第50話『あなたの願いは③』

「わぁ! すごい! すごい!」


 四歳を迎えたばかりの幼いが、列車の中で思い切りはしゃいでいる。

 どこまでも続く線路。揺れる車両。流れゆく車窓の風景。生まれてからずっと、結界に護られた家の中でしか過ごしていなかった娘にとっては、今この一秒一秒が目まぐるしいほど新鮮な体験であるに違いない。


「ねえママ! 今でっかいお池があった! たくさんお魚いるかも!」

「……そうね」


 湖を通り過ぎれば娘はそうはしゃぎ、林野を通り過ぎれば「木がたくさん!」とはしゃいだ。

 最近の娘は家にいても、よく好奇心を持て余しているらしい。

 使用人が買い出しに行こうとすると「私もついていく!」と駄々を捏ね始め、使用人がそれを丁寧に拒めば、頬を膨らませて「ママに言いつけるぞ!」と悪質なキレ方をしてくるのだそうだ。


 無論、私は使用人たちに「絶対に娘を外に出すな」と言い含めてあるから、娘の幼稚な脅しは毎回まったくの無駄に終わる。しかし、それでも使用人たちは少しばかり申し訳なく感じるらしい。

 まあ、それは当然だ。

 他ならぬ私自身、娘を軟禁のような状況に置いていることに後ろめたさを感じているのだから。


 だから今回、こうして――


旅行りょこーってすごいね! とっても楽しいね!」


 そう笑いながら、娘は車両の中を駆け回っている。

 未だに娘とどう会話していいか分からない私は、曖昧に「……ええ」とだけ頷く。


 実際のところ、これは旅行などではない。

 れっきとした悪魔祓いとしての任務である。それを「旅行」と称して、娘を庇護下に置きつつ同行させているのだ。


「メリルちゃん。外は危ないから、絶対に私の言うことを守ってね」

「うん! 分かった!」

「じゃあ、窓から身を乗り出すのはやめて」

「もうちょっとだけ!」


 列車の窓から落っこちそうなくらい上体を乗り出す娘は、煤煙の混じった向かい風を浴びながら「煙くさい!」とケラケラ笑っている。

 もしバランスを崩して落ちたとしても、私の瞬発力なら即座に拾い上げることができるが――私はつかつかと歩み寄って娘を抱き上げ、窓から遠ざけた。


「あぁ~。あとちょっと~」

「危ないから」


 本来ならこの危険行為をもっと叱るべきなのだろうが、正直なところ子供をどうやって叱ればいいのか未だによく分からない。

 脅すことは得意だし、力尽くで言うことを聞かせるのも得意だ。


 ただ、我が子への躾とはそういうものではないと思う。

 一度そんなことをしてしまえば、娘はこの先ずっと私に怯え続けることだろう。


 窓から引き離された娘はしばしむくれていたが、私が抱きかかえたままでいると、次第に機嫌がよくなってきた。


 ふうと私はため息をついて、あやすように娘の背を撫でながらソファに腰かける。

 泣いたりされたら本当に困ってしまうところだった。悪魔を百体倒すよりも娘の相手の方がよっぽど気疲れする。


 やがて、娘は私の腕の中ですうすうと寝息を立て始めた。

 小さな温もりを腕に感じたまま、私はか細い声で囁く。


「……ごめんね、メリルちゃん」


 呑気に眠る娘は、この先に待っている恐怖をまだ知らない。

 娘を悪魔祓いの任務に同行させたのは、気晴らしの旅行をさせるためだけではない。


「悪魔がどれだけ恐ろしい存在か……あなたには、ちゃんと知っていて欲しいの」


 本物の悪魔を――その恐ろしさを、娘に教えるためである。



――――――……



「えっ! 四歳の子でも倒せた悪魔がいるの!? 何それ知りたい! 手柄稼ぎのボーナス悪魔ってことだよね!? なんていう悪魔!?」


 母の口から飛び出した思わぬ耳より情報に、私は歓喜して食いついた。

 そんな雑魚悪魔がいるのなら、教会の事務の人あたりに頼んで優先的に任務を回してもらうようにしよう。そして私の手柄にしまくるのだ。


「そうね~。必ずしもボーナス悪魔だなんていうものではないのだけど……ところでメリルちゃん。一つ質問していいかしら?」

「なあに?」

「もしどんな願いでも叶うなら、あなたは何を望むかしら?」


 私はふむと唸って、ほぼ迷わずに答える。


「ママみたいな力」


 そして右の拳をがっつりと握る。

 圧倒的かつ絶対的な力。それさえあれば世の中の問題は9割9分なんとかなる。今までみたいに口八丁で悪魔との戦いを避ける必要もなくなる。どんな悪魔だって問答無用で瞬殺だ。


「あら~。何を言ってるのかしら? メリルちゃんは私よりもよっぽど強いじゃない~?」

「だから茶化さないでママ。で、何の意味があるのその質問?」

「その悪魔は【偽りの天使】と呼ばれるもので、出会った人間に必ずそういう質問をしてくるの」


 母はそう言うと、注意するように私の額を優しくつついた。


「そして、その願いを叶えてくれる――いえ、叶ったように錯覚させてくるの」

「錯覚?」

「本当に願いが叶うわけじゃなく、ただ幻を見せてくるだけなのよ。幻から覚めたら手元には何も残ってないし、時間だってせいぜい数秒しか経ってないわ」

「なにそれ。変な悪魔。幻を見せて、その間に襲い掛かってきたりしないの?」


 いいえ、と母は首を振る。


「この悪魔が物理的に危害を加えてくることはないの。だけど、無害な悪魔とは到底いえないわね。幻の世界に魅了されてしまった人間は、目が覚めた後も悪魔に願いを繰り返し続けるから。そうして現実のことをすっかり忘れて、永遠に願いを唱え続けるだけの廃人になる。最終的には現実の寝食もままならなくなって、衰弱死してしまうわ」


 私は真顔になった。

 ボーナス悪魔だなんてとんでもない。普通に危険な悪魔だった。


「あ、でも。質問に何も答えなかったらどうなるの?」

「その場合は諦めて去っていくから、対処さえ知ってれば無害といえるわね~」


 なるほど、ならば無言を貫けばとりあえず大丈夫か。

 しかし去っていくだけなら討伐実績にはカウントできまい。手柄稼ぎには使えそうもない。


「でもママ。それなら、その四歳の子はどうやってその悪魔を倒したの?」

「うふふ。知りたい?」

「知りたい!」


 私が目をキラキラさせてそう答えると、母は唇の前に指を立てて言った。


「――それは、ママだけの内緒」


 私は母の胸倉を締め上げた。

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