第23話『彼岸より響く歌⑤』

 白狼が子供たちの居所を嗅ぎ付けた――ということを、私は右から左へ母に伝えた。

 悪魔の気配なら容易く察知できる母も、さすがに人間の匂いを追うことはできない。速やかな事件解決のためにはこの上なく有用な情報だった。


「ありがとう~。お手柄よ狼さん~」


 しかし母から褒められる白狼は露骨に不満げである。

 私と母と白狼、ついでにユノで連なって炭鉱に向かう道中。母から撫でられそうになるたび、白狼はするりと逃れて私を盾にする。


「我は貴様に手を貸したつもりはない。この娘に手を貸しただけだ」

「そのメリルちゃんが私に教えてくれたのだから、みんなの協力ということよね?」

「つまらん冗談を言うな。寒気がする」


 普段は大勢の人々で賑わっているであろうルズガータの街は、今はまるでゴーストタウンのように閑散としている。いつまた悪魔が出現するか分からないので、住人の大半を駅前広場に集め、そこを覆うように母が結界を張ったのだ。

 これで不測の事態が起きても新たな被害はまず発生しない。


「娘。本当にあの死神にすべて任せるつもりか?」

「え、そりゃまあ……」


 母がいる状況で、私が無駄に手を出しても邪魔にしかならない。

 このまま子供たちを救出して、その後に母が悪魔を消滅させる――その手順で万事解決なのだから、ただ黙って見物していればいい。


「……我にはあの女が、本気で子供の救出をしようとしているようには思えんのだがな」

「えぇ?」


 思わず私は怪訝な顔になる。

 何と頓珍漢なことを言っているのかこの犬は。愛と慈悲の権化たる聖女が子供を見捨てるわけないではないか。


「狼さん。それはちょっとママのことを悪く言い過ぎです。だってさっきママは、子供たちの身を案じて悪魔を殺すのを躊躇したじゃないですか?」

「うむ……あれは我も少し意外だったが……」


 相手を言い負かしてふふんと私は胸を張る。

 なかなか口喧嘩の強い白狼だが、この才媛メリル・クライン様の敵ではない。


 街の端まで来ると石畳の舗装がなくなり、剥き出しの砂利道が顕わとなる。普段は採掘用のトロッコが往復しているであろう炭鉱も、無人の今はまるで打ち捨てられた廃坑のように見える。


「あの坑道の中かしら?」


 母が白狼に問うと、ぷいと彼はそっぽを向いた。

 苦笑する母の視線を受け、私が改めて問い直す。面倒臭い犬だと内心で呟きながら。


「狼さん。子供たちはあの坑道の中ですか?」

「こっちだ。ついてこい」


 ぴょんと跳ねるような足取りで白狼が駆け出す。

 向かったのは正面に見える坑道の入口――ではなかった。もっと鉱山の縁というか、外周の方へ走っていく。


 そして、白狼が走る速度は速すぎた。

 みるみるうちに遠ざかり、豆粒のような大きさにしか見えなくなる。母は余裕で追っているが、こちらはそうもいかない。このままだと置き去りにされてしまう。

 息切れしながら慣れない砂利道を走っていると、足首を捻りそうになる。こんなことならもうちょっと動きやすい靴を履いてくればよかったか。


 べたん、と。

 私の背後で誰かがすっ転ぶ音がした。


 ユノだった。


 凡人の私にすら大きく距離を離されて、あまつさえ転んでいる。

 仮にも悪魔祓いである彼にとってありえない醜態だった。


「えっと……大丈夫?」


 歩み寄って尋ねる。


「申し訳ありません。情けない限りです」

「さっき力の解放ができなくなったって言ってたけど……もしかしてそのせい?」

「はい。普段の身体能力も完全に普通の子供並に戻ってしまいました。きっと神が僕に失望なさったのでしょう」

「ちょっと休んだら元に戻るとかは……?」


 ユノは沈黙とともに首を振った。

 その程度でどうにかなるものではない、と確信しているようだった。


(やばい……つまり私が格の違いを見せつけ過ぎちゃったせいで、このガキが能無しになっちゃったってこと……?)


 これは神がどうこうという話ではなく、たぶん心理的なスランプだろう。

 神は一度や二度の失敗なんかで失望するほど器の小さい存在ではないと思う。


 私が幼いころ、母は私の誕生日にケーキを作ろうとして筆舌に尽くしがたいほどの大失敗をしてしまったことがあるが、それでも神は失望しなかった。

 母もその失敗を悔い改め、二度と厨房には立たないと誓った。大事なのは失敗しないことではなく、その失敗を後にどう活かすかだ。


 私は手を貸して、転んだユノを助け起こしてやる。


「……ユノ君? そこまで落ち込むことはないと思いますよ? 聖女の娘にして神の御子の私に君が敵わないのは当然ですし、君は君にできる範疇でそれなりに頑張ればいいというか」

「それは承知しているのですが……」


 非常にまずい。このままユノに力が戻らなければ、こいつはただの11歳か12歳そこらのガキである。悪魔祓いはおろか、格落ちの聖騎士としてすら役に立たない。私の代わりに仕事をこなす貴重な人材が失われてしまう。


「二人とも遅いわよ~」


 そこで、遥か先を走っていた母が音もなく舞い戻ってきた。

 一瞬で母が身を翻したと思えば、気づけば私もユノも二人揃って母の小脇に抱えられている。


「ひとっ飛びでいくから、舌を噛まないように気を付けてね?」

「えっ、ちょっとママっ」


 だんっ! と。

 砂利が舞い上がるほどの蹴り足で、母は大きく宙に跳びあがった。巨大な炭鉱が一気に眼下の光景へ落ちていき、ややあってまたぐんぐんと間近に迫ってくる。


「あああぁぁあぁあ――っ!?」


 急上昇からの急降下で悲鳴を上げる私。

 地響きとともに母が着地したときには、ほぼ気絶寸前でぱくぱくと口を開閉させるのが精一杯だった。


「娘よ。ずいぶん遅かったな」

「ユノ君が転んじゃったのを助けてあげてたみたいよ~」

「ほう。どこかの死神とは大違いで慈悲深いものだな」

「でしょ~。メリルちゃんは優しさに満ち溢れてるから~」


 はっと私は正気を取り戻す。

 母が着地したそこは――鉱山を挟んで街とほぼ正反対の場所だった。街の側は平地になっているため線路が引かれ、人家や商業施設で栄えていたが、この反対側は起伏の激しい山岳地系なのでほとんど手が付けられていない。

 将来的にはここから新たな鉱脈が見つかるのかもしれないが、今はほとんど未開の地といっていいだろう。


 そんな場所に、木造の建物があった。


 それなりに大きい。

 数十人規模の修道院の寮などがこのくらいのサイズだ。しかし、こちらはお世辞にも造りがよいとはいえない。粗悪な木材を雑に組んだだけでところどころに隙間が見えるし、屋根や壁の一部は腐りかけている。

 扉には鉄棒の閂が通され、錠前で固く閉ざされている。資材か何かを入れておく倉庫なのだろうか。


「匂いの元はここだ」


 白狼がそう言って建物を示す。

 母は「メリルちゃん行く?」と尋ねてきたが、私はぶんぶんと首を振って拒否した。扉を開けた途端に悪魔が襲い掛かってきたら私は死んでしまう。


 母が閂の鉄棒を素手で引き剥がし、扉を開け放つ。

 その中には――


 誰もいなかった。

 黴臭い建物の中に、薄汚い毛布が何枚も敷かれているだけだった。


 私は危うく舌打ちをしかけた。

 白狼め。とんだぬか喜びをさせやがって。子供などどこにもいないではないか。


「【誘いの歌声】を聞いた子供たちは忽然と消えてしまうのだけど、それは本当に消えたわけじゃないのよ~。単に、周りの人間たちからは見えなくなってしまうの。透明人間みたいになっちゃうといったら分かりやすいかしら?」


