第52話『あなたの願いは⑤』
「う~ん……ママ、ここどこ……?」
最寄りの街で列車を降り、娘を背負って悪魔の出没現場まで移動した。
走り始めは「速い速い!」とはしゃいでいた娘だったが、しばらくするとあまりの速さに目を回してしまったようで、今はすっかり顔色を青くしている。
「ここはね、少し前までは村だった場所。今は誰もいないけれど」
娘の問いに私は答える。
夕焼けに照らされた廃村は、一面が雑草に覆われている。しかし、放置された家々の多くはまだその形を保っており、無人となってからまだそこまで年月が経過していないことを示している。
鬱蒼とした森の奥に拓かれたこの村には、かつて多くの木こりと炭焼きたちが住んでいた。
だが、近年になって石炭が燃料の主流となり、急速に薪炭の需要が衰えた。
天災に襲われたわけでも、戦があったわけでもない。それでも時代の移り変わりの中で村は着実に衰退していき、やがて誰一人としていなくなった。
「誰もいない? かくれんぼしてるの?」
「いいえ。隠れているわけじゃなくて、誰も住んでないの」
娘は物珍しそうに周りをきょろきょろと見渡して、いまいちよく分からないという感じに首を傾げている。
娘は物心ついたころから使用人たちに囲まれており、屋敷の窓から眺める聖都の光景は常に人で溢れている。ここまで寂れた無人の地など、想像したことすらなかったのだろう。
「ごめんなさい。今日の宿に泊まる前に、ママはここでやっておきたいことがあるの。少しだけ待っていてもらえるかしら」
「む」
私がそう言うと、娘は頬を膨らませた。
「せっかくの
「そうなの。許してくれる?」
「だめ」
ぎゅっと私の腕にしがみついた娘は、全身で抗議の意を示した。
どう説得したものか私が悩んでいると、急に娘がはっと閃いたような顔になった。
「そうだ! せっかくだし、私がやってみたい! ドーンってやって悪魔倒すの!」
一転していきなり上機嫌になって、宙に向かって拳をぶんぶんと振り回す娘。
私は密かにため息をつく。
未だにこの子は自分のことを最強だと勘違いし続けている。この子を狙う悪魔たちを牽制するため、意図的に私が誤情報を流しているところはあるのだが、このままではいつか遠からず痛い目を見るだろう。
だから――
「……そうね、メリルちゃん。それならお手伝いをお願いしてもいいかしら?」
私はぎこちない笑顔で、娘の正面にしゃがみこんだ。
頼られたのがよほど嬉しかったか、娘は途端に晴れやかな笑顔になる。
「うん! 手伝う!」
私は罪悪感を覚えて、その笑顔から目を逸らした。
これから私はこの子に恐怖を刻もうとしている。二度と悪魔を侮らぬよう。己の無力を痛感するよう。そうすれば娘は――外の世界に出ようと思わなくなるだろう。
結界に護られた家の中で、この先ずっとおとなしくしていてくれるはずだ。
「……私が悪魔を見つけてくるから、そこで待ち伏せしていて欲しいの」
そう言って私は、廃墟の中でも比較的綺麗な一軒を指差す。
「まちぶせ?」
「えっと、待ち伏せというのはつまり……こっそり隠れていて欲しいの。そうしてくれたら私が悪魔を連れてくるから……」
「はさみうち!」
ピンと来たようで、娘はぱちんと手を叩いた。
待ち伏せは分からなくて、挟み撃ちは理解できるのか。この年頃の子供の語彙というのはよく分からない。普段あまり会話もしていないから、なおさら。
私は娘の手を引いて、指し示した廃墟に連れていく。
やはり長年放置されてきただけあって、扉を開くとかなり黴臭かった。
そこで私は床板を踏み鳴らし、建物の床と壁を覆う保護膜のような結界を張った。腐った建材の匂いを遮断するとともに、結界には浄化の作用もある。これだけでずいぶんと居心地がマシになった。
「狭い! 狭い!」
一方、娘は見たこともないほど狭い家を目の当たりにして、やたらと喜んでいた。
「お人形さんが住む家みたい! 可愛い!」
「……メリルちゃん。そういうこと、他人に言わないでね」
「どうして?」
