第40話『罪科は焼け残る②』

 墓が燃えている。

 供養に訪れる者も絶えて久しい、郊外の朽ち果てた廃墓地。そこは今、見渡す限りの炎の海と化していた。

 天まで昇るほどの火柱があちこちに立ち、夜だというのに辺り一帯は昼日中のように明るい。


 そしてこれは、ただの火災ではなかった。


「これだけの炎だというのに……なぜ、熱くないのでしょう?」


 燃え上がる墓地の前に集っているのは、聖騎士の一団だった。

 地方の駐屯地から聖都に帰還する道中で、この火災を見つけて駆けつけたのだ。

 燃えているのが人家でもないただの廃墓地と分かって安堵した彼らだったが――その炎が普通のものではないと分かって、途端に緊張を取り戻した。


 炎が熱くないのだ。

 燃え盛る火柱に近づいてみても、炎が発するべき熱をほとんど感じない。人肌のような温かみをほのかに感じる程度だ。

 さらに、墓地の周りの木々などにも一切飛び火していない。聖騎士の一人が試しに丸めた紙屑を炎の中に投げ込んでみたところ、紙屑は燃えることなく炎の中を転がるだけだった。


「――【弔いの】だな」


 疑問に隊員たちが首を捻る中、隊長格の男性がそう言った。

 一斉に隊員たちの視線が彼に集まる。


「なんですか隊長。【弔いの焔】というのは」

「悪魔だよ。ああ、心配するな。そこまで強力なやつじゃない。この炎そのものが悪魔で、『死体だけを燃やす』って習性なんだ。俺が若いころに何度か対応したことがある」


 無精髭を撫でながらそう言うと、隊長は荷物の中から聖水の樽を取り出すよう命じた。

 悪魔祓いが祈祷によって聖なる力を込めた水である。高等な悪魔に対してはさほど役に立たないが、低級悪魔の浄化には大いに役立つ。


「対処は簡単だ。剣とか槍を聖水に浸せ。その武器で炎を薙げばすぐ消える――武器持ってないやつがいたら、木の枝でもいいぞ」


 隊長のジョークに部下たちは笑った。

 仮にも彼らは聖騎士である。武器を携えていない者など一人もいない。

 彼らは指示に従って武器を聖水に浸し、目の前の炎を薙いでいった。巨大な火柱もたった一薙ぎで霧散するほどあっけなかったため、中には露骨に拍子抜けする隊員すらいた。


「おう、忘れてた。凶悪化した【弔いの焔】が生きてる人間を燃やしまくった事例も昔はあったらしいから、くれぐれも油断すんなよお前ら」


 隊長のその一言で、全員が気を引き締めなおした。

 幸いにもそんな事態とはならず、それから数分のうちに墓場の炎はほぼ消し止められた。


「よし、怪我人はいないな。じゃあ撤収前にもう一度墓場の中を見回ってこい。どこかでまだ火が燻ってるかもしれないからな」


 敬礼して指示に従った聖騎士たちが、それぞれ担当の区画を割り振って入念に残り火がないか確かめていく。


 ――そのときだった。


「うわあああっ!!」


 若い隊員の一人が悲鳴を上げた。

 即座に隊長やベテランの隊員が動き、彼の元に駆け寄る。


「どうした!?」

「うっ、腕が。人の腕が……!」


 隊員が指差したのは、墓地の中の草藪だった。

 長年放置されていたためか、雑草が好き放題に伸びている。本来ならここは故人のために花でも植えるスペースだったのかもしれない。


 そこに――人間の腕が転がっていた。


 肩からざっくりと切り落とされた右腕。断面はまだ血が滴りそうなほど生々しく、腐敗している様子もない。


「これは……」

「隊長! こちらにも!」


 ベテランの隊員が草藪を掻き分けると、さらに他の腕が出てきた。

 いいや、腕だけではなく足も。さらに内蔵と思しき肉の塊までもが草藪の中に隠されていた。


 その後、現場の聖騎士たちは総出で墓地中を捜索。

 結果、推定数十人分の四肢や内臓が発見・回収された――



――――――――……


「うぷっ」


 依頼書の事件詳細を読んだ私は、想像しただけでちょっと吐き気を催した。

 せっかく用意していた茶菓子への食欲も失せてしまう。


「ね、ねぇママ……これって【弔いの焔】っていう悪魔の仕業なの?」

「いいえ。おそらく違うわ」


 一方、母はいたって平気そうに紅茶を啜っている。


「過去に数件、凶悪化して人間を襲った事例はあるけど、【弔いの焔】が持つ『炎そのもの』という特性はそのままだったわ。だけど今回の件は、人間を焼くこともなく、生のままバラバラにしている。とても『炎』がやることとは思えないもの」

