第38話『彼岸より響く歌⑳』
「くそ! 貴様ら……最初からこのつもりだったのだな!?」
床に押し倒された街の幹部どもが、ダミ声でそう喚く。
ルズガータの街の中心部にある迎賓館。今晩ここでは、聖女の歓迎式典が催されるはずだった。教会の最高権力者である聖女に謁見し、あわよくば
罵詈雑言を並べ立てて騒ぐお偉方を見ても、聖女は特に何の感想も覚えなかった。見慣れたいつもの光景である。
「聖女様。拘束完了いたしました」
「ご苦労様。後は任せてもいいかしら?」
「了解しました」
隊長格の聖騎士は素早く敬礼してから、部下たちに指示を飛ばして街の幹部陣を連行していく。
彼らが問われる罪は『強制労働』や『人身売買』だけではない。最悪の罪である『悪魔を召喚した罪』も上乗せされることだろう。まず極刑は免れまい。
そんな行く末を察しているのだろう。
聖騎士に引き立てられる幹部連中は、血走った形相でこちらを睨んでいた。
「それじゃあ皆様、ごきげんよう」
そんな彼らに、聖女は美しく微笑んで背を向ける。
迎賓館の外に出ると、夜の空気が冷たかった
いくら悪魔が討伐されたといえど、まだ街の雰囲気は暗い。炭鉱街なのだから酒場などは繁盛するはずだろうに、どこもかしこも明かりが消えている。
そんな夜道を歩いていると、ふと白い影が脇道から現れた。
「――ずいぶん派手な『引継ぎ』だったようだな」
白狼だった。
まさか悪魔が出迎えにやってくるとは思ってもみず、聖女は苦笑を漏らす。
「あら狼さん。お迎えに来てくれたのかしら?」
「ふん、貴様がキナ臭い企みをしてないか探りに来ただけだ」
「それは困るわぁ。悪いことができないわね~」
聖女は茶化して、宿場に向かう白狼と足並みを揃える。
「悪いこと、か。さきほど聖騎士どもの会話が漏れ聞こえたのだが――『教会がこの炭鉱を接収する』と聞こえたぞ」
ぴくぴくと耳を動かしながら白狼がそう言った。
さすが獣の悪魔だ。単純な五感の鋭さにかけては、こちらを遥かに凌いでいる。
「接収だなんて人聞きが悪いわね。この炭鉱に出資していた商家が『現地での非道を見抜けなかった贖罪として、炭鉱の全権利を教会に譲り渡す』と自ら申し出てくれたのよ」
「だろうな。教会の匙加減一つでその商家とやらも重罪に問える。炭鉱一つで手打ちにできるなら、喜んで差し出すだろう」
正解である。
まあ、実際は炭鉱の権利どころではない。今後、その商家は教会に対して一切頭が上がらなくなる。勝手に怯えて寄進――という名の上納金も弾んでくれるだろう。
「どこまでが
「狼さん。悪魔があまり教会の事情に首を突っ込まない方がいいと思うけれど?」
「ならば我をここで消すか?」
聖女と白狼は足を止め、互いに鋭く視線を交錯させる。
が、聖女はくすりと笑った。
「いいえ。だってあなたはメリルちゃんのお友達だもの」
「……メリル・クラインはこのことを知っているのか?」
「あの子が知っていると思う?」
白狼はぷいと首を振った。
「あの娘はこんな手を好まん」
「そうよ。だからこれは大人の仕事」
止めていた足を再び前に動かす。一歩遅れる形で、やや警戒しながら白狼がついてくる。
「教会は悪魔の情報を独占してる。【誘いの歌声】が現れればそこに子供の死がある――そんな風に、悪魔を見ればその土地の抱える闇が見えるの。教会がどんな国にも商会にも勝る力を持っているのは、悪魔祓いを抱えているからというだけではなく、そういう情報の優位もあるのよ」
「……気に食わんな。凶悪な悪魔が発生する条件を知っているなら、公表してそもそも発生を予防すべきだろうに」
「大昔はそうしていたのだけど」
聖女自身も直接知っているわけではない。数百年も昔の話だ。
まだ黎明期にあった教会は、悪魔の発生条件についての知見を広く世に伝えようとした。だが、それはまったく受け入れられなかった。聞き入れられないどころか、弾圧を受けることすら珍しくなかったという。
