第28話『彼岸より響く歌⑩』
「ほう……自ら悪魔の腹に飛び込んで、囚われた者たちを救うつもりか。流石だ」
仮死状態となったメリルの身体を前に、白狼は感心して唸った。
いくら圧倒的な力を持っていても、魂だけの存在となって悪魔に喰われるというのは相当な覚悟が要るはずだ。しかし見上げたことに、メリル・クラインは一瞬たりとも迷わなかった。【誘いの歌声】が響き始めてすぐ、躊躇の気配すら見せずノータイムで意識を手放したのだ。
歴戦の勇士でも、なかなかあれほどの即断はできまい。
ただ、白目を剥いて口を半開きにしている姿は妙に間が抜けていた。いや、子供たちを救うために自分の外見など一切気にしなかったということなのだから、むしろ尊敬に値すべきことか――と白狼は思う。
「残念だったな死神。どうやら手柄を娘に奪われそうだぞ」
「そうね~。とっても誇らしいわ~」
相も変わらず掴みどころのない聖女は、のほほんとそう言った。
彼女は今、子供たちに次々と治癒の奇蹟を施している。魂を消化されて寿命が縮んでも、聖女の奇蹟で肉体を強く支えれば多少はリカバーが効くらしい。
あとはメリル・クラインが子供たちの魂を解放すれば、そう悪くない結末を迎えられる。
「……しかし、遅いな」
お座り姿勢で呟く白狼。
メリル・クラインが意識を失ってからそろそろ一分ほど経つ。あれほどの実力者ならば、脱出に数秒も要しないはずだ。
同時に意識を失ったユノも、当然だが目を覚ます様子はない。この未熟な少年が足を引っ張ったりしていなければいいのだが。
「心配ないわよ~。メリルちゃんなら、絶対にみんなを助けてくれるから~」
「ふん。知れたことをわざわざ言うな」
心配などしていないし、そもそもあの娘に心配が必要だとも思えない。
すぐに戻ってこないのが少し不可解なだけだ。
「あの子には考えがあるのよ、きっと」
そんな白狼の疑念をよそに、聖女は訳知り顔でそう言った。
白狼はあまり面白くなかった。まるで「あなたなんかにあの子の真意は分からないわ」と蔑まれているようで。
「ねえ狼さん。あの子の一番すごいところが何か分かる?」
と、そこでいきなり聖女が問うてきた。
白狼は答えに窮する。何から挙げればよいか迷ったのだ。最強の聖女にも匹敵する圧倒的な力か、海よりも深い慈愛の心か。
いや違う。もっとも白狼が驚嘆したのは――
「あの子はね、どんな怪物も恐れないの」
出そうとした答えを一足先に告げられ、白狼はちっと舌を打つ。
「……ああ、そうだな。我のときも【雨の大蛇】のときも、あの娘は我らを怪物として扱わなかった。まるで同じ人間を相手にするかのように、ただ正面から向かい合ってきた。あの曇りなき瞳こそが、メリル・クラインの持つ最大の力だろう」
「ええ、そうね」
白狼が言うと、心から嬉しそうに聖女は頷いた。
「――だからメリルちゃんは私みたいな血塗れの死神のことだって『ママ』と呼んでくれるの」
そのとき、聖女の瞳にぞっとするほど冷たい光が宿ったのを白狼は見た。
咄嗟に飛び退く白狼だったが、一瞬後には聖女は元の表情に戻っていた。不気味なほど柔和な表情に。
「あの子は自覚してないでしょうけど――昔から慣れているのよ。怪物と向かい合うことにも。怪物の中にほんの僅か残された、心らしきものを見つけ出すことにも」
「……己が怪物だという自覚はあったのだな」
「ええ。だって私は【誘いの歌声】と一緒に子供たちを死なせてしまっても、別に構わないと思っていたもの」
やはりか、と白狼は思う。
この聖女がそこまで博愛主義ではないとは分かっていた。
「我も貴様らしくない躊躇だとは思っていた。だが、メリル・クラインが子供たちを救えると判断して予定を変えたのだな?」
「ううん。恥ずかしいのだけど、実はもっと単純な理由で」
聖女は困ったように微笑んで、言った。
「メリルちゃんの前でだけは『優しいママ』でいたかったの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます