第51話『あなたの願いは④』
これは意外な話なのだが、天使というものの存在を教会は認めていない。
正確にいえば『天使とはすなわち悪魔祓いのことである』というスタンスを一貫している。
天使とは『神が地上の民草を導くために送る使徒』なのだから、それは『聖なる力を授けられた悪魔祓いたち』に他ならない。なので仮に『翼を生やした人間のような超常存在』が実際に現れたとしても、それは人心を惑わす悪魔でしかない――と教会は断じている。
母の異名の一つに『地上の天使』というものがあるが、実際のところユノもヴィーラも含め、悪魔祓いは皆が教義上の『天使』に当たるのだ。
では『翼を生やした人間のような超常存在』という一般的な天使のイメージがどこから来たのかというと、教会成立以前の古代宗教にて培われ、絵画や彫刻といった美術作品を通じて広く普及したのだという。
現在でもそうした旧来の天使像をモチーフとした美術品は制作されている。
悪魔崇拝を決して許さない教会のことだから、普段なら烈火のごとく怒って絵画を焼いたり彫刻を破壊したりしそうなところだが、これに限っては例外的に黙認されている。
というのも、かつての布教の歴史において、教会がそうした美術作品を積極的に活用してきたからである。教会のシンボルが『翼』というのも、古代宗教で神聖な存在とされた天使のイメージに便乗したフシがあるようだ。
しかし、そうした現状下で問題となるのが【偽りの天使】の存在である。
「なんかこう……大人の事情がいろいろある悪魔っぽいなぁ……」
私は教会本部の資料室で【偽りの天使】の詳細について調べていた。
無言で無視すれば危害を加えてこない悪魔にも関わらず、討伐の優先順位は最高ランクに設定されている。これも『天使らしい外見の存在が人間に危害を加えては、教会の信用問題となる』という背景があってのものらしい。
まあ、背景事情はこの際どうでもいいのだ。
私が知りたいのは、何の力もない子供がどうやってこの悪魔を倒したということ――だったのだが。
「過去の討伐記録にそんなのないんだけど……?」
教会の記録にある限りでは、すべて悪魔祓いの手によって討伐されている。
討伐を担当した悪魔祓いの中には母の名もあった。
私はふむと考える。
たとえば【弔いの焔】のような雑魚悪魔なら、私だってなんとかなる。この【偽りの天使】も案外、ダイレクトに暴力に訴えてみたらすごく弱いのかもしれない。
楽観的にそう推測してみるが――よくよく過去の記録を読んでみると【偽りの天使】が悪魔祓いを返り討ちにした事例も報告されていた。
その事例では、討伐を担当した悪魔祓いが攻撃を仕掛けたところ、反撃として【偽りの天使】が悪夢のような幻を見せてきたらしい。しかもその悪夢は一瞬のものではなく、悪魔祓いは『悪夢の中で数十年の時を過ごした』という。
その後、当該の悪魔祓いは数日間ほど錯乱した状態だったが、一週間も経たぬうちに後遺症なく回復した。トラウマじみた悪夢の記憶が急速に消え去り、通常の精神状態に戻ったのだ。
ただし『何か恐ろしい目に遭っていた』という感覚だけは、いつまでも残ったそうだが。
(反撃してくることもあるなら、雑魚悪魔っていうわけでもないのかぁ……)
私はパラパラと資料をめくる。
その中には教会が蒐集したと思しき、民話じみた【偽りの天使】との遭遇例もあった。
――それは商人の話と、少年の話だった。
商人は富を願い、国を統べるまでの成功の夢を見せられ、現実に戻ることを拒否した。きっとその後は衰弱死したのだろう。
少年は同じく富を願ったが、夢の中で深く後悔し、無事に現実へと戻ることができた。その後は悪魔と二度と出会わなかったという。
この二つの話を読んで、私は率直にこう思った。
(なんか扱いが不公平じゃない……?)
商人は一から十まで完全無欠に成功する夢を見せられたため、すっかり魅了されてしまった。
一方、少年は夢の中で父親を亡くしている。商人のときと比べたらずいぶん悪意のある願いの叶え方だった。
(いや。むしろ商人のときの方こそ悪意があるのかな……?)
素晴らしい夢だったからこそ、商人は現実に戻れなくなった。
少年は残酷な夢を見せられたからこそ、現実に戻ることができた。
――もしかして、子供に甘い?
そう閃いて過去の事例を再び漁ってみるが、残念ながら私の勘は外れた。過去の犠牲者の中には少数ながら子供も含まれていた。
「あー! もう! ママが教えてくれたら手っ取り早いのに!」
私は資料室の机に突っ伏して嘆いた。
と、そのとき。
「メリル・クライン様」
よく知った声が背中に聞こえた。
「ユノ君?」
振り返るとそこには、ユノがびしりと直立不動の姿勢で立っていた。
「ここにいらっしゃると聞きまして……先日はせっかく見学のお声がけをいただいたのに、不在にしており申し訳ありませんでした」
「それなら仕方ないですよ。任務だったんですから」
先日の【弔いの焔】事件のことだろう。
結果的にはあの事件でユノの力は不要だったし、もし連れて行ったら最悪ユノとヴィーラが誤解のまま戦うハメになっていたかもしれない。
今にして思えば、不在でいてくれてむしろ助かった。
「わざわざ謝るために来たんですか? 律儀ですね」
「はい。次こそは必ずお供させていただければと……しかし、本当に残念です。メリル・クライン様が事件を解決する雄姿をぜひまた拝見したかったのですが」
「いえいえ、雄姿だなんてそんな。前回の任務は失敗でしたし」
そこでユノはまっすぐな眼差しを私に向けてきた。
「その任務に同行したヴィーラ様が、ここ最近とても機嫌がよさそうでして」
「えっ」
「きっと、ただの失敗ではなかったのでしょう。僕はそう信じています」
なんか妙に勘が鋭いぞこのガキ。
っていうかヴィーラの機嫌がよさそうなのも何か怖い。私が後ろ盾についたとか思って、やりたい放題しまくっているんじゃないだろうか。めちゃくちゃ心配だ。
「ところでメリル・クライン様。何か調べものですか?」
「あ、はい。まあ別に任務とかそういうわけではないんですけど……ちょっとした勉強として」
「日頃から勉学に励むとは流石でございます」
尊敬の表情となるユノ。半ば騙している私が言うのもなんだが、このガキはいつか詐欺に引っ掛かりそうな気がする。将来がちょっと不安だ。
「どのような悪魔について調べているのですか?」
「【偽りの天使】っていう悪魔です。ユノ君知ってますか?」
「申し訳ありません。僕もまだ勉強不足でして……よろしければ、どのような悪魔なのかメリル・クライン様のご見解を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」
そうは言われても、私も今日ここの資料で知った知識しかない。
まあいい。読んだ内容を適当に要約して伝えればいいだろう。
「えっとですね、ユノ君。この悪魔は要するに――……」
説明しかけた私だったが、そこでふと言葉が止まる。
「メリル・クライン様?」
「そもそもこの悪魔は、いったい何がしたいんでしょう?」
適当に短くまとめようとして、そこが全然分からなかった。
人間を取って食うわけではない。幻の世界に魅了して衰弱死させることはあるが、悪夢じみた幻を見せて魅了を放棄することもある。
【偽りの天使】がどういった行動を取るかは資料に多々記録されている。しかし、何を目的として行動しているのか、ちっとも伝わってこないのだ。
(もしかすると……)
この悪魔を倒すためのヒントは、そこに隠されているのだろうか。
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