第7話「聖女をも超える聖女」


 私を含めボンボン育ちの下っ端たちは、そもそも間近で銃声を聞いたことがない。

 聖都の式典などで空砲が撃たれるのを目にしたことがあるくらいだ。


 ――だから、何が起きたのかすぐには理解できなかった。


「動かないでください」


 合図のように右腕を挙げているドゥゼルと、長銃を構えている聖騎士たち。

 今しがた撃たれた一発は威嚇のようで、一人だけ空に銃身を向けている。


「特にメリル様。もし少しでも動けば、あなたの可愛い部下たちを皆殺しにします」

「……へっ」


 事態に頭の処理が追いついてこなかった。

 なぜこんな田舎神父がこの私に脅しをかけているのか。なぜ私に跪くべき聖騎士たちが無数の銃口を向けてくるのか。


「貴女は実に――実に白々しい演技をなさる。そこまで見抜いていたなら、もう分かっているでしょう。最初に事件の調査報告書を作成した私もまた、の共犯であると」


 私の全身からどっと冷たい汗が噴き出した。

 そんなこと、微塵も考えていなかった。

 だいたいほんの少しでもドゥゼルが怪しいと思っていたら、こんな夜中にノコノコと峠に同行なんてしていない。


 私がぐるぐると目を回している間に、立ち直った下っ端の一人が聖騎士たちを怒鳴る。


「こ、この無礼者ども! 神に仕える聖騎士がメリル様に銃を向けるなど、決してあってはならんことだぞ!」


 返答の代わりに発砲が来る。

 足元に脅しの銃弾を撃ち込まれた下っ端は、気勢をなくしてその場にへたりこんだ。


「ああ。こいつらはただの傭兵崩れですよ。まともな増援を一日や二日で呼べるわけないでしょう。出資者殿スポンサーに『小賢しい聖女が詐欺に気づくかもしれない』と相談したら、急いで手配してくれましてね」

「そっ、その程度で。この私に敵うと思ってるんですかっ?」


 悪魔ならまだしも、人間に殺意を向けられるなんて想定外も想定外だった。

 ほとんどパニックに陥りながらも、私は必死にハッタリをかます。


「もちろん貴女には敵わないでしょう。ですが、大勢の足手纏いどもを撃ち殺すのは簡単なことです」


 私の取り巻きは十名程度。一方の聖騎士――ではなく傭兵崩れどもは二十名以上。

 しかもこちらは誰一人として戦闘経験なしの素人揃い。相手がやろうと思えば一分を待たずに全滅だろう。


「なのでメリル様。取引といきませんか?」

「取引……?」

「はい。目論見を見抜かれてしまった以上、もはや私は教会の勢力外に逃げるしかありません。どうかこの場は見逃していただけませんか? そうすれば、貴女の部下たちの命は保証しましょう」


