第15話『雨喚ぶ大蛇の呪い⑦』
「成程。言われてみれば確かに不可解だ。教会を恐れて死んだフリをしたのかもしれんが、だとすれば何故また雨を降らせ始めた?」
私の疑問に対し、白狼は興味深げに唸った。
一方、ユノはあまり不可解と思わなかったようで、
「蛇の悪魔にそのような知能がありますか? 一時的に怯えたから死んだフリをして、しばらくして忘れたから雨を降らせ始めたのでは?」
「侮るなよ小僧。強い力を持つ悪魔は、相応に高い知恵も併せ持っている。これだけの規模の悪魔である以上、人間に劣らぬ知性を持っていると考えるべきだ」
「さきほど貴方が咥えていた蛇は、人間のように賢そうには見えませんでしたが」
「あれは【雨の大蛇】の末端も末端。貴様ら人間でいう爪や毛のようなものだ。爪や毛が勝手に物を考えはせんだろう」
白狼とユノが言い争うのを聞きながら、私は自分の眉間を指でつまんだ。
滝壺の大蛇が死んだところで【雨の大蛇】本体に痛手はないはず。ならば一時的に雨を止ませる必要もなかった。それに――
「村人たちの投身自殺は、本当に呪いだったんでしょうか?」
これまで私は、相次いだ村人の自殺について『弱った【雨の大蛇】が力を取り戻すため、住民を呪って生贄を求めたもの』と解釈していた。
しかし前提として【雨の大蛇】が弱っていなかったなら、そもそも住民を呪って餌食にする必要などない。変わらず雨を降らせ続けるだけで自然と村を崩壊させることができたろう。
と、そこでユノが私に向けて言葉を発した。
「畏れながら申し上げますと、僕が彼らと会ったときは、とても自殺するような精神状態とは見受けられませんでした。やはり呪いの影響があったのではないでしょうか」
「えっ」
意外な言葉に私は当惑する。
「犠牲者の方に会ったことがあるんですか? いつ?」
「僕が最初の討伐で村を訪れたとき、山に入るのを止めてきた老人たちです。自殺者の似顔絵を確認したところ、全員があのとき見た顔でした」
「その人たちは当時、自殺しそうな様子ではなかったと?」
「はい。僕のことを心配してくれましたが、特に悲壮感などは感じられず、報告書にあったような『憑りつかれたように憔悴した様子』ではありませんでした」
「それはおかしいです」
呪いがあるとかないとか、そういう話以前の問題だ。
「そのとき彼らは『雨で滅びゆく生まれ故郷と心中するつもり』で村に残っていたんですよ? 悲壮感に満ち溢れてしかるべきでしょう?」
びしりと私が指摘すると、ユノはしばし考えこんでから「そう仰られると、そのように思います」と頷いた。
つくづく鈍いガキである。悪魔祓いの技術を学ぶ前に、まずは人間として当たり前の感覚を身に着けた方がいいと思う。
雨の降りしきる広場に立ちながら、私は考える。
――本当に老人たちは呪いで自殺したのか?
――それは【雨の大蛇】が一時的に雨を止ませたことと関係があるのか?
いいや、そんなことは些事も些事。
一番大事なことはただ一つ。
――どうすれば私が戦わないで済むか?
傘に弾ける雨音がいつまでも続く。
真相なんてどうでもいい。私が戦わないための理由付けが最重要だ。この世のすべてが滅ぼうが、私さえ生き残ればそれでいいのだ。
じっと立ち尽くす私を心配したのか、若い村人の一人がこちらに寄ってきた。
「あのう、メリル様。寄合所でお茶を用意しますので、少しお休みになっては……」
それには答えず、私は考えていたことをそのまま尋ねる。
「この村は穀倉地として有名なんですよね? 乾いた気候で、特に麦がよく獲れると」
「え? ええ、はい……」
「今までこんな風にひどい雨が続いたり、凶作になったことはありましたか?」
「いえ、こんなことは今回が初めてですが……」
ぱちん、と私は両手を叩いた。
「分かりました、結構です」
若者をおざなりに追い払うと、私は足元の白狼に目を落とす。
「狼さん。元の姿に戻ってくれますか?」
「なんだと?」
その言葉に動じたのは白狼の方だ。
「我は構わんが……ここで真の姿となれば、村の者どもが逃げまどって収集が付かなくなるぞ」
「いいえ。きっと、そうはなりません」
「――?」
首を傾げた白狼だったが、やがて面白そうに口の端を吊り上げた。
「何か掴んだのだな。娘よ」
「ええ。だからお願いできますか?」
返答よりも先に白狼は身を震わせた。
犬のようだったその体が一気に膨張し、瞬く間もなく巨大な狼へと変じていく。
「ならば見よ! 我が真の姿を――!」
地響きとともに白狼が両脚を地に落とす。
村人たちからは大きなどよめきが上がったが――それだけだった。
「……む? どうした貴様ら。なぜ逃げん」
村人たちの中に驚嘆や好奇の目はあれど、たとえば聖都の住民が悪魔に対して抱くような――純然たる恐怖の感情は見当たらない。
「やっぱりですか」
私は勝利宣言とばかりに小さく微笑む。
「この村の人たちはずっと【雨の大蛇】と共存していたんです」
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