「じゃあ、どういう……?」


 私の疑問に母はにこりと笑った。


「【弔いの焔】が凶悪化した過去の数件がどんな事例だったか知ってる?」

「知らないけど……」

「悪魔の知識を持った殺人犯が【弔いの焔】を飼っていたのよ。被害者の遺体を骨も残さず燃やし尽くして、証拠を隠滅するために――まあ、どの事例でも最終的に犯人は凶悪化した【弔いの焔】に焼き殺されてしまったのだけど」


 私は目を見開いた。

 そうか。遺体だけを完璧に燃やして、それ以外のすべてを燃やさない炎というのは――そういった殺人犯にとってこの上なく都合のよいものではないか。


「不思議なものでね。あまり害のない悪魔でも、悪意のもとに利用されればすぐに凶悪化してしまう傾向があるの」

「その……つまりママ。今回の事件も『悪魔の知識がある殺人犯』の仕業っていうこと?」

「ええ、教会はそう見ているわ。過去の例と同じく殺人犯が証拠隠滅のために【弔いの焔】を利用したと。たまたま聖騎士団が近くにいたから燃え残ってしまったようだけど、あのまま消火されずにいたら、本当に何の痕跡も残らなかったでしょうね」


 なるほど。

 だから白狼を利用して、現場に残っているであろう猟奇殺人鬼の臭跡を辿りたいと。

 私はしばらく腕組みをして考え込み、それから派手にテーブルを叩いた。


「ママ! 私はこんな依頼、受けるつもりなんてないから!」

「あら~。どうして?」

「だって都合がよすぎるもん! 教会は狼さんのことを認めてないし、なんならドゥゼルの事件のときの謝罪もしてないし――それに! 人間同士のゴタゴタに狼さんを巻き込むのは筋違いだと思う!」


 まっとうな義憤じみた台詞を並べ立てる私だが、すべて心にもない嘘である。

 白狼の処遇など心底どうでもいい。役に立つならいくらでも利用すればいいと思う。


 しかし――猟奇殺人鬼の追跡なんて任務は死んでも御免だ。


 そりゃあ悪魔とは戦わなくていいかもしれない。だが、こちらは非力で儚くか弱い14歳の美少女なのだ。刃物を持った殺人鬼だって悪魔と同じくらい怖い。なんならその犯人が【弔いの焔】以上に凶悪な悪魔を飼っている可能性だってある。


「ですよね狼さん! 教会に利用されるなんてまっぴらですよね!?」


 私は同意を求めて白狼を振り向いた。

 この依頼の話を聞いたとき、白狼は不機嫌そうな顔をしていた。教会を快く思っていないのは明らかだ。絶対に断ってくれるに違いない。


 白狼は目を丸くして私を見た後、不敵に笑った。


「ふ、そうだな」


 よし、なかなか空気を読んでくれるじゃないかこの犬。

 後でご褒美に生ハムをくれてやろう。


「だが娘よ。貴様に利用されるのならば、そう悪い気はせん」


 おい待て。

 流れを変えてくるなこのクソ犬。もっと反抗しろ。意地を張れ。ガッツを見せろ。いくらなんでも聞き分けがよすぎる。それでも悪魔か。


「いやっ、でも……しかしですね狼さん」

「遠慮するな。人間をバラバラにして打ち棄てるような悪鬼を、貴様とて見過ごせはせんだろう」


 全力で見過ごしたい。

 だって関わり合いになりたくないもん。そんなヤバい奴と。


「狼さんも乗り気みたいだし、依頼を受けてくれるということでいいわね~?」


 私が逡巡している間に、母はニコニコと圧を掛けてくる。

 ダメだ。ノーといえそうな雰囲気ではない。


 ならばと私は最終手段に出る。


「も、もちろん依頼は受けるけど、その前に教会本部に寄っていいかな?」

「いいけれど、何か用でもあるの~?」

「ちょっと調べものをしたいの! ええと……【弔いの焔】っていう悪魔についてもっとよく知りたいなぁと……」

「それはいい心がけね~」


 嘘である。

 母にも頼れず、犬が無駄に乗り気なのだから、ここで私が身を護る術はただ一つ。


(教会本部に行って、ユノ君を道連れにしよう……!)


 私が唯一コネを持っている悪魔祓い――ユノ・アギウスを護衛役として引っ張ってくることだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る