第25話『彼岸より響く歌⑦』
話し合いの余地などない。
自我を獲得した悪魔は、本来の在り方すら忘れて暴走する。もはや【誘いの歌声】は無差別に子供を襲う悪鬼と成り果ててしまったということだ。
しかし、その事実を知ってなお私は釈然としなかった。
「――でも、ママならどうにかできるんでしょ?」
そう、なんたって母は神の使徒にして、あらゆる悪魔を打ち倒す天下無双の聖女なのだ。
確かに白狼が疑っていたとおり、母がこの場所にわざわざやって来たのは「ユノに惨状を見せつけるため」だったかもしれない。
だがそれはそうとして、母には子供たちを救う秘策があるに決まっている。どんな不可能だって可能にするのが聖女という存在なのだから。
全身全霊の信頼をもって私が真っ向から母を見据えると、やがて母はぷっと噴き出した。
「そうねメリルちゃん。打つ手がないことはないわ」
「ほら! やっぱり!」
ぱちんと私は指を弾いた。
まったく母の悪い癖である。そうやって昔からすぐ私を脅かそうとするのだから。私がまだ小さいころ、頭から毛布を被った母が『悪魔が来たぞ~。悪魔が来たぞ~』と脅かしてきたことは未だにちょっと恨んでいる。
母はにこやかに作戦を語り始めた。
「たとえば【誘いの歌声】を捕縛して拷問にかけるとかね。『子供たちの魂を解放すれば楽に殺してやる』って脅しながら痛めつけていくの。理性を持たない低級悪魔ならともかく、自我を獲得した悪魔が相手なら交渉もできるから」
「拷問」
思ったより聖女らしくない作戦だったが、事態が解決するなら拷問でもなんでもまあよしとしよう。
「じゃあ、さっそくその手で――」
「だけどねメリルちゃん。おそらくだけど【誘いの歌声】はダメージを負ったら、自らを癒すために取り込んだ魂の消化を加速させるわ。拷問をしている間に、魂がいくつか消化されきってしまうかもしれないの」
「うっ」
私はたじろいで、床に並べられている子供たちを見た。
いくつかの魂が消化されきってしまうということは、彼らのうち数名が死んでしまうということだ。
そりゃあ、今ここで目の前に【誘いの歌声】が現れて私に襲いかかってこようものなら、私は何の躊躇いもなく母に悪魔の討伐を求めることだろう。
しかし、当座のところ私の身に危険がないなら、あまり人死には見たくない。なんといっても後味が悪い。向こうしばらく陰鬱な気分になってしまいそうだ。
「といっても、どうせこのまま放置してたら全員が死んでしまうのだけどね。こうしている間にも、死なないまでも寿命は少しずつ削られているでしょうし。どうしようかしら、メリルちゃん?」
母が微笑みながら私に尋ねてくる。
そう言われても、ズブの素人の私が意見できることなど何もない。しばらく悩んだ私だったが、最終的には敢えて自信満々にこう返した。
「大丈夫! きっとママならなんとかできる!」
脳味噌にまで筋肉が詰まっていたり、料理が下手だったり、悪戯好きだったり――ろくでもないところも多々あるが、私はそれでも母が心優しい人物だと知っている。
口ではどう言おうと、この子供たちを見捨てるわけがないということも。
私の力強い言葉を受けた母は、目を丸くしてから少し笑った。
その笑みは嬉しそうにも、悲しそうにも見えた。
「……そうね、ありがとうメリルちゃん。だったら奥の手を使おうかしら」
「おお! ってことはママ、やっぱり秘策があったんだ!?」
私が拳を握ると同時だった。
母が床に大きく足を打ち付けたかと思うと、そこを起点に音叉のような高音が響き渡った。
私にはただの奇妙な音としか聞こえなかったが、
「ぐぅガッ!」
その音を聞いた瞬間、白狼が床に伏せった。
「貴様……何をした。臓腑がかき回されるような……」
「少し我慢してね狼さん? 大丈夫、この音は悪魔に不快感を与えるだけで、実害はないから」
母がもう一度、床を踏み鳴らす。
白狼も覚悟していたか、今度は歯を食いしばって耐えた。だが、その表情はあまりに苦しそうで、私は不覚にも若干の哀れみを覚えてしまった。
「ねえママ。ちょっと止めてあげたら――」
「いい? メリルちゃん。よく聞いて」
諫めようとする私の言葉を止めて、母は真剣な口調でそう切り出した。
「食べたものを吐き出させたい。人間が相手だったら、そんなときどうすればいい?」
「え、えっと……何の話?」
「昔、メリルちゃんが私の作ったケーキを食べたときどうなったかしら?」
「吐いた!」
過去のトラウマを思い出して私は絶叫した。
あんな凄まじいテイストを舌に味わったのは、後にも先にもあれ一度きりだ。
「そう。悪魔にとって、悪魔祓いの持つ聖なる力は――私の作ったケーキと同じくらい不味いものなのよ。よく覚えておいて」
いったい母は何を言おうとしているのか。
私がそう思った、そのとき。
どこからともなく、私の耳に美しい歌声が聞こえ始めた。
どんな聖歌隊も比べ物にならないほど美しく、しかしどこか儚げな響きもある、悲しくも優しい子守唄のような調べが――
「あなたなら、きっと大丈夫」
母がそう言って私を抱きしめてくる。
その感触とともに、私はぷつりと意識を失った。
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