第18話『雨喚ぶ大蛇の呪い⑩』

 聖乙女メリル・クライン様は天に指を掲げ、厳かにこう仰った。


『――この地に我が加護あれ』と。


 たちまち悪魔の雨雲は消え去り、眩くも神々しい大輪の虹が空を覆い尽くした。

 ああ、なんたる奇蹟。これこそ神の御子の業。

 雨は降り止んだというのに、私の両目はいつまでも感涙に潤んだままだった――


【グラフ・シラートの回顧録より抜粋】



―――――――――……


「とりあえず無事に終わって何よりですけど……これはまた、ずいぶんと美化されて……」


 聖都へと戻る列車の中、私はシラート氏から手渡された感謝状を読んでいた。

 聖女ははの像を破壊した直後からずっと気絶していた彼だが、なんとも都合のいい場面で意識を取り戻したようだった。

 その場面というのは、私の口上とともに空が晴天へ変わった瞬間である。


 おかげでシラート氏は完全に信仰がキマッてしまい、私たちがペグ村を発つまでずっと恍惚の表情で泣き続けていた。申し訳ないが、悪魔崇拝者の村人たちより不気味だった。

 方向性は違えど、領主も領民も根底は似たもの同士だったということか。


 涙のシミがあちこちに滲んだ感謝状には、他にもいろいろなことが記されていた。

 雨が止んだことでペグ村の復興見込みが立ったこと。ペグ村の穀物供給が正常化すればシラート領の財政は盤石なものとなり、教会への支援も拡大できるということ。村人たちもやる気に満ち溢れているということ。


 合間合間に讃美歌のような文句が挟まるため実に読みづらかったが、内容はそんなところだ。結局のところ事態は上手く片付いたといえる。


 もちろんこの後、私が教会に「ペグ村は悪魔崇拝者の巣窟だった」などと密告することはない。

 この一件落着な状況をわざわざひっくり返す必要がないし、変な恨みを買っても嫌だし、教会の方としてもペグ村が豊かに復興してくれた方が今後の寄付が見込めて好都合なはずだ。

 得てして世の中には、見て見ぬフリした方がいいことも多々あるのだ。


(それに何より! 今回の報告内容なら『大規模結界を張って疲れたので、今後しばらく任務はお休みします』って言い訳ができる!)


 そうして生まれた猶予期間で、なんとか母を説得してみせる。

 このままでは可愛い愛娘わたしが死んでしまうぞ、と。

 ちゃんと親として責任をもって、愛娘わたしを護って甘やかして悠々自適の生活をさせてくれ、と。


「メリル・クライン様」


 と、そこで。

 車両の隅で相変わらず正座をしていたユノが、唐突に声をかけてきた。

 私はちょっと驚いてしまう。なぜなら彼は事件の解決以後ずっと黙りきりで、ほとんど空気のような存在と化していたからだ。


 ちなみに白狼は私の足元で生ハムを一本まるごと齧っている。

 塩分過多になればいいのにと思う。


「ええと……どうかしました、ユノさん?」

「今回の事件、本当にこのような解決でよかったのでしょうか?」


 なんだそんなことか、と私は安堵のため息をつく。


「もちろんです。誰も悲しまず、これから先に希望が持てるようになったんですから。これ以上の解決はないでしょう?」

「しかし、悪魔が生き延びてしまっています」

「【雨の大蛇】はもう被害を出さないでしょうし、これからは以前どおり畑作を助けてくれるでしょう。無理に手を出す必要がありません」


 ユノはほんの僅かに、眉間に皺を寄せた。

 無感動な彼には珍しい表情の変化だった。


「いくら善良に見えようと、悪魔は悪魔です。いつどんな形で人間に牙を剥くか分かりません。今回の件もメリル・クライン様が対処していなければ、【雨の大蛇】は加減を分からず村を滅ぼしていたかもしれません」

「くだらん負け惜しみだな、小僧」


 生ハムの骨をぽいと捨て、白狼が会話に割って入ってきた。


「不満ならば貴様が【雨の大蛇】を屠ればよかったろう。それができなかったからと、この娘に文句を垂れるのはいささか惨めというものだ」


 痛いところを突かれたのか、ユノはしばし押し黙って白狼を睨んだが、やがて小さく頭を下げた。


「申し訳ありません、僕ごときが出過ぎた発言をしました」

「い、いえいえ。いいんですよ別に」

「ですが――どうか悪魔に気を許さないようお気をつけください。メリル・クライン様ほどの実力者には無用の心配でしょうが、狡猾な悪魔が貴女様の懐に潜り込んで、不意を衝こうとすることもあるかもしれません」


 そう言ってユノはまた白狼に視線を落とす。

 あたかも「こいつも信用なりません」と言うように。そこは私も全面的に同意だ。


「ククク……好きに吼えるがいい」


 一方の白狼は妙に余裕たっぷりに応じている。

 こいつの謎の自信はどこから湧いてきているのだろうか。私に信頼されているとでも勘違いしているのか? この私が悪魔などに気を許すはずがないだろうに。さすが犬畜生の浅知恵。


 そこで白狼は鼻先を動かし、


「しかし、妙に意固地だな小僧。さては悪魔を信じて裏切られた経験でもあるのか?」


 問われたユノは、膝の上で両拳を固く握った。

 白狼が意地の悪い笑みを口の端に浮かべる。前々から思っていたが、こいつやっぱり口喧嘩が強い。


「図星か。己が失敗を恥じるのは勝手だが、その後悔を他人に押し付けるのは感心せんぞ」


 煽る白狼に、じっと黙るユノ。

 私は車内の空気がどんどん悪くなっていくのを感じた。勘弁して欲しい。聖都に着くまでまだ結構長いというのに。


「え、えっと! 固い話はここまでにして、音楽でも聴きながらお菓子でも食べませんか? ピアノの弾ける乗務員を呼んできますから――」

「僕の育ての親は、人の姿をした悪魔でした」


 重苦しい雰囲気を変えようとしたのだが、最悪に重苦しそうな話題をユノが切り出してきた。


「ええと……。親御さんが悪魔だった……?」

「はい。その悪魔は、食うために僕を育てていたんです」


 感情を押さえつけるように、不自然なほど淡々とした口調で告げるユノ。


「だから僕は――この手でその悪魔を殺しました」

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