第10話『雨喚ぶ大蛇の呪い②』

 聖クライン駅は聖都でもっとも小規模な鉄道駅である。


 立地はうちの実家の正門を出て、通りを挟んで徒歩十秒。

 クラインという姓を冠した駅名からも分かるとおり、これは我が家のためだけに整備された駅である。聖女たる母が遠方への任務に赴く際は、基本的にここから出る特別列車で移動することとなっている。

(最近の母は「列車旅は飽きちゃった」とのことで、もっぱら自前の健脚で移動するのだが)


 今回の私の任務はこの駅から始まる。

 前回の任務の際は列車の準備が間に合わなかったが、今回からはいよいよ私専用の特別列車が手配される運びとなったのだ。

 ちなみに前回なぜ準備が間に合わなかったのかというと――私も母のように自力で移動するものと思われていて、そもそも誰も列車を手配していなかったらしい。まったくふざけている。


「――娘よ。駆け行く方が早いのではないか?」


 駅のプラットホームで特別列車の到着を待っていると、私の隣でふざけた発言をしてくる奴がいた。

 白狼である。

 歩くだけで地響きを起こすような普段の体格ではなく、大型犬くらいのサイズに縮んでいる。こいつを我が家の庭園から外に出すときは、周囲に配慮して正体を隠すよう、教会の偉い人から遠回しに要請されたのだ。


 私は白狼の疑問に対し、用意していた答えを告げる。


「今回は同行者がいますので。置き去りにしてしまうわけにはいかないでしょう?」

「成程。確かに、並みの悪魔祓いでは貴様ら親子の早駆けにはついていけんだろうな」


 ホームの手前でお座りしながら頷く白狼。

 喋っていることを除けば、完全にただの犬っころである。

 列車到着のタイミングで線路に蹴り落してみたらどうなるだろうかと私は一瞬考えるが、たぶん悪魔がその程度で死ぬわけはあるまい。


「……というか狼さん。そんなに簡単に小さくなれるのだったら、普段からその姿でいてくれませんか?」

「一日や二日なら構わんが、常にこの姿というのは窮屈だ。人間も着慣れぬ衣服を纏うのは疲れるだろう。それと似たようなものだ」


 危うく舌打ちをつきそうになったが、すんでのところで堪えた。

 犬なら犬らしく命令に従えばいいものを。

 やはりこの後、案内役の悪魔祓いと合流したら速やかに始末を任せよう。


 と、私が考えていると。


「む?」


 白狼が急に鼻を鋭くして、駅舎の方を振り向いた。

 この駅は母と私専用の駅なので一般人は立ち入りが許されない。駅舎の改札を抜けるためには、教会関係者のみが持つ専用の鍵が必要となる。


 だというのに――駅舎から一人の子供が出てきた。


 14歳のわりに小柄なメリルよりも、さらに一回りは背丈が低い少年だ。

 おそらく初等学校の高学年あたり。十一歳か十二歳といったところか。


(あれっ。もしかして私、鍵を閉め忘れてたっけ?)


 たぶん閉じたような気がするが、駅舎の手前まで母が見送り(という名の監視)に来ていたので、緊迫のあまり上手く鍵を回し損ねたかもしれない。


 それにしても、いい根性をしたガキだ。

 この聖クライン駅はうちの敷地みたいなものである。聖都でそのことを知らぬ者はいない。畏れ多くもそんな場所に不法侵入を試みるとは。


 ここはひとつストレス発散――ではなく、このガキの今後のためにキツく叱っておいてやらねば。

 私が底意地の悪い笑みを浮かべて少年に近づこうとすると、


「メリル・クライン様ですね」


 なんと向こうからこちらに話しかけてきた。

 なんともふてぶてしい。有名人わたしに会えてラッキーとでも思っているのか。慌てて「ごめんなさい」と叫んで逃げだせばまだ可愛げがあるというのに。


「ええ。そうですが何か? 私のサインでも欲しいのですか?」

「いいえ。そのような物を所望できる立場ではないことは弁えています」


 ありゃ、と私は拍子抜けする。

 意外と物分かりがいい。ここで欲しがってきたら「不法侵入者にあげるサインはありませ~ん」とイジめ――ではなく叱ってやるつもりだったのに。

 いや待て。サインを要らないと言われるのもそれはそれで腹が立ってきた。


 そこで突然、少年が私の前で跪いて頭を垂れた。


「メリル・クライン様。このたびは本当に申し訳ありません。己の至らなさに恥じ入るばかりです」

「えっ?」


 これから叱ろうと思っていたタイミングで急に謝罪されると、人間は得てして怒りの矛先を失うものである。ましてこんな子供が、まるで大人のように真摯な態度で謝ってくるのだから。

 私は一気に戸惑って、目線を泳がせながら気まずく頬を掻く。


「ま、まあ別に……全然いいですけど? 私は聖女の娘ですから、この程度で怒ったりしません」

「本当にお許しいただけるのですか?」

「だから気にしないといっているでしょう! 早く頭をお上げなさい!」


 子供に大げさな謝罪を強要しているようで、なんだか居た堪れなくなってきた。

 私もちょっとイライラしすぎていた。駅に踏み込んだくらい何だというのか。好奇心旺盛な年頃だろうし、寛大な心で許してやるのが大人の対応というものだ。


 少年はゆっくり立ち上がると、私に向かって恭しく一礼した。


「ありがとうございます、メリル・クライン様」

「ああ、はい」

「どうかその奇跡の御力にて――僕が討ち損ねてしまった悪魔を、どうか此度こそ討ち滅ぼしてくださいますよう」


 少年の口から予想だにしていなかった台詞が出てきて、私は完全に息を止める。


「へ。悪魔……?」

「案内役を務めさせていただくユノ・アギウスと申します。前回【雨の大蛇】の討伐に失敗した、不肖の前任者でございます。始末を任せる形となってしまい、本当に重ねて申し訳ありません」


 てめえこのガキもう一回頭下げろ。

 ふざけんな絶対許さねぇからな。


 私は無言のままに、心の中でそうキレた。

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