「ええと、失礼だから」
娘は何が不適切かよく分からないらしく、きょとんとしている。
やはり躾に不慣れな私は、もごもごと口を動かして、結局はそれ以上の注意を諦めた。
「……それじゃあ、ママは行ってくるから。くれぐれもこの家から出ないように。いい?」
「うん! まかせて!」
びしりと娘が親指を立てる。
きっと娘は、これから華麗に悪魔を討伐するつもりでいるのだろう。どう間違っても、そんな未来は訪れないのだが。
私は廃墟を出て、後ろ手に扉を閉じた。
自惚れ切った無邪気な娘の笑顔を見ることは、もう二度とないのかもしれない。そう思うと、少しだけ後ろ髪を引かれるような気がした。
「……つくづく自分勝手ね」
自嘲気味にそう笑って、私は廃墟の周りに円形の結界を張った。
あらゆる悪魔を拒絶する、強力無比な聖女の結界を。
――――――――……
「早く来ないかな~」
その少女――メリル・クラインは、廃墟の中で母の帰りをワクワクと待っていた。
じきに母が悪魔を引き連れて戻ってくる。そのときこそが自分の出番である。母をも超える凄まじい聖女パワーで悪魔を消し飛ばすのだ。
無邪気な夢想を思い描きながら、メリルは窓の外を眺め続ける。
と、そこで。
背の高い雑草の陰で、何か人影らしいものが動いた。
メリルは「あっ!」と喜色を浮かべて窓から身を乗り出す。ついに母が帰って来たのかと思ったのだ。
「……ん?」
しかし、違った。
その人影は母ではなかった。
「あなたの願いを叶えてあげましょう」
雑草の陰から姿を現したのは――背に翼を持った、美しくも妖しい存在だった。
妖艶な笑みをたたえた『それ』は、遠くからじっとメリルを見つめている。
メリルはしばらくの間、きょとんと『それ』を眺めた。
母はこの村には誰もいないと言っていたのに。誰かいるじゃないか。誰だろう。
背中に翼が生えていることはあまり気にならなかった。『地上の天使』と称される母の絵画や彫像には、脚色としてよく翼が生やされており、メリルはそれを帽子とかマフラーと似たようなものと認識していた。
「――私とお喋りしたいの?」
メリルはそう問い返すが『それ』は微笑んだまま返事をよこさない。
無視されるという屈辱にむうと膨れたメリルは、しかし我慢して大人の対応をしてやろうと考える。
「ねえ、危ないよ。もうすぐここに悪魔が来るんだから。隠れた方がいいよ」
しかし、メリルの忠告にも『それ』は反応しない。
この時点で早々にメリルはキレた。彼女の言葉を二度も無視する者など、これまでの人生で存在しなかったからだ。
――なのでメリルは、怒りのままに廃墟から歩み出て『それ』にずんずんと突撃した。
「いいからこっち! 隠れるの!」
そして『それ』の手を引いて廃墟に連れて行こうとする。
なお、メリルは『それ』の安否をそれほど心配したわけではない。単純に忠告を無視されたことが気に入らなかったので、力尽くで従わせようとしているだけである。
が、四歳児程度の腕力では『それ』を引っ張っていくことは叶わなかった。
いくら踏ん張っても『それ』は妖しげに笑ったままびくともしない。
「あなたの願いを叶えてあげましょう」
そして『それ』はもう一度同じ言葉を唱えた。
手を引いていたメリルはぴたりと動きを止めて――極めて不愉快そうに唇を噛んだ。
叶えてあげましょう?
あげましょう??
――こいつ、この私に上から目線だと???
メリルは問われた内容がどうこう以前に『それ』の言葉遣いが気に食わなかった。
まるで恵みを与えてやるとでも言わんばかりの『それ』の口調は、既にキレているメリルの神経を凄まじく逆撫でした。
だからメリルはふんぞり返って、偉そうに腕組みをしてこう答えた。
「
自信満々に、余裕綽々に。
まだ自分を天才と信じて疑わない少女は、本心からの言葉を続ける。
「だって私、なんでもできるもん。あなたなんかに頼まなくたって」
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