第37話『彼岸より響く歌⑲』

「まったく……まだ帰れないなんて」


 ルズガータの宿場の一室で、私は苛立ちながら菓子と茶を貪っていた。

 悪魔の討伐という当初の目的はユノの手によって達成された。しかし、これから教会が査察に乗り出し、街のお偉方を人身売買や強制労働の罪状で摘発するのだという。

 聖女ははがその引継ぎを終えるまで、私たちも帰れないのだそうだ。


「娘よ。聖都に帰りたいなら、貴様だけでも駆け行けばよいのではないか?」


 そんな私の横で、干し肉を齧りながら白狼がとんでもない提案をしてくる。


「貴様の足ならここから聖都まで瞬く間であろう。面倒事はあの死神に任せ、一人帰っても誰も文句は言うまい」

「え、ええと! そうしたいのは山々ですけど……ほら! ユノ君がまだ心配ですから!」


 そんな言い訳をして、私は部屋に備え付けの寝台を指差す。

 そこで穏やかに眠っているのはユノである。

 なんと彼は悪魔を討伐した直後、空中で意識を失ってしまったのだ。母が即座に回収したからよかったが、そうでなければそのまま落下死していたかもしれない。


 母曰く『ペース配分がまだ全然ダメね~』ということだった。

 まったくである。貴重な悪魔祓いが一人でも減れば、すなわち私の負担増に繋がるのだ。もっとそのあたりを自覚して、無謀な戦い方は厳に慎んで欲しい。


「……ん」


 そのとき、寝台で眠っていたユノが動いた。

 正直そこまで心配はしていなかったが、白狼に適当なことを言った手前、私は素早く椅子を寝台のそばに移す。


「目が覚めましたか? ユノ君」

「……メリル・クライン様」

「お疲れ様でした。なかなか見事な働きぶりだったと褒めてあげましょう。ですが、今後はもっと自分の身も案じて戦うように」


 私がそう注意すると、ユノは浅く頷いた。


「申し訳ありません。意識して戦ったのは初めてだったので……未熟なところをお見せしてしまいました」

「いえいえ、分かればいいんです」


 私は鷹揚に頷いてユノに微笑む。

 それから、菓子と紅茶のポットを載せたティー・テーブルを寝台の横に引きずってくる。


「まずは温かいお茶を飲んで身体を休めましょう。それが一番です」

「……その、メリル・クライン様」

「はいはい。口答えは後でいいですから」


 私は手早くポットから紅茶を注いでユノに手渡してやる。

 無論、無償の親切心でこのガキに優しくしてやっているわけではない。


 ユノは悪魔祓いの力をコントロールできるようになった。つまり、使える人材になったということである。

 ここで恩を売っておけば、将来的に私が窮地に陥ったとき、その力で助けてくれるかもしれない。とりあえず優しくしておいて損はない。


 ユノに無理やり紅茶を飲ませ、私もその脇で自分のカップに紅茶を注ぐ。

 それから私は、彼に話を促した。


「で、何ですか? まだ何かウジウジしているんですか?」

「いえ。たった今――母さんが夢に出てきたんです」


 私は「なんだそんなことか」と思う。

 あれだけ過去のトラウマを掘り返したのだ。そりゃあ、夢の中に故人が現れもするだろう。

 しかし私はそんな本心を表に出さず、慈愛に溢れた笑顔でガキの戯言に付き合ってやる。


「そうですか……それは大変素晴らしいですね、ユノ君。きっとあなたのお母さんも、あなたの成長を喜んでいたことでしょう」

「ええ……」


 ユノはそう言うと、恥ずかしそうに微笑んだ。


「輪郭のぼやけた姿でしたが……それでも母さんは母さんでした。僕のことを『心配する』けど『応援する』と、言ってくれたんです」


 そう言いながらユノは、大げさな身振り手振りを繰り返した。

 きっと、ユノが母との対話に用いていたジェスチャーなのだろう。子供が親との思い出を振り返るようで、その仕草は微笑ましくすらある。


 しかし、そこでユノは微妙に表情を曇らせた。


「あっ。ですが、その……夢の中でなぜか母さんが、少し不可解なメッセージを残しまして……」

「ふふ。どんなメッセージだったんですか?」


 私は紅茶を啜りながら、ガキのくだらない夢話に付き合ってやる。

 どうせ夢なのだから、整合性の合わないことなんていくらでも――


「……メリル・クライン様のことを『あの子』『腹が黒い』『気を付けて』と」

「んゲフぉっ!!!」


 私は紅茶を思いっきり噴き出した。

 ユノは私のことを盲信しているから、私の『腹が黒い』などという事実を夢にも思うまい。


 まさか――


 私は額に汗を浮かべながら周囲を見回す。

 見ているのか。ユノの母たる悪魔が。死してなお我が子を護ろうと、私のことを牽制してきているのか。

 背筋が一気に寒くなる。もし私がこの先ユノのことを利用しようとしたら、何か変な災いに見舞われるのではないか。


「母さんがメリル・クライン様のことをそんな風に言うはずがないでしょうから、やはりただの夢だったのでしょうか……?」

「ユノ君」


 私はがっしりとユノの両肩に手を置く。口の端から紅茶を垂らしつつ。


「それはあなたのお母さんが私に託した、非常に複雑かつ暗号めいたメッセージです。私にはその本意が伝わりました。ですので、疑う必要はありません。存分に温かな思い出に浸っていてください」


 そう伝えると、ユノはぱっとその表情を明るくした。

 一方、私は「お願いします許してくださいあなたのお子さんを利用とかしませんから多分」と心の中で繰り返しながら挙動不審に周囲を見渡していた。


 だから、ユノがその後に言った言葉を、ほとんど聞いていなかった。


「やっぱり、そうですよね。だって母さんは最後に『ありがとう』とも言っていましたから」

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