 私は首がもげるほどの勢いで頷いた。

 下っ端たちの命はわりとどうでもいいが、その条件なら何よりも重い私の命が助かる。ただ見逃すだけでいいなんて、まるで拒む理由がない。


 しかし、下っ端たちが騒いだ。


「ふざけるな……! メリル様! 俺たちのことなど気にせず、どうか戦ってください!」

「足手纏いになるなど御免です!」


 余計なことを言うな馬鹿ども。

 せっかく無事に見逃してもらえそうなのに。そんなに戦いたいなら率先して貴様らが肉壁になって私を守れ。


 私は掌で下っ端たちの発言を制して、ドゥゼルに告げた。


「分かりました。では、今すぐこの場を去ってください」

「そうしたいのは山々なのですがね。このまま私たちが逃げたところで、しばらくすれば貴女が単身追いかけてくるでしょう? そうなれば私たちに勝ち目はない」


 断じて追いかけない。

 この場で泣いて震えて朝を待つ。


「なので保証が欲しいのです。我々が無事に貴女から逃げおおせるという保証が」


 そう言うと、ドゥゼルは傭兵を振り返った。

 そのうち一人が背嚢から鋼鉄製の枷を取り出した。分厚く重々しいそれは、どう見ても人間ではなく猛獣を繋ぐためのものだった。


「それを身に着けていただけますか。手足にそれぞれ。それだけの重石があれば、さすがの貴女も追跡が容易ではないでしょうから」


 私はいったい何だと思われているのだろう。

 こんな猛獣用の鎖に繋いでいないと、傭兵どもを追いかけて血祭りに上げるような怪物だと思われているのだろうか。

 本当に心外だ。怪物というのは――ああいう感じだろうに。


 私は横目でちらりと白狼を見た。

 相変わらず結界の中で座ったまま、私の方をじっと見据えている。


 いや、その表情に変化があった。

 私と視線が合った瞬間、白狼はほんの微か――嘲笑うように口の端を吊り上げたのだ。


(この犬畜生……人間同士が争ってるのを見て、愉しんでやがる……)


 危うく私はキレかけた。

 醜怪なる悪魔に良識など期待する方が愚かだが、私の苦悩を肴にされていると思うと腹立たしくてならなかった。


 怒りに身を任せ、半ば投げやりな気分で私は足枷を、次いで手枷を嵌める。


「はい! これで満足でしょう! もう私は身動きできませんから、安心して逃げ去ってください!」

「ええ、ありがとうございます」


 ドゥゼルが再び右手を挙げた。それは撤収の合図かと思われたが、


「……えっ?」


 傭兵たちの構える長銃の狙いが、すべて私に向けられた。

 困惑する私にドゥゼルが告げる。


「お許しください。どこかへ逃げるにしても、手土産がないと誰もこんな老人を受け容れてはくれないのです」

「待っ。どういうっ」

「教会を疎ましく思う者も存外に多い。貴女の首は、そんな連中に最高の土産となるでしょう」


 状況を察した下っ端たちが複数人、慌てて飛び出そうとする。

 しかし遅い。ドゥゼルが斉射の合図を出す方がずっと早い。


 死ぬ――


「見事だ。メリル・クライン」


 地響きのような轟音が周囲を揺らした。

 しかし、それは銃声ではなかった。


 一瞬で私の前に滑り込んできた白狼の悪魔が、前脚の一振りで傭兵たちを全員薙ぎ払ったのだ。

 直接に爪が届いたわけではない。だが、空を裂いた衝撃だけで傭兵崩れどもはあっけなく吹き飛び、木や地面に叩きつけられて気を失った。


「なっ……なぜ」


 唯一、傭兵たちと離れたところに立っていたドゥゼルは意識を保っていたが、彼は驚愕に震えている。

 私も混乱しながら結界を振り向いた。白狼を閉じ込めていた結界には大穴が空き、ちょうどガラガラと崩壊しているところだった。


 ――え? なんでこいつ普通に脱出してんの?


 たぶん、私とドゥゼルはまったく同じ疑問を同時に抱いていた。

 それに対して、勝ち誇るように白狼が言う。


「愚かな男だ。貴様はずっと、この娘の掌で踊らされていたに過ぎん」

「なんだと……?」


 ドゥゼルが顔を青くして私を振り向くが、本当に何のことか分からない。

 クククと愉しそうに笑って狼は続ける。


「教えてやろう、この娘は最初から我を閉じ込めるつもりなどなかった。わざと薄紙のごとく脆弱な結界を張ったのだ。あの結界を見たとき、我はこう言われた気がした――『無実は分かっている。しばし待て』と」


