第16話『雨喚ぶ大蛇の呪い⑧』

「そもそもがおかしな話だったんです。この村には古くから『雨を喚ぶ大蛇』がいると伝えられているのに、穀倉地として有名になるくらい――豪雨に襲われたことがないなんて」


 ふふんと笑って私は村人たちに語り始める。

 今日この日、私が【雨の大蛇】と戦わなくてよい口実を。


「つまりこの村は【雨の大蛇】の存在を知った上で、被害を抑えるように――場合によっては利益すら齎してくれるよう、何かしらの対策をとり続けていたはずです」

「っ! メリル・クライン様。それはもしや、滝壺に生贄を捧げるという行為なのでは……!」


 そこではっと私を振り向いたのはユノだ。

 おぞましさと悪魔への嫌悪のためか、その目は獰猛な怒りに燃え揺らいでいる。


 が、私はそっと掌を差し出して彼を押しとどめる。

 間違っても暴走するな馬鹿ガキ、と内心でちょっと焦りながら。


「違います。そのように邪悪な対価を求める悪魔ならば、村が壊滅寸前になった時点で誰もが村を捨てて逃げたでしょう。それなのに老人たちは心中覚悟で村に残っていた。それはおそらく、もっと良好な関係ということで――」

「『このまま村を捨てては大蛇様に申し訳が立たない』と、父は言っていました」


 そのとき、広場にいた一人の婦人が泣きそうな顔で語り出した。

 恰幅の良い中年の女性で、言葉からして犠牲者の老人の娘と思われた。彼女は罪を告白するように、震えながら両手を握っている。


「メリル様の仰るとおりでございます。このペグ村は百年以上も昔から、大蛇様とともに暮らして参りました。私どもは必要なときには雨を乞い、そうでないときは晴れた空を乞い。収穫の折には大蛇様に感謝の祈りを捧げ、この日まで暮らしてきたのです」

「つまり【雨の大蛇】を鎮めるための手段は、感謝の祈りということでいいんですね?」

「はい。穀物庫に集ってきたネズミを捕らえて生かし、収穫祭の際に滝壺へ落とすという……」

「あっ。具体的手順はいいです」


 生々しい田舎の風習などあまり聞きたくないので、私は慌ててストップをかける。

 話の流れを取り戻すように私は咳払いをして、


「きっかけはシラート氏が領主の座を継いだことですね」

「……その通りです」


 今日見た限りでも、シラート氏は決して悪人ではない。ただちょっと信仰心が常軌を逸しているだけだ。

 そんな彼が領主となり、領内で教会の教えを徹底させた。

 こんな辺境の村にも、大量の聖女像が設置されるほどに。


「聖女様の像を設置して間もなく、長い雨が降り始めました。私どもは皆、それがどういう意味なのか察しました……大蛇様がお怒りになったのだと。私どもは大蛇様を崇めていましたが、教会にとって大蛇様は悪魔とされる存在。教会の象徴たる聖女様を崇めれば、大蛇様がお怒りになるのも当然だと……」


 婦人は地に頭を伏してそう自供する。村人たちの多くも同じ姿勢となっていた。


「違いますよ」


 そんな大勢の前で、私はそう言い切った。


 ――その解釈はよくないからだ。


 この村の過去とか、老人たちがどんな思いで自死したとか、母の像への扱いとか。

 そんなことは死ぬほどどうでいもいい。

 大事なのは『私が戦わなくてよいこと』で、そのために必要なのは――


「【雨の大蛇】は怒ってなんていません。貴方たちのことを害するつもりもありません」


 ただ一つ。

 悪魔である【雨の大蛇】を処刑しなくてよい理由をでっち上げることだ。


「狼さん。さっき言ってましたよね。これだけ強力な悪魔は、人間と同じくらいの知恵があると」

「ああ」

「なら、【雨の大蛇】がこう考えてもおかしくありません」


 私は指を立てて、自信満々に言う。


「教会は悪魔を許さない。これまで自分と村人たちが共存してきたのがバレたら、村人たちまで処罰されてしまうかもしれない――と」


 村人たちが一斉に息を呑んだ気配がした。

 実際そうだ。悪魔と共存していた者たちに対して、教会がお咎めなしで済ませることはあり得ない。最悪、死罪すらあり得る罪だ。


「だから【雨の大蛇】は雨を降らせたんです。『自分と村人たちは無関係だ』と。村に甚大な被害をもたらすことで、共存関係を否定しようとしたんです」

「待ってください、メリル・クライン様」


 そこで物言いを挟んできたのはユノだ。


「ならば、今降っている雨は何なのですか。村人との共存関係を否定するための自作自演ならば、僕に討たれて死んだフリをすればそれで済んだはずです。なぜまたその後に、雨を降らせる必要があるのですか」

「簡単なことです」


 自殺した老人はいずれも、故郷との――いや【雨の大蛇】との心中を決めて村に残っていた者たちだ。

 そんな彼らが目の当たりにしてしまったのだ。

 返り血に塗れて山を下りてくるユノを。【雨の大蛇】の死を告げる晴天の光景を。


 身を投げる直前の彼らはきっと、滝壺の前でこう言ったに違いない。


 ――すまんかったなぁ。

 ――儂らだけ生き残ってしまってなぁ。

 ――今、そっちに行くからなぁ。


「自殺者が相次いだ後【雨の大蛇】は再び雨を降らせることで、村の皆さんにこう伝えたかったんです」


 私は村人たち全員に伝わるよう、声を張って言う。


「『私は生きている。どうか悲しまないでくれ』と」

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