 そこで母が喋り始めた。

 今回の敵【誘いの歌声】について。


「それで透明人間になった子供たちは、夢遊病みたいに『ある場所』へ呼び寄せられるの。それが今回はこの建物というわけね~」


 そうして母は両手をぱちんと叩き合わせた。

 そこから眩い銀の光が溢れ出す。


「だから狼さんは間違ってないわ。子供たちは、ここにいるもの」


 銀の光が建物の中を走り抜けたかと思うと、光景が一変した。

 そこには数十人の子供たち――おそらく失踪していた子供たちが、所狭しと寝かされていたのだ。


「やった! さすがママ!」


 私は両拳を突き上げて軽くジャンプした。

 これであとは母が悪魔を瞬殺するだけで仕事終了。無事に帰れる。


 だが、その場ではしゃいでるのは私だけだった。白狼は鋭い目つきを崩さず、ユノは寝かされていた子供の手首に触れている。


「――脈がありません。呼吸も」

「へっ」


 私はジャンプからの着地に失敗し、ぺたんと尻もちをついた。


「そそそ、それって、死……」

「いいえ? 違うわよね狼さん?」


 母が白狼に話を振った。

 白狼は不機嫌そうに唸りながらも、


「ああ、死体特有の腐敗臭がまるでない。こいつらは誰も死んでいない……が、生きているとも言い難い。仮死状態といったところか……?」

「ええ、そうよ。正解」


 教鞭を垂れるように母が言葉を続ける。


「ここにいる子たちはみんな、魂を奪われているの。魂は【誘いの歌声】のお腹の中。だから言ったでしょう? あの悪魔を倒してしまうと子供たちは帰らないって。悪魔を消滅させた時点で、中の魂も一緒に消えてしまうの」


 ぎり、と白狼が歯を食いしばった。


「ならば貴様。知っていたのか? ここに来たところで子供たちは助からぬ、ただの無駄足だと」

「無駄足じゃないわよ~。いくら仮死状態だからって、こんな場所に寝かせておくのは可哀そうでしょう? 早めに連れ帰ってあげたいじゃない?」

「ママ。その……倒したら子供たちの魂が戻らないなら、どうやって元に戻すの?」


 母は短く目を瞑った。


「【誘いの歌声】が自らの意志で魂を吐き出すこと。それが果たされれば――肉体が残っている限り、子供たちは目を覚ますわ」


 え、と私は目を丸くした。

 悪魔が自ら子供たちの魂を解放する? そんなこと、まずあり得ないではないか。


「ねえユノ君。当然あなたも、資料でこの悪魔の特性は知っていたでしょう? でも目の前に、現実のものとしてこの光景を見てどう思うかしら?」


 ユノは黙々と子供たちの頬に触れ、その冷たさを確かめていた。

 そしてユノ自身の顔も、仮死状態の彼らと同じくらいまで青ざめていた。その手も凍えるようにガタガタと震えている。


「……とても、とても邪悪なものだと思います。許しがたいほどに」

「ええ。だから迷うことなんてないわ」


 ユノのそばに歩み寄った母が、その肩をぽんと叩く。


「メリルちゃんのお仕事を見て、迷ってしまったのでしょう? あなたの育ての親は本当に邪悪な悪魔だったのか? 殺してしまってよかったのか? だから不安で力が使えなくなってしまったのよね?」


 安心していいわ――と母は微笑む。


「あなたの育ての親もこれと同じ【誘いの歌声】だったのだから。殺すよりなかったのよ。あなたの行いの正しさは、きっと神も保証してくださるわ」


 私は白狼の「母が子供たちを助けるつもりがない」という言葉を、ふいに思い出した。

 おそらくそれは正しかった。


 母はユノにこの光景を見せるためだけに、ここに連れてきたのだ。

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