 そんなこと言ってない。

 全力で悪魔あんたを閉じ込めようとしてた。


「どう我の無実を証明してくれるのか見物させてもらうつもりだったが……まさか真犯人を目の前に連れてきてくれるとはな。見事というほかない」

「ば、馬鹿な……」


 崩れ落ちるドゥゼル。

 白狼は彼を睨んだ後、つまらなそうにそっぽを向いた。


「引き裂いてやりたいところだが……。娘よ、貴様は人死にを好むまい。薙ぎ払った連中も相応に加減はしてある」

「えっ、あっ、はい」


 別にドゥゼルの生死など比較的どうでもよかったが、目の前でグロい惨劇が繰り広げられるのは嫌だった。


 それから白狼は目にも止まらぬ爪の一振りで、私の手枷と足枷をあっさり破壊する。

 あまりに早業すぎて恐怖を抱く暇もなかったが「今こいつの手元がちょっと狂ったら私ごと切り裂かれてたんじゃない? 雑すぎるでしょこの犬」と遅まきに肝が冷えた。


「しかし娘。かくも思惑通りに計略を運んだのは大したものだが、最後だけは感心できんぞ。なぜ連中の始末を我に任せた?」

「任せ……?」

「我に目で合図を送ってきただろう」


 ああ、そういえば目が合ったときに嗤ってたわこいつ。あれを合図だと思ったのか。


「貴様ほどの実力者なら、あの場面を切り抜ける術などいくらでもあったはず。今の手枷もよほど頑丈なのかと思ったが……裂いた感じ、この程度なら貴様でも簡単に破壊できたろう。なぜ無力になったフリをしてまで、最後の詰めを我に託した?」

「え、ええっと‥…」


 無力のフリではない。本当に無力でどうしようもなかっただけである。

 だが、そんな真相を打ち明けるわけにはいかない。私が無力無能だと分かれば、この犬畜生は即座に牙を剥いてくるだろう。


 もう理屈とか言い訳を考えている余裕はなかった。

 咄嗟に私の口をついて出た言葉は、


「あなたは悪い悪魔ではないと思ったので! きっと助けてくれると思ったので!」


 子供みたいに幼稚な感情論だった。

 助けてくれると思ったから、任せた。今の煮詰まった脳みそでは、もうそのくらいしか思い付かなかったのだ。


 白狼は私の苦しい答弁を聞いた後――鼻で笑った。


「娘。悪魔という言葉の意味を一度調べなおした方がいいぞ」

「ぬぁっ……」


 露骨にこちらを馬鹿にしている。そりゃあ『悪くない悪魔』なんて矛盾した言葉もいいところだが。


 そこで、呆気に取られていた下っ端たちが、ようやく正気を取り戻して歩み寄ってきた。


「あのう……メリル様」

「ああ、みなさん。無事ならとっとと街に戻りましょ……」

「俺たち、感動しました!」

「へ?」


 雪崩れ込むようにメリルの眼前に跪いた彼らは、なぜか恐怖ではなく感動に泣きじゃくっていた。


「メリル様の言っていた『お母様をも超える聖女になる』というのは、こういうことだったのですね! まさか悪魔を打ち払うのではなく、従属させてしまうなんて……」

「メリル様ご自身の力に、子分となった悪魔の力をも加えればもはや敵なしというものです!」


 歓声とともに部下が喚き散らすが、私は即座に目を血走らせて反論した。


「違います! 従属とか子分とかそういうのではありません! 断じて! くれぐれも誤解しないように!」


 そんな言葉遣いをして、この悪魔が機嫌を損ねたらどうするのだ。

 なんなら今は、銃を突きつけられていたさきほど以上に危険な状況なのだ。この狼が気まぐれに爪を振るっただけで、ここにいる全員が血煙と消えてしまうのだから。


「狼さん。誤解なさらないでください。私はそんなつもりはありませんので!」

「言わずとも分かっている」


 巨体を翻し、白狼は峠の森の方へ歩んでいく。


「――我を信じてくれたことに感謝する。友よ」


 地響きとともに山奥へと消えていく白狼。

 彼が放った最後の言葉に、私は――



 何言ってんだこいつ?



 と思った。

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