第21話『彼岸より響く歌③』

 ルズガータの街が近づくにつれ、車窓の風景が変わってきた。


 これまでは手付かずの原野が延々と続くだけだったが、街の近辺では木々が伐採されつくして渇いた地面を剥き出しにしている。そんな大地にトロッコ用の線路が縦横無尽に伸び、街の郊外へと大量の砂利や土砂を運び続けている。おそらく炭鉱の採掘で出た廃棄物なのだろう。

 うず高く積まれた土砂の山がいくつも連なる光景は、かつて母と旅行した際に見た蟻塚なるものを彷彿とさせた。


「ねえママ。できるだけ早く済ませて帰ろうね」


 私は髪を結いながら母にそう言う。

 寝台車で一晩を明かしたが、どれだけ高級な列車といっても、やはり実家のベッドに比べて寝心地は劣る。


「なんたって、今回の相手は悪魔らしい悪魔なんだから。それならママが一撃で消し飛ばして終わりでしょ?」


 昨日、母は【誘いの歌声】のことを、非常に悪魔らしい危険な悪魔だと言っていた。

 それはつまり情状酌量の余地なく処刑を執行できる相手ということで――普段の私なら死んでも相手にしたくないが――最強の母がいる今日は最高の討伐対象といえる。


「ううん、メリルちゃん。私もそうしたいのだけど、街の偉い人なんかが歓待の式典なんかを開いてくださるそうだから。大人の付き合いとしてそういうお仕事もこなさないといけないのよ~」

「むう」


 母らしからぬ真面目な回答に私は唇を曲げる。

 まったく、田舎のお偉いさんなど無視していいだろうに。そんな連中よりも愛娘の快眠を優先すべきではないのか。


「ほらメリルちゃん。見えてきたわよ」


 母に促されて窓から顔を出してみると、遠目に駅が迫ってきていた。

 もう既にこの時点で、ホームに大勢の人が群がっているのが分かる。多くは膝をついて祈る姿勢で。


「……おい、死神」


 そこで白狼が鼻をひくつかせた。

 それに笑って振り向いた母は、その先を制するように掌を向ける。


「大丈夫。分かっているから。あなたはおとなしくしていてね?」

「ふん。貴様に貸す手などない」


 母にそっぽを向いた白狼は、私の近くに歩み寄ってきた。


「娘よ」

「えっ、何?」

「もしもこの死神のやり口が気に食わなくなったらいつでも言え。貴様になら我はいくらでも手を貸そう」

「あっ、うん、はい」


 私が適当に返事をすると、満足そうに頷いた白狼は窓際に去っていった。

 たぶん母のやり方に私がケチをつけるなんてあり得ないし、この犬に手助けを求めるなんてこともあり得ない。頼むから余計なことだけはしないで欲しい。


 そこで列車がブレーキ音を立てて減速を始めた。

 ブレーキ音に紛れて、駅のホームから響く歓待の声も聞こえる。


 母は窓から身を乗り出して、街の人々たちに手を振っている。

 そして大声でこう言った。


「みなさ~ん! 危ないからその場にちょっと伏せてもらえるかしら~?」


 その瞬間、母の姿が消えた。

 いや。窓枠を蹴って列車の外に飛び出したのだ。


「へっ」


 突拍子もない母の行動に、口を半開きにする私。

 一方、お座りを続けている白狼はさして驚いた様子もなく私に話しかけてくる。


「娘よ、貴様の母には無数の悪魔の死臭がこびりついている」

「え、死臭? ママはいつもいい匂いがするけど……?」

「物理的な匂いではない。存在そのものに染みついた臭跡だ。貴様ら人間には分からんだろうが、我ら悪魔にはよく分かる。あの死神が近づいただけで怖気が走るほどにな」


 いきなり何の話をしているのかこいつは。

 母がいなくなったのをいいことに「あいつ臭いよな」などという陰口を叩き始めたのだろうか。

 それなら後で母に告げ口をして、しっかり殺処分をしてもらわねば――


「――故にあの死神は、近づいただけであらゆる悪魔を挑発することになる」


 はっとなって私は窓から外を見た。

 ルズガータの街の上空に何かが。いや、誰かがいる。

 足場などどこにもないはずの空中に、浮遊しているがある。


 人影ではあっても、それが人間ではないのは一目で分かった。まるで蜘蛛のように手足が長く、逆光でもないのに全身が墨のごとく黒い。まるで子供が描いた棒人間のようなシルエットだった。


「あれって……」

「ああ。【誘いの歌声】とやらの正体だろうな。挑発に乗って姿を現したようだ」


 そのとき、人影が――悪魔が動いた。

 空中で身じろぎのように震えたかと思うと、凄まじい大音声で叫んだのだ。まるで断末魔の悲鳴がごとく。


 空気が震えるのが見えた。

 悪魔のそばを飛んでいた鳥が弾け飛ぶ。破壊の音波が一直線に向かうのは――多くの人々が聖女の到着を待つ、ルズガータの駅。


「はい。おイタはそこまでよ?」


 だが、その音波はどんな破壊ももたらさなかった。

 駅舎に届く寸前、眩い銀色の光に遮られて掻き消されたのだ。私は一瞬だけ唖然としてから、その銀光が母の張った結界だと気づいた。


 そして気づいたときには、母はもう上空にいた。

 悪魔の首根っこに手を掛けた姿勢で。


(あ。ママって普通に飛べるんだ)


 そんな場違いな感想を私が思い浮かべると同時、悪魔の姿が消えた。

 さすがは母だ。ここまでの早業で悪魔を始末してしまうなんて。


 そこで列車が駅のホームに到着する。

 外に駆けだした私は、既にホームへ降りてきていた母に抱きつく。


「ママお疲れ様! じゃあ帰ろっか!」

「ごめんね~。実は逃げられちゃったのよ~」

「はぁ?」


 私の声が三段階くらい低くなる。

 抱き着いていた手は自然と母の胸倉に向かう。


「どうして? どう見てもトドメ寸前だったよね? なんで?」

「う~ん。いつでもトドメは刺せたのだけど、ちょっと迷っちゃって」

「らしくないな死神。悪魔に情をかけたか?」


 列車から降りてきた白狼が、周囲の人々に聞かれぬ程度の声で尋ねる。

 もっとも、多くの人々は今しがたの戦闘に腰を抜かして、誰一人としてまともに状況を認識していないが。


「違うわよ~。教会の資料で読んだ【誘いの歌声】の特性を思い出して少し躊躇っちゃったのよ~」

「特性?」


 ええ、と母は頷いて続ける。


「【誘いの歌声】を殺してしまうと、子供たちは二度と戻らなくなってしまうの」

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