「考えてもみて、狼さん。もともと【誘いの歌声】なんかは、飢饉の地で口減らしを『代行』してくれる存在だったの。それを発生させるなといったところで……受け入れられないでしょう? だって【誘いの歌声】がいなければ、親は自らの手で子を殺さないといけなくなるもの」
「む……」
人々の悪意から生まれる悪魔は、ただの邪悪な怪物ではない。
邪悪な願いを叶えるために現れる、必要悪とでも呼ぶべき存在なのだ。もし彼らの発生を予防しようとするなら、その悪意を人間自身が実行しなければならなくなる。
「それにね」
そして何よりも、人々が事実を受け容れるためには、もっと大きな壁があった。
「『あの怪物はお前たちのせいで生まれた』なんて耳に痛いお説教を、誰も信じたくなかったのよ」
それから教会は方針を転換した。
悪魔とは例外なく邪悪な怪物であり、教会のみがそれを祓うことができる――と。
真実を削ぎ落して単純化したこの構図が、皮肉なことに多くの支持を得るに至った。
「でも私は、今の教会のやり方がそう間違っているとは思わないの。悪魔の出没を把握する情報網の構築にも、悪魔を倒すための戦力の維持にも、相応の費用がかかるわ。汚いやり方と言われても資金繰りは大事と思わない?」
「我に金の話などされてもな」
「あら、ごめんなさい」
すたすたと先を行く白狼に軽く謝り、聖女は夜道を進む。
「……でもね、母親としては、メリルちゃんはこんな大人になって欲しくないと思うの。我儘かしら?」
「何をいまさら」
呆れるように白狼が溜息をついた。
「あの娘は貴様のようにはならんさ。絶対にな」
――――――――――……
十年も昔の話だ。
そのころの私は任務に明け暮れていて、自宅に帰るのは年に数日程度しかなかった。
休もうと思えば休めたかもしれない。しかし私は、明確に自宅を――いや、そこにいる娘を避けていた。
愛していなかったわけではない。だが、私のように悪魔の死臭で穢れた人間が近寄れば、娘にもそれが移ってしまう気がした。
一時は娘を手放すことも考えた。
私の娘である以上、いつか悪魔に狙われる。ならば『メリル・クライン』という人間は不慮の事故で亡くなったことにして、別人として密かに養子に出すべきではないか、と。
しかし、名を変えた程度で狡猾な悪魔どもの目を誤魔化せるだろうか。そう考えると堂々巡りに陥ってしまい、結局何もできないまま、ずっと娘を結界の中に閉じ込めるだけだった。
哀れな子だ、と思っていた。
私のような化物から生まれ、数多の悪魔からその命を狙われ。
私とて不老不死ではない。いつか私がいなくなったとき、この子はどれだけ悲惨な未来を迎えるのだろうか。
今は『メリル・クラインは
だから私は――任務に逃げた。
娘のことを見なくていいから。悪魔を殺せば殺すだけ、娘のために何かをしている気分になれたから。悪魔を根絶やしになんかできるわけないのに、自分ならそれができると言い聞かせて、毎日のように悪魔を殺し続けた。
そして娘の、四歳の誕生日が来た。
教会の誰かが気を利かせたようで、本部に赴いてもその日は『一件も仕事はない』の一点張りだった。さらに、たまたまその場に居合わせた親しい修道女に『酷い顔をしているから今日は休め』とまで言われてしまった。鏡を見たら、本当に腐った魚みたいな目をしていてなぜか笑った。そのまま三分ほど笑い続けていたら、修道女にビンタされて家まで強制連行された。
あのとき私は、おかしくなりかけていたと思う。
数か月ぶりに自宅に帰って、私はやはり娘と会うことから逃げようとして、ふらふらと厨房に向かった。娘はまだ幼く、料理なんかはできない。厨房にいれば娘に見つかることはあり得ない。
――と思っていたが。
