【誘いの歌声】編
第19話『彼岸より響く歌①』
「ねえねえお母さん、外からお歌が聞こえるよ。とっても綺麗なお歌」
幼い少女は楽しそうにそう言った。
炊事場に立つ少女の母親は、鍋をかき混ぜながら片手間に返事をする。
「お歌? お母さんには聞こえないけれど」
「ええ、嘘だあ。こんなによく聞こえるのに」
けらけらと少女は笑う。
よほどその歌が気に入ったのか、少女は自分でも鼻歌を歌い始める。炊事に勤しむ母親は、我が子の愛らしい鼻歌を背に聞きながら、幸せそうに微笑む――……
ぴたりと鼻歌が止んだ。
「どうしたの?」
母親は背後を振り返った。
炊事場のすぐ後ろ。たった今まで我が子がいたはずの
――――――――――……
「メリルちゃ~ん。ちょっとお話があるんだけど~」
「やだ。聞きたくない」
母が扉をノックしてきたので、私は素早く自室の鍵を閉めた。
しかし母の力の前には鍵など何の役にも立たない。バキリと金具を吹き飛ばして、母は普通に扉を開いてきた。
「あのね~。お話っていうのは」
「ねえママ? お願い? 冷静になろ? 私みたいに虚弱でか弱い美少女に悪魔祓いなんて務まると思う? 無理だよね? だからこれからも私を護ってずっと面倒見て?」
侵入してきた母の手をぎゅっと握り、私はうるうると瞳に涙を滲ませてみせる。ここ数日で懸命に練習した嘘泣きの表情である。
「あら~。メリルちゃんったら謙遜しちゃって。もう二件も立派にお仕事をやり遂げたじゃない? しかも二件目は私に引けを取らないほどの大活躍だったって聞いてるわよ~」
「どっちもたまたまだから! もっとシンプルに襲い掛かってくるような悪魔だったら、普通に私死んでたから!」
泣き真似が通用しなかったので、今度は普通に素で怒鳴ってみる。
「だいたい! 私は前回の任務で疲れたから長期休暇を貰うことになってるの! ママがなんと言おうと、もうしばらくは次の任務なんて――」
「ええそうよ~。だからメリルちゃんの代わりにママがお仕事に行ってくるの。そのお留守番をよろしくねっていう話なのだけど」
三秒間ほど、私はぽかんとした。
それから母の言葉の意味を咀嚼して、一気に心の底からの笑顔となる。
「そっかそっか! なぁ~んだ! もぉ~、それを早く言ってよママぁ~!」
「うふふ。だってメリルちゃんが鍵をかけたり泣き真似をしたりで、私になかなか喋らせてくれなかったじゃない?」
「そんなのママが話を勿体ぶるせいだも~ん。このこのっ」
すっかり上機嫌になった私は、母の脇腹を肘でつつく。
しかし次の瞬間、母は――
「というわけで、お留守番の最中に悪魔が襲ってきたら自力で撃退してね?」
「ンげぶっ!」
絶望的なフレーズを言い放って、私を大いに咳き込ませた。
「何言ってるのママ! そんなのママがうちに結界を張ってくれればいいだけじゃん! ママが本気で結界を張ればどんな悪魔も――」
「これまではそうだったんだけどね~。今はそんな風に全力の結界を張ると、あの狼さんが消し飛んじゃうのよ~」
「いいから! 別にあんなの消し飛ばしていいから!」
犬畜生ごときの犠牲で私の安全が保証されるなら安いものではないか。というか、白狼をいずれ処分したいと思っている私にとっては一挙両得ですらある。
「む? 我を呼んだか?」
ずしん、と。
私の部屋(二階)の窓の外から、白狼がその顔を覗かせてきた。
私は飛び上がって狼狽する。
「いいい、いや別に何も? やましい話なんて全然……」
「あのね~、メリルちゃんったらひどいのよ~。この家に結界を張って狼さんを消し飛ばせだなんて」
「ママぁ!」
私は母の胸倉を掴んで締め上げた。殺すつもりの勢いで。
「ふん、つまらん冗談はよせ死神。そういう野蛮な手口は貴様の専売特許だろう。間違ってもその娘はそんな手を使わん」
できるものなら今すぐやりたい。
絶大なパワーでこの犬を消し飛ばし、ついでにこの前さんざん私を追っかけまわしてくれたクソ蛇も消し飛ばしたい。力さえあれば今の私のストレスが9割9分片付くと思う。
しかし、ないものねだりをしても仕方ない。
「えっと……ママ。留守ってどのくらいの間?」
「それが分からないのよ~。ただでさえ悪魔祓いの人数は少ないのに、メリルちゃんもユノ君も休暇に入っちゃったものだから、お仕事がすごく溜まっちゃってるみたいで~」
「……は?」
そこで私は眉間に皺を寄せた。
前回の事件解決の立役者である私はともかくとして、どうして終始役立たずだったあのガキまで休暇を取っているのか。あと、役立たずだったくせに帰りの列車の空気を最悪にして、聖都まで無言続きの地獄時間にしてくれた恨みも忘れていない。
白狼が「ふ」と嘲るように笑う。
「芯の弱そうな小僧だったからな。大方、格の違いを思い知って自信でも失ったのだろう?」
「はい? 格の違い? 誰との?」
「何を言っている。貴様以外にいないだろう」
まっすぐに白狼が私を見つめる。
その視線を受けた私は、ちょっと腕組みをして天井を仰ぎ――
(そっか……。悪気はなかったけど、見せつけちゃってたか。『格の違い』……)
私は無力である。
しかし聖女の娘にして天に選ばれたスペシャルな存在であるという事実は揺るがない。
そんな私が適切かつ見事に事件を解決した姿を見て、きっと彼は「メリル・クライン様には敵わない」と自信喪失してしまったに違いない。残酷なことをしてしまった。
しょうがない。
次に会ったら「まあキミも歳のわりには頑張っているよ? これからも精進したまえ」などと励ましてやろう。
「ところでメリルちゃん。お留守番の話なのだけど~」
「あっ……」
調子に乗っていたら、母の言葉で現実に引き戻された。
そうだった。母が不在の間、どうやって私の安全を守るか。
教会本部に避難するという手もあるが、避難中に強力な悪魔が襲撃してきたら、私が真っ先に駆り出される羽目になりそうだし――
私が必死に対策を考えていると、母がぱちりと両手を合わせて言った。
「もしお留守番が寂しいなら、ママのお仕事を見学してみる?」
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