第6話「私を誰だと思っているのです?」
「ところでメリル様。調査の方は如何ですかな?」
峠道の途中で、ドゥゼルはそう尋ねてきた。
気乗りのしない行軍に付き合わされていた私は、ぶっちゃけ口を開くのも億劫だったが、無視するわけにもいかないので応じる。
「真相はまだ分かりません。ですが、不可解な点はいくつかあります」
「ほう」