第24話『彼岸より響く歌⑥』

「さて、じゃあこの子たちを駅前広場まで運ぼうかしら~。みんなも手伝ってくれる?」


 母はいつもの呑気な調子に戻ったかと思うと、ごく平然と喋り始めた。


「私が子供たちを一人ずつ抱えて駅前まで跳ぶから、運びやすいように子供たちを小屋の外に担ぎ出して欲しいの~」


 母の常軌を逸した身体能力なら、子供を抱えて安全地帯の駅前広場まで戻るのに十数秒とかからない(さっき体感した)。

 その補佐として、私たちはバケツリレーのごとく子供たちを小屋から外に運び出しておけ――ということだ。往復して戻ってきた母に、次の子供をすぐ手渡せるように。


「貴様と娘が二人で運んだ方が速いのではないか?」


 そこで白狼がとんでもない提案をしてくれた。

 この犬畜生は、私が母と同じような芸当ができると未だに信じ込んでいるらしい。


「分かってないわね狼さん~。こういう作業は役割分担した方が効率的なのよ~」


 そう言うと母は入口のそばに転がっていた子供を一人抱えて、建物の外に歩み出た。


「じゃあ、私が戻るまでに次の子を運び出しておいてね?」


 そうして母は「だんっ!」と地を蹴り、あっという間に空の彼方へ消えていった。

 母ならその気になれば一度にもっと大勢運べると思うが、あまり雑に抱えて持ち帰るところを住民に見せてもよくないため、慎重に運ぶことにしたのだろう。


 しかし――


(あれっ。これ、もしかして私がメインで運ぶことにならない?)


 膝をついて項垂れているユノはどう見ても使い物にならないし、白狼は命じれば手伝ってくれるかもしれないが、抱えて運ぶなんて動作はできない。口で服を咥えて引っ張るのがせいぜいか。あまり効率的とはいえない。


 いや待て。こいつはただの犬ではない。人知を超えた悪魔だ。なんかこう……もっとすごい力で子供を運んでくれるかもしれない。信じろ。


「それじゃあ狼さん? 手伝ってくれます?」

「うむ」


 私が全力の笑顔で媚びてみると、白狼は素直に頷いた。

 こういうときは話の分かる犬畜生で本当に助かる。


 そして白狼は子供を運ばんと――普通に口で子供の服を咥え、引っ張ろうとした。


 びりり、と。


 白狼の牙が鋭すぎたのか、子供を引っ張る前に服が千切れてしまった。

 口に服の切れっ端を咥えた白狼は、しばし茫然と沈黙してから、


「――面目ない。この仕事、我の手には余る」


 使えねえ。

 こんなときに使えない犬っころのどこに存在価値があるというのか。こんな無駄飯喰らいにはもう二度と生ハムなど与えてやらない。


 いっそのこと、母の要求などすべて無視すべきか。

『これは母の任務なので私が手を貸すのは筋違いである』という主張を展開し、何もしないで母にすべて任せるのだ。


 そうだ。よし、そうしよう。それで決まり。


 そのとき、轟音を響かせて母が建物の前に舞い戻ってきた。もう一人目を送り届けてきたらしい。

 母は小屋の外からこちらを覗き込んで、


「ねえメリルちゃん? 次の子は? まだ運んでいないのかしら?」


 にこりと微笑んできた。

 その笑顔は、母が私に「まだ部屋のお片付けをしてないの?」と怒るときと同じ顔だった。


「い、今やろうとしてたとこっ!」


 反射的に私は手近な子供を引っ張って母の方に引きずっていく。

 意識のない人間というのは存外に重い。私の細腕にとってはなかなかの負担だった。


「じゃあ、次の子もその調子で頑張ってね~」


 母は私から子供を引き取ると、また跳躍していった。

 どうやらボイコットはできそうにない。あの笑顔に逆らえる気がしない。

 腹を括った私は腕まくりをして、ふんと気合の鼻息を吹いた。そして――


「手伝いなさいユノ君! この私が働くのを黙って横で見てるなんて許しません! いろいろと考えるのはやめて今はただ手を動かすこと!」


 道連れを作った。

 非力なガキでもいないよりは百倍マシだ。なんか雰囲気的にお辛い感じなのは分かるが、私の労力を軽くするために今は思考停止で働いて欲しい。


 ユノはこちらに視線も向けず、俯いたまま呟く。


「……今の僕では、メリル・クライン様の手助けなど務まりません」

「そういうのいいから手伝ってください! 重いんです本当に!」


 次の子供を引っ張って外に運ぶ私は、既に息が弾みそうになっていた。

 このまま一人で数十人の子供たちを全員運び出すなど、考えただけで泣きそうになる。


「……はい。分かりました」


 虚ろな目で弱弱しくこちらを振り向いたユノは、やがてそう答えた。

 覚束ない足取りでこちらに来て、私が抱えていた子供の片腕を手に取る。二人で引っ張る姿勢になっただけで、私の負荷がずいぶん楽になった。


「いいですよ! その調子です!」


 私がユノに発破をかけると、彼は微かに頷いた。


「……ふ。なぜ助力など求めたのかと思ったが、そういうことか」


 一方、白狼はなにやら納得した様子でお座りをしていた。

 何をサボっている貴様。口が使えないなら前脚で転がすとか他にやり方があるだろ。私にだけ働かせて申し訳ないとか思わないのかこの悪魔。


「あら。いい感じね~。その調子その調子」


 また戻ってきた母が、私とユノから子供を引き取って跳躍していく。

 私はそこで、一番軽そうなターゲットに的を絞った。


「おほん。私は赤ちゃんを丁寧に運びますから、ユノ君はそれ以外をお願いします」


 そう言って、私は一人の赤子を拾い上げる。

 軽くて体力的に楽ではあったが、冷たくて動きもしない赤ん坊というのは、なんだか触れただけで気が滅入った。


「あれっ。でも、こんな小さい子がどうやってここまで歩いてきたんでしょう?」


 母の話だと、【誘いの歌声】を聞いた子供たちは夢遊病のような状態となり、自らここに歩いてくるらしいが。


「幼子の場合は【誘いの歌声】の本体が直接、子供を迎えに来るのだそうです。おそらく……僕のときもそうでした」


 ふと発してしまった疑問が、思わぬ藪蛇だった。

 噎せて咳こんだ私は、慌ててフォローを入れる。


「すいません独り言です! 気にしなくていいので!」


 またユノが落ち込んでヘタレになってはたまらない。今は無心で肉体労働に殉じてもらわねば困る。

 私は建物の手前にいた赤子を入口のそばまで運び、今度は奥の方へと移ったが――


「あれっ」


 建物の奥の方に赤子は一人もいなかった。

 いいや、それだけではない。手前の方に寝かせられていた子供たちと、明らかに毛色が違う。


(なんか奥の方の子たちは、ずいぶん汚いような……?)


 まず着ているものからして、まともな服ではない。

 ほとんど真っ黒に汚れていて、あちこちが破れたり裂けたりしている。布地も薄っぺらい襤褸切れといっていい。

 さらにほぼ全員が、骨が浮き出るくらいに痩せこけていた。


(悪魔に魂を吸われて時間が経つと、痩せていくのかな……?)


