第32話『彼岸より響く歌⑭』

「まず最初に確認です。ユノ君、あなたは何歳ですか?」


 直前の私の無情な宣告に瞳を揺るがせたユノだったが、間髪入れずに問いを放つと、彼は躊躇いがちに答えた。


「出生の記録がないので、正確には分かりません。十一歳か十二歳程度かと思います」

「では、教会に保護されたのは何年前ですか? それは記録があるでしょう?」

「六年前でしたが……」


 うんうんと私は頷く。

 彼は【誘いの歌声】に育てられたため、ほとんど言葉を解さない子供だったという。それが今ほど流暢に喋れるようになり、読み書きまで覚え、悪魔祓いとしての修練も積んだというなら、最低でもそのくらいは経っているはずだ。


「だとすると明らかにおかしい点があるんです」

「おかしい……?」

「ええ、あなたが十二歳として、六年を遡ると保護当時は六歳だったことになります。そうだとすると――」


 当惑するユノに、私は告げる。


「あなたに体力がありすぎるんです」


 言われたユノはきょとんとした。意味を理解しかねているのだろう。

 私は懇切丁寧に、矛盾点を説いてやることにする。


「弓矢を使って鹿を仕留めたことがあるといいましたね? まず、子供の腕力でまともな弓を引くなんてことはできません。見事に鹿を射抜くなんて不可能も不可能です。さらに食料調達の際、一杯になった食料籠を背負って、森の中を走り回ったそうですね? これも六歳児にできることとは思えません」


 私は念押しのように指を立てる。


「もちろん、世の中には規格外の体力を持った子もいるかもしれません。だけどあなたはそうじゃありません。ついさっき鉱山を歩いていたとき、あなたは足も遅かったし無様に転ぶ始末でした。同年代の子供と比べてもひ弱な部類なのは明らかです」

「……ですが、僕は嘘などついていません。あのころの僕はそうやって暮らしてたんです」

「ええ、あなたが嘘をついたとは思っていません」


 そこから導き出せる結論は一つだ。


「あなたは当時から、聖なる力を無自覚なままに扱っていた。そのため子供にあるまじき身体能力を発揮していたんです」


 私は堂々と言い放った。

 実際のところ、これが事実かは分からない。もしかするとユノの母が作った弓矢が特別な悪魔の力を宿していたかもしれないし、なんなら当時の彼が火事場の馬鹿力を発揮していた可能性も捨てきれない。

 だが、今はそれっぽいことを言えればそれでいいのだ。それがそのまま、この後の説得力に繋がる。


「そうだったとして、それが何か関係あるのですか?」

「もちろん。非常に重要です」


 私は今回の任務への出発前、母と話した内容を思い出した。

 実家に強く結界を張ると白狼が死んでしまうから、そう強力な結界は張れない――母はそう言っていた。悪魔と悪魔祓いが共存するためには、それなりの配慮がいるのだ。聖なる力で悪魔を傷つけてしまわないよう。


「あなたが聖なる力を身に纏っていたなら、それはお母さんにとって致命的なことです。たとえば日常生活で手が触れ合う、それだけのことでも悪魔にとっては『焼けた鉄に手を触れる』のと同様の苦痛を伴ったことでしょう」

「……待ってください」


 ユノは耐えかねたかのように異論を挟んだ。


「母さんはそんな素振りを見せたことなんか……」

「そりゃあそうでしょう。我が子を心配させたくないでしょうから、死に物狂いで隠し通したと思いますよ」


 私は素知らぬ顔で平然と返す。

 真相は知らない。だが、私がこの話の中で都合よく仮定する『ユノの母だった悪魔』はその程度で音を上げる存在ではない。そうでなくては困る。


「そうして考えると、あなたのお母さんが床に臥せった理由も見方が変わってきませんか?」

「それは、どういう……」

「たとえばうちの犬っころ……白狼ですが、適当に生ハムなんかをあげるだけでピンピンしています。それに【雨の大蛇】を思い出してください。あれだけ大規模に気象を操る凄まじい力を持ちながらも、村人たちが捧げていたのは多少のネズミに過ぎませんでした。悪魔というのは、本当にそこまで飢えに弱いのでしょうか?」


