い張る。
「そんなの、したっぱには無理。私がやるの。私がママより強くなって、どんな悪魔もイチコロで倒しちゃうの。そうすればもっとママと遊べるから」
「――私ならば、その未来を叶えてあげられますが」
「いいもん。私がやるもん。手出し
すっかり機嫌を斜めにしたメリルは、そのまま背を向けて廃墟に戻っていく。
去っていくメリルを『それ』は追わない。草むらの中に立ち尽くしたまま、じっとメリルを見つめている。
と、そこで。
ちらりと背後を振り返ったメリルが、踵を返してまた『それ』の元に戻ってきた。
「だいじょうぶ?」
そして『それ』に尋ねる。
少しだけ心配そうな顔になって。
「――仰る意味が分かりかねますが」
「とっても寂しそうな顔してたよ」
さきほどメリルは、母が不在がちで寂しい――と思っていることを言い当てられた。
正直図星もいいところだったし、悔しかったし恥ずかしかったし、何より言い返してやりたかった。
するとどうだろう。
去り際に振り返ったとき、『それ』がなんだか妙に寂しそうな顔をしているように見えたのだ。
からかってやるつもりで踵を返した。
だが、向かい合った相手の顔がやっぱりとても寂しそうだったので、からかうのがちょっと可哀そうになった。
「仕方ないから、もう少しだけお喋りしてあげる」
「それが望みとあらば、叶えて差し上げ――」
「違うもん。私は別にお喋りしたいわけじゃないもん」
むくれた顔になってメリルは言った。
「私が、あなたの願いを叶えてあげるの。もうちょっとお喋りしたいんでしょ?」
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