 いや、百歩譲ってそうだとしても、服まで汚れていくということはないだろう。

 少なくとも『奥の方に寝かせられていた子供たち』はまともな衣服も与えられない環境で暮らしていたということになる――全員が。

 あるいは痩せたのが悪魔の影響でないなら、満足な食事すら与えられていなかったのかもしれない。


 そこでふと、私は直前のユノの言葉を思い出した。


『――幼子の場合は【誘いの歌声】の本体が直接、子供を迎えに来るのだそうです』


 彼はそう言った。『攫いに来る』ではなく、『迎えに来る』と。

 まるで好ましい存在を形容するように。


「あら~。メリルちゃんどうしたの? 手が止まってるわよ?」


 そこで、戸口に再び母が立った。

 見咎められた私はぎくりと背筋を伸ばして、言い訳のように手を振る。


「ま、ママ! これは決してサボっていたわけじゃなくて……そうだ! 奥の方に寝てる子たち、なんか変だと思わない!?」

「変? 何がかしら?」

「手前の子たちと違って明らかに痩せてるし、服は汚いし。酷い目に遭ってたんじゃないかって……」

「そうよ? だって【誘いの歌声】は、そういう子を助けるために現れるんだもの」


 私は母が何を言っているのか分からず、ただ目を丸くしてしまった。


「……何言ってるのママ? 悪魔が子供たちを助けるって」

「ええ。もちろん悪魔だから、見せかけの救済たすけなのだけどね~。ユノ君も詳しいでしょう?」


 また母がユノに目線を送った。

 苦しそうな顔をしたユノだが、こくりと頷く。


「……もともと【誘いの歌声】は、飢饉に遭った地方などで発生する悪魔です。食糧が不足し『口減らしとして子供を棄てるしかない』という状況に陥ったとき、どこからともなく現れて『それを叶えてくれる』んです」


 よく覚えてるわねえ、と母はユノを賞賛。

 そうして彼の説明を途中から引き取る。


「親たちは口減らしとして子供を棄てたい。だけど良心や世間体がそれを許さない。そんなときに【誘いの歌声】はとても都合がいい存在なの。自分で自分の子供に手を下さなくていい。子供の苦しむ姿を見なくてもいい。悪いことは全部――悪魔のせいにして自分たちは被害者になれるから」

「でも、子供たちは死んじゃうんでしょう? それじゃ全然、子供たちは助からないんじゃ……」

「飢饉の寒村で、親から『いなくなればいい』と密かに望まれながら生きる子供は、とても辛いでしょうね」


 ぽつりと母はそうこぼした。


「そんなときに、とても美しい歌が聞こえるの。それを聞けば何も苦しいことはなくなる。肉体から魂を抜き取られて、飢えも寒さも悲しさも全部感じなくなって、この子たちみたいに――安らかに眠ることができる」


 あまりにも残酷な話に、私は眩暈を覚えた。

 だが、よく分からない。【誘いの歌声】がそういった存在ならば、理解できない点が一つある。


「ママ、この街は飢饉でも何でもないよ? 炭鉱でとっても裕福だし……なんでそんな悪魔が出るの?」

「飢饉かどうかは問題じゃないの。本質は『死を望まれていて、苦しんでいる子供』がいるかどうか。そんな子供がいる場所に【誘いの歌声】は生まれるの。そうね、たとえば――」


 母は『奥の方に並べられた』子供たちを指差した。

 彼らの着ている黒ずんだ襤褸切れを眺めて。



「危険な狭い坑道に潜らされ続けて、身体を壊して用済みになった子供とか」



 こちらに歩んできた母は、彼らの胸に指を触れた。

 ぽうと淡い光が灯る。それは私には見慣れた、母の癒しの奇蹟だった。それでも彼らは目を覚まさない。いくら肉体が癒えても、魂がなくてはどうにもならない。


「【誘いの歌声】が現れた時点で、教会もこの街でどういうことが行われているか察したわ。調べてみたところ皮肉なことに、労働力の子供は『飢饉に遭った寒村』から買い集められていたそうよ――じきに街の上層部には処分が下るでしょう」

「えっと……それなら」


 私はふと、らしくないことを考えてしまった。

 本当は害意など持っていなかった【雨の大蛇】のことを思い出して。


「【誘いの歌声】に『教会が保護するから、子供たちはもう大丈夫』って伝えたら、魂を解放してくれないかな? 苦しい子供たちを助けるために現れるっていうなら、殺したいって思ってるわけじゃないんだろうし……」

「メリルちゃん。なぜ【誘いの歌声】が、普通の子も襲い始めてると思う?」


 私の質問に答えることなく、母は別の質問を放ってきた。

 手前の方に寝かされていた、身なりのよい普通の子供たちを指差して。


「え、えっと……」

「力を得た悪魔は相応の知恵を得る。そうでしょ? 狼さん」

「ああ。そうだな」


 じっと座っていた白狼だが、問われて小さく頷いた。


「この悪魔もそうでしょうね。知恵を――自我を得てこう思ったのよ。『もっと食べたい』って」

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