第14話『雨喚ぶ大蛇の呪い⑥』
異様な光景だった。
村中の聖女像が広場に集められ、立錐の余地もないくらいにひしめいている。いずれの像も女神のごとく神々しいポーズを取っているが、母があんな仰々しい恰好をしているところなど見たことがない。
ソファーで横になりながらお菓子を食べているポーズの方がふさわしいと思う。
「これは……これは私の信仰に対する試練ということなのですね……」
己が身を抱いて震えながら私に問いかけてくるシラート氏。その顔は完全に血の気を失っている。
「偶像を失ってなお、麗しき聖女様の姿を眼前に思い浮かべることができるか――そういった試練とお見受けしました! ならばこの胸が張り裂けようと、苦難を乗り越えてみせましょうとも!」
「あ、はい、そういう感じで」
青ざめた顔で暑苦しい台詞を叫ぶシラート氏を置き去り、私は集められた石像群の前に立つ。村人や石工たちが総動員で集めてくれたのだが、彼らが手伝ってくれるのはここまでだ。
聖女の絵画や彫刻などを破壊する行為は、場合によっては教会に対しての不敬罪となることがある。それに、いくら娘の私が無罪放免の保証を与えても、心情的に聖女の像にハンマーを振り下ろすのはきついだろう。
だからといって、か弱く非力な美少女の私が一人でこの像を全部壊すというのは不可能なので――
「やはり実の母親の像を壊すのは気が進まんか。いいだろう、我に任せよ」
この場で唯一、聖女像を壊すことに対して一切の躊躇を持たない白狼に仕事を任せることにした。
「しかし、我が人前で力を振るってもいいのか?」
「まあ……とりあえずサイズはそのままで、神の御遣いの聖獣とか説明すれば大丈夫だと思います」
「ククク、聖獣か。我もずいぶん立派になったものだな」
互いに小声で打ち合わせる。
「じゃあ、お願いします」
「うむ」
一度頷くと、白狼の姿が搔き消えた。
そして次の瞬間には、何体もの聖女像が微塵切りになって崩れ落ちた。白い影が高速で像の間を駆け抜けるたび、次々と母の像が石礫の山と化していく。
(ああ。これは言い訳するまでもないわ……)
たぶん今、『白狼が聖女像を壊している』と認識できている者が誰もいない。何の前触れもなくいきなり聖女像がガラガラと崩れ始めたことに、村人たちは理解が追いつかず動転している。
唯一の例外はユノで、冷静に目を動かして白狼の姿を追っていた。ぎょろぎょろと動く目が少し不気味だった。
「終わりだ」
たった十秒程度で、白狼は私の足元に戻ってくる。
ただでさえ雨で視界が悪い中、この十秒の彼の不在に気づいた者は皆無だろう。
なお、シラート氏は精神的ショックが強すぎたようで、地面に頭から倒れ伏していた。数名の村人が慌てて助け起こして介抱している。
そこで私は空を見上げた。
母の像はすべて破壊した。これで雨はどうなるか――
「止まんな」
「うっ」
村の上空に淀む雨雲は一向に晴れる気配を見せない。
村人たちは瓦礫と化した聖女像に懺悔の祈りを捧げ、後始末のため荷車を引き始める。
次の手はどうするか。
私が考えていると、ユノが歩み寄ってきた。そのまま膝が泥に塗れるのも厭わず、私の前に膝をついて、
「どうか意見を奏上することをお許しください、メリル・クライン様。やはり【雨の大蛇】を今すぐ討伐すべきではないでしょうか。この村に入ってからずっと――今も、滝壺の方角から悪魔の気配を感じています。あの悪魔が生きているのは明白です」
うげっ、と私は内心で舌を出した。
私は悪魔の気配などちっとも分からないから、全然気づいていなかった。ユノは既にそこまで状況把握していたのか。
ユノの討伐が成功していて【雨の大蛇】はもう死んでいるという可能性は、これで完全に否定された。
「ふん、小僧め。この娘がその程度のことを分かっていないと思うか?」
と、急に白狼が呆れたような嘲笑を漏らした。
なんだこいつ。皮肉のつもりか? 分かっていないに決まってるだろうがバーカ。
「どういう意味ですか」
「待っていろ」
すると白狼は広場の隅っこに駆けていき、池のように大きな水溜まりに口を突っ込んで何かを咥え、すぐ舞い戻ってきた。
玩具にできそうなボールとかを見つけたのだろうか――……と考えた私は、戻ってきた白狼の口を見て「ぎゃっ」と軽い悲鳴を上げた。
蛇だった。
大蛇ではない。ごく常識的なサイズの蛇が、白狼の口に咥えられてぐにゃぐにゃと悶え暴れていた。
「どうだ小僧。ここまで間近で見れば分かるか?」
「この蛇がなんだと――」
そう言って蛇を覗き込んだユノは、いきなり背後に飛びのいて目つきを鋭くした。
「……なぜその蛇から【雨の大蛇】と同じ気配が」
「我も気づいたのはつい先程だ。馬車の中では気づかなかったが、こうして雨に濡れてみてようやく分かった――降り続けるこの雨そのものが『蛇臭い』とな」
「どういう意味です」
「つまり【雨の大蛇】の本体は、雨水そのものだということだ。雨水の集う滝壺や、水の溜まる場所では蛇としての姿を現す。しかしそれは【雨の大蛇】という存在全体からすればほんの一部でしかない」
白狼が咥えた蛇を吐き出すと、蛇はしばらく地面をのたうち回ったが、やがて降りしきる雨水に溶けるように消えていった。
「もう一度聞くぞ小僧。滝壺に向かってどうするつもりだ? 滝壺の大蛇を何度倒したところで【雨の大蛇】の総体にとっては掠り傷にもならんぞ」
もし力ずくでやるというなら、と白狼は前置き。
「この雨雲の圏内全域を覆い尽くすほど巨大な結界を張り、水一滴の逃げ場も与えず浄化し尽くすしかない。だがそんな規模の奇蹟を起こせるのは、我の知る限りこの世に二人しかいない」
「聖女様と、メリル・クライン様ですか……」
「その通りだ」
勝手に私の名を挙げるな。
できるわけないだろそんなの。舐めんなバーカ。
「我ですら気づいたのだ。この娘も既に【雨の大蛇】には気づいているはず。それでも結界による浄化を決行していないのは、【雨の大蛇】の凶行を止める策が他にあるから――そうだろう?」
「そうなのですか、メリル・クライン様?」
馬鹿二名が熱い視線をこちらに寄越してくる。
「え、ええっと……」
困った。
母の像を壊した時点で策など打ち止めである。というかユノも白狼も、情報は逐一共有して欲しい。
特に白狼。まさか【雨の大蛇】の正体がもう分かっていたなんて。
特別列車と同じくらいの大蛇すら総体のごく一部でしかない、超巨大規模の悪魔。そんなもの私に対応できるわけがない。
今すぐママを呼んで処刑執行を依頼する以外に、この雨を止める策なんてあるわけが――
「……あれ」
そこで、私はふと自分の口元に手を当てた。
違和感。【雨の大蛇】にとって、滝壺の大蛇がほんの末端にしか過ぎないのなら――なぜ。
「どうしてユノさんが最初に滝壺の大蛇を討伐したとき、しばらく雨は降り止んだのでしょう?」
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