 教鞭を垂れるように私は語る。

 もちろんこの推論にも根拠はない。白狼は母曰く動物ベースの悪魔らしいし、【雨の大蛇】は日頃から信仰を得ている存在だ。純粋に忌むべき悪魔とされる【誘いの歌声】とはそもそも性質が大きく違う。


 だが、そうした些事は敢えて思考の外に追いやった。

 聖女の娘メリル・クラインとして威厳あるように立ち振る舞い、有無を言わせぬ迫力を出すために。


「あなたのお母さんが衰弱したのは、飢えのせいではありません。あなたと一緒に暮らし続けたため、あなたの聖なる力に身を焼かれてしまったんです」

「……そんな、馬鹿な」


 ユノは歯を食いしばって叫んだ。


「そんなことがあるわけないでしょう! 触れただけで身を焼くような子供を、身近に置いて育てる必要がどこにあるんですか!?」

「その理由は、あなたが一番よく分かっているでしょう」


 この世のどこを探しても、そこに合理的で論理的な理由など見つかりはしない。

 だから存在し得るのは、非合理的で非論理的な理由だけだ。


「あなたのことが大好きだったからですよ。身を焼かれてでも、一緒にいたいくらい」


 ユノは言葉を失ったかのように喉を詰まらせた。

 その隙に私は根拠もない話を続ける。


「たぶん、あなたのお母さんは嬉しかったんだと思います」

「嬉しかった……?」

「『歌声』を聞いても、あなたが死ななかったことが」


 もともと【誘いの歌声】は、苦しむ子供に安息の救済を与える悪魔だ。歪んだ形とはいえ、悪魔が抱いていたのが子供に対する庇護の感情なら、事態の見方は少し変わってくる。


「それまであなたのお母さんは、苦難にある子供に『歌声』を聞かせて死という安息を与えてきた。しかし、そこにあなたが現れた」


【誘いの歌声】の歌声を聞いた子供は、魂を抜かれてやがて死に至る。だが、聖なる力を纏ったユノは悪魔の力に耐性がある。『歌声』を聞いても魂を抜かれることなく、ただ美しい歌に無邪気な笑顔を見せたことだろう。


「私が思うに――あなたのお母さんは、あなたを拾ったことがきっかけで自我を芽生えさせたのではないでしょうか」


 ただ機械的に、子供たちに死という安息を与え続けていた悪魔。


 ――そんな悪魔が出会ったのだ。


 自らの『歌声』を心から喜んで、笑顔を見せてくれる赤子に。

 それはきっと、悪魔の心にすら何かをもたらしたに違いない。


「それならば……メリル・クライン様。僕はやはり母を弱らせ、最後にはこの手で引き裂いてしまったと……」

「違います」


 思いつめた様子のユノの言葉を私はすぐに否定した。

 目を見開く彼に、私は告げる。


「あなたのお母さんは、自ら命を絶ったんです。おそらくは最後の力を振り絞って」


 悪魔たる【誘いの歌声】は、音波を砲撃のように放つことができた。

 あの攻撃をたとえば、口から外に放つのではなく、自らの体内に向けて逆流させればどうなるだろうか。身体の内側から爆散して、ちょうどユノが見た惨状のようになるのではないか。


「自ら……? なぜ母さんがそんなことを……」


 これが真実である保証はない。あくまで私のホラ話だ。

 だが――どうかこれが真実であって欲しいと、僅かに祈りながら私は言う。


「証拠隠滅です。あなたのせいで自分が死んだということを、文字通り命懸けで隠そうとしたんですよ」

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