第27話『彼岸より響く歌⑨』
やはりそうだ。
悪魔祓いの力を持つユノも、私と同じく魂を吸われていた。ここで彼が聖なる力を取り戻せば、【誘いの歌声】は私たちを吐き出して解放することだろう。
半鐘の櫓に走ってくるユノは年相応の鈍足で、未だ力は戻っていないと見える。息を切らして足取りもふらついているあたり、なんなら素の体力は虚弱な方なのかもしれない。
櫓の上で待つのもじれったく、私はハシゴを下りて彼の方に駆け寄った。
「メリル……クライン様……。申し……訳、ありません。このような醜態を……」
「あ、まず息を整えてください。それからでいいので」
合流するなり謝罪してきた彼に、私はとりあえず落ち着くように告げる。
ここからの脱出の鍵はユノなのだから、ちゃんと体力を回復してもらわねば困る。徐々に落ち着いてくるユノの息を聞いていた――そのとき。
「~♪」
どこからともなく歌声が聞こえて、私とユノは弾かれたようにそちらを振り向いた。
また【誘いの歌声】が響いたのかと警戒したが、すぐに違うことが分かった。
意識を失う前に聞いた美しい歌声と違って、今度の歌声はひどく調子の外れた鼻歌だった。まるで幼い子供が歌っているかのような。
「メリル・クライン様。あそこからです」
そこで、息を整えたユノがある場所を指さした。
駅前広場のすぐ近くに建っている民家だ。開け放たれたその窓から、拙い鼻歌が漏れ聞こえている。
ユノは「様子を見てきます」とばかりに頷いて、すたすたと窓の方に歩いていった。私は怖くてあまり近寄りたくなかったが、放置しておくのも気味が悪かったので、ユノに続く形でゆっくり様子を見に行ってみる。
ユノとともに窓を覗いてみると――
「ねえねえお母さん。外からお歌が聞こえるよ。とっても綺麗なお歌」
そこには幼い女の子がいた。
鼻歌を歌いながら、
しかし少女は、無人の炊事場をじっと眺めたまま『お母さん』に向かって話しかけ続けている。
何度も何度も。同じ言葉を。鼻歌交じりに。
「ねえねえお母さん。外からお歌が聞こえるよ。とっても綺麗なお歌」
ユノが窓から民家の中に飛び入って、少女の前にしゃがみこんだ。
「教会の者です。大丈夫ですか」
「ねえねえお母さん。外からお歌が聞こえるよ――」
だが、胡乱に淀んだ少女の瞳には、真正面のユノなど映っていなかった。鼻歌交じりに同じ言葉を繰り返しながら、存在しない『お母さん』の姿だけを見つめている。
「幻を見ているようです。おそらくは……幸せな幻を」
「あ、そっか。もとはそういう悪魔だったんですね……」
苦しむ子供たちに偽りの救済を与える。それが【誘いの歌声】の本質だった。
囚われた子供たちはこの悪魔の腹の中で、魂を消化されきって死ぬまで、ずっと幸せな夢を見続けることになるのだろう。
私たちもこの場所に長居していたら遠からずああなってしまうのだろうか。
もしこの幻惑が消化の一過程ならば、母への人質として私たちは消化を猶予され、このまま正気を保っていられる可能性はある。しかし正気のまま永遠に悪魔の腹に閉じ込められる方が、幻惑されるよりもずっと恐ろしい。
「さあユノ君。今すぐここを出ましょう」
もちろんそんなのは御免なので、私はそう言った。
彼を勇気づけるために自信満々で拳を握りながら。
「君ならやれます。神もそう言っています。今こそ聖なる力を解放して、悪魔に反吐を催させてやるんです。あっでもちょっと待ってください。私は離れたとこに避難しますから」
ユノは力を解放すると見境なく暴走する。
魂だけの状態でも巻き添えを喰らうのかどうかは分からないが、念のため安全圏まで逃げておきたい。
「……申し訳ありません。今の僕では……どうかメリル・クライン様の御力にて、皆をお救いください」
「うっ」
しかしユノは項垂れつつ、ごく真っ当な対案を提示してきた。
それはそうだ。普通こんな状況だったら、万全な私の方が対処すべきに決まっている。
問題は――私が万全な状態でも完全に無能ということだ。
(ううん。こんな状況だし、無駄にメンツを守る必要はないけど……)
正直に私が無能と告白しても別に構わない。命がかかっている現状、プライドなどもはやどうでもいい。
だが『偉大なる聖乙女メリル・クライン様』という精神的支柱を失ったユノは、ますます不安定にならないだろうか。腑抜けがこれ以上腑抜けになられてはたまらない。
――今はどんな手を使ってでもこのガキに発奮してもらわねば。
「ユノ君。一つ尋ねます。まだ悪魔を殺すことを迷ってるんですか?」
「……申し訳ありません」
私の質問に対し、ユノは謝罪で答えた。それはつまり肯定ということだ。
母はユノの迷いに対し、悪魔の引き起こした惨状を見せつけるという荒療治に出た。しかしそれが効果を示さなかったのなら、別のアプローチをかけてみる必要がある。
私はしばし考えた。
そして、単純に湧いた疑問を告げる。
「あなたの育ての親――【誘いの歌声】は、あなたを食べるために育てていたと言っていましたね?」
「……ええ、そうです」
「それはおかしくないですか? 【誘いの歌声】が食べるのは肉体ではなく魂なんですから、わざわざあなたの世話をする必要なんてないと思うんです」
私は悪魔ではないから、魂の味がどんなものかは知らない。もしかしたらある程度育った魂の方が美味い――という可能性だってあるのかもしれない。
しかし【誘いの歌声】は赤子を攫う場合、わざわざ自ら出向いて攫うという。育てて食べた方が美味いなら、いちいち手間をかけて赤子を回収などせず、食べごろに肥え太るまで人里に置いておくのが自然ではないか。
私の疑問に対し、ユノは急所を突かれたように息を詰まらせた。
「それは……」
「そのくらいの矛盾には、あなたも気づいていたはずです」
喋りながら考えて、私はやっと気づいた。
なぜ母からあんな惨状を見せつけられても、ユノが迷いを捨てきれなかったのか。
「ユノ君。本当のことを聞かせてください。本当にあなたは『食べるために育てられた』んですか?」
「……分かりません」
歯を食いしばりながら、ユノはそう答えた。
「僕の育ての親は……あの【誘いの歌声】は、まったく僕に危害を加えませんでした。ただ、普通に僕を育ててくれた記憶しかありません……だけど」
ほとんど悲鳴じみた声で、彼は続けた。
「あの悪魔はいつか『僕を喰うつもりだった』はずなんです。そうでなければならないんです。でないと僕は何の意味もなく――親を、母さんを、この手で殺してしまったことになってしまうじゃないですか」
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