第36話『彼岸より響く歌⑱』

 自分が嫌いだった。

 いいや、今も変わらず嫌いなままだ。

 たぶんこれから一生、この嫌悪感が消えることはないのだろう。


 メリル・クライン様が語ったことが真実であろうと、そう簡単に割り切れるものではない。


「【誘いの歌声】よ。僕の声が聞こえますか」


 ユノは空を仰いでそう言った。

 母は言葉を解さぬ悪魔だったが、この悪魔は果たしてどうか。


 反応は言葉ではなく、攻撃で返ってきた。

 悲鳴のごとき咆哮。【誘いの歌声】が空で吼えたかと思うと、辺り一帯に破壊が巻き起こった。

 地面が抉れ、木々が薙ぎ倒され、その破壊が子供たちの眠る小屋へと迫り――


「子供たちは私が護るから、こちらは気にしないでね?」


 神々しい銀色の光が煌めいたかと思うと、小屋の周りに聖なる力の防壁が張られた。聖女様の奇蹟の力だ。


「感謝します」


 ユノは両脚に力を込める。

 途端に、炎のような紅光が脚に纏わった。ユノの持つ聖なる力だ。

 聖女様の力と比べれば単純で荒々しい。おそらく結界のように何かを護ったりするのには向かず、他人を癒すこともできない。ただ何かを傷つけて壊すためだけの力だ。


 紅光が燃え盛る。

 ユノは上空の【誘いの歌声】を見据えて、言葉を続ける。


「……子供たちの中には、あなたに救われた者もいるのかもしれません」


 坑道に潜らされ、肺病に倒れた子供たち。

 この【誘いの歌声】がいなければ、彼らの存在は誰にも知られることなく、闇から闇へ葬られていただろう。


「ですが、あなたはもう邪悪な人喰らいの悪魔と成り果ててしまった」


 しかしユノは悪魔の腹の中で、何の罪もない子供が消化されつつあるところも見た。

 たった今も、聖女様の結界がなければ、幾人の子供が命を失ったか分からない。


「だから悪魔祓いとして僕は、あなたを討ちます」


 宣告とともに、ユノは地面を蹴った。

 轟音と地響き。地に巨大なクレーターを穿って空へと跳んだユノは、砲弾のごとく一直線に【誘いの歌声】へ向かう。


「――――!!!!」


 そこに悪魔の迎撃が来る。

 ユノを撃ち落とさんと、またしても音波の砲撃が放たれる。


 ユノは脚に纏っていた紅光を、瞬時にその両手へ移した。

 そして音の砲撃を――掴んだ。


「あああぁあぁあああっ!!!!」


 猛獣のように叫び、ユノは音の砲撃を引き裂いた。

 何も護れない、何も癒せない力だからこそ、本来なら壊せないものすら壊せる。

 力の使い方を知っていたわけではない。だが、その扱い方が本能的に理解できた。


(――僕はずっと、この力で戦ってきたから)


 これまで悪魔祓いとして、数多くの悪魔を討ち取ってきた。

 記憶にはなくとも、その経験が身体に染みついている。


 空を蹴って加速。

 直上の【誘いの歌声】に迫る。


「悪魔よ、悲しき悪意の代行者よ」


 ずっと、悪魔と戦うことが怖かった。

 自分が傷つくことではなく、悪魔の命を絶ってしまうことが。


 もしも母さんのような『悪くない悪魔』がいたとしたら?

 それがたまらなく恐ろしかったから、正気を放り出して、ずっと見ないようにしていたのだ。自分の戦う姿を、悪魔の最期を。


「あなたに安らかな眠りを。あなたが子供たちに、それを与えたように」


 だけど、もう逃げないと決めた。


 ユノを脅威と判断したか【誘いの歌声】が、その姿をふいに掻き消した。

 本当に消えたわけではない。

 幻惑の薄皮を被る『擬態』で周囲の光景に溶け込んで、逃走を図っているのだ。


「僕はこの罪を――」


 ユノの手の中で紅光が輝く、炎のように揺らいだ後、象られるのは弓矢の形だ。

 悪魔の姿は見えない。しかし、それは必ずどこかにいる。

 ユノは弦を引き絞って、呟く。


「――忘れません」


 矢が奔った。

 空を裂くような赤い軌跡。変幻自在に飛んだ矢は、ただの一瞬で見事に悪魔の胸を貫いていた。


 聖なる力に身を焼かれた悪魔が、灰となって空に還っていく。

 力を使い切って地上へ落下しながらも、ユノはその光景から目を逸らさなかった。


 悪魔ははへの思慕を抱えて悪魔祓いを続けるのは、きっと辛いだろう。

 それでも、目標を見つけたのだ。


 いつかの日か。

 あの日の自分と母のような、不幸な結末に辿り着きかねない人間と悪魔がいたとき、それを救えるような人間になりたいと。

 人間だけではなく悪魔すら救ってしまうような、そんな悪魔祓いになりたいと。


 ――僕を救ってくれた、メリル・クライン様のような。


 母はどう思うだろうか。

 心配するだろうか、それとも応援してくれるだろうか。


 悲しき悪魔が燃え尽きるのを見届けた後、ユノは眠るように目を閉じた。

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