「せ、聖女様! お帰りだったのですか!?」
娘には見つからずとも、炊事担当の使用人にはあっさり見つかった。
隠れもせず厨房の床で座り込んでいたのだから、当然といえば当然だ。
私は死んだ目で彼を眺めて、
「娘には言わないで」
とだけ言った。
使用人は一瞬「なぜ?」といった風に目を丸くしたが、やがて表情を明るくして頷いた。
「なるほど。つまり、メリル様への誕生日サプライズですね……!?」
「は?」
「となれば、こうしてはおれません! より上等な食材を仕入れて参ります!」
そう言うと、使用人は市場へと買い出しに向かってしまった。
よく分からない解釈をされてしまった。
しかし――誕生日とは。
今となっては本当に恥ずかしいことだが、私はここで初めてその日が娘の誕生日だと気づいた。
顔を合わせるのすら辛いのに、パーティーに参加など冗談ではない。申し訳ないが『緊急の任務が入った』などと嘘の書き置きをして、適当に脱出しよう――そう思ったところで、微かに良心が痛んだ。
それはあまりに可哀そうか。
よく考えたら、これまで誕生日を祝ってやったことがあっただろうか。一歳のときも二歳のときも三歳のときも、任務で家を空けていたと思う。
(何か、お詫びくらいは残していこう)
書き置きを残して逃げる方針は変わらなかったが、せめてものお詫びを一緒に残すことに決めた。といっても、プレゼントになりそうなものは持っていない。
(……作るか)
幸い、ここは厨房である。
使用人は『買い出しに行ってくる』と言っていたが、食糧庫を覗いてみた感じ、十分にいろいろと揃っている。
修道院で暮らしていた子供の頃は、定期的に料理当番が回ってきたので、料理の経験はある。周りからも結構好評だったと記憶している。
誕生日ならば
レシピを覚えているか不安だったが、動き出せば手が覚えていた。焼き型が見当たらなかったので円形の結界を張って生地を流し込み、加熱したオーブンに突っ込む。
生地が焼けるまでに牛乳とバターを攪拌してクリームを作る。これが私の一番の得意作業だった。なんといっても単純な力仕事だったので。
焼きあがった生地を火傷治療の奇蹟の要領で強制的に冷まし、手早くクリームを塗りたくる。ここまで一時間もかかっていない。これなら使用人が帰ってくるまでに無事逃げられそうだ。
出来上がったケーキにドライフルーツをまぶして彩りを整えたところで――
――臭い。
私はそう思ってしまった。
ケーキから死臭がする、と。
途端に自分への嫌悪感が湧いた。
つい昨日まで悪魔を握りつぶしていたような手で、本気で我が子に菓子など作るつもりだったのか。
一瞬前まではそれなりの出来に見えていたケーキが、今や悪臭を放つ汚物としか見えなくなった。
己の愚かさに歯噛みした私は、ケーキに砂糖をぶちまけた。汚物を砂で埋める獣のように。
それでも臭いは消えなかった。
私はその場にあった香辛料の瓶を掴み、ケーキの上に振りまいた。鼻を刺すような刺激臭で、少しだけ死臭がマシになる。
香草、
いや、そもそも最初から正気ではなかったのかもしれない。
ケーキの残骸を前に私は茫然と立ち尽くした。
やはり逃げよう。こんな物体の後始末を任せるのは申し訳ないが、こんな状態で娘の誕生パーティーに追いやられてはたまらない。
そのとき。
「あっ! ママ!!」
幼い声に、心臓が飛び出そうになった。
厨房の入口を振り返れば、そこには娘がいた。
「……どうして」
娘が厨房に立ち入ることなんてないはずだ。
それなのに、なぜ。
「ご飯のおじさんが言ってたの! 『絶対に厨房に近づいちゃダメですよお嬢様』って! だから厨房に凄いものがあると思ったの!」
あの使用人。覚えてろ。給料減らしてやる。
「私の誕生日だから帰ってきてくれたんでしょ!? そうでしょ!?」
無邪気な笑顔で娘は私の足元に縋りついてきた。
それにどう答えていいか分からず、私は目を瞑った。
やはりこの子は私の手元に置いておくべきではない。だが、人手に渡したところでこの子が無事に過ごせる保証もない。
どうすればいい。このままではいつか、この子は邪悪な悪魔どもに八つ裂きにされ、生きたまま喰らわれるかもしれない――
悩む私の脳裏に、悪魔のような発想が閃いた。
――それならば、いっそ。
――ここで私が。
――この手で。
悪魔などに嬲り殺されるようなら、その方が。
「あ、このケーキ! ママが作ってくれたの? すごい! 食べちゃお!」
私が最悪の発想に至った瞬間、娘がケーキだったものを食べた。
食べてしまった。
私の喉から「あ」と変な声が漏れた。
娘の喉から「ぽ」と変な声が漏れた。
ばたりと倒れた娘が、白目を剥いてガクガクと震え始める。息の音もおかしい。吐瀉物が喉に詰まっているようだった。
「メリルちゃん! しっかり!」
私は反射的に娘の背中を叩き、喉につかえたものを吐き出させた。それから癒しの奇蹟を施して、身体が受けたショックを回復させる。
「はっ!」
娘は無事に目を覚ました。
聖女の手にかかればこの程度、治療のうちにも入らない。それでも私は心から焦った。
「大丈夫……? メリルちゃん」
「ママ」
そこで娘はものすごく真剣な表情になった。
「二度と料理しないで。いい?」
「……うん」
私は魂の抜けるような息を吐いた。
ああ。よかった、私はこの子を殺せない。
だってこんなしょうもないことで、こんなに安堵してしまったのだから。
それから私は、結局娘の誕生パーティーに出た。
娘にあんなものを食べさせてしまった負い目もあったし、逃げられるような状況でもなかった。
何を喋ってよいか分からず、終始ほとんど無言な私だったが、娘はそれでも機嫌がよさそうだった。
そして誕生パーティーの最後に、娘は指を弾いて(音は全然出ていなかったが)こう言ったのだ。
「例のものを」
娘がそう言うと、口の軽い無能使用人が蓋付きの皿を抱えてきた。
テーブルに置かれ、蓋が外されると――
「ママ。これが本当のケーキというもの。私が作ったの。私が」
そこにあったのは、まともなケーキだった。
見た瞬間、娘が嘘をついていると分かった。ケーキの造りがあまりによく出来過ぎている。私が使用人に視線をやると、帽子を外して苦笑していた。
(まあ、お手伝い程度はしたのかな……)
生地の出来に対して、クリームの塗り方だけはひどく雑だった。おそらく娘はそこだけやったのだろう。その程度の作業量で「私が作った」と臆面もなく主張できる面の皮の厚さは、我が娘ながら大したものだと思う。
「さあママ! とくと味わえ!」
嬉しそうに娘は、フォークに刺したケーキの欠片を私の口元に運んできた。
拒むこともできず私はそのまま一口。
「どう!? 美味しいでしょ!」
「……ええ、美味しい」
私がそう答えると、娘はえっへんと胸を張った。
「ふふん。さすが私。早くもママを越えてしまった……」
娘は自信満々だった。
この子はどうやら、本気で自分のことを
「だからね、ママ」
しかし娘は、私の内心など露知らずこう続けるのだった。
「ママが苦手なことは、私に任せなさい。私はママより天才だから、ママにはできないことだって余裕なんだから」
―――――――――……
「覚えてるかしら、メリルちゃん」
ルズガータの宿に戻ると、既に娘は自分用の部屋(貴賓室)で眠っていた。
月明かりだけが照らすその部屋の中で、寝台の傍らに座る聖女が、一人か細く呟いている。
「あなたのおかげで、私はまだ――」
聖女はしかし、その言葉の先を紡がない。
幸せそうに、それでいてどこか辛そうに、娘の寝顔を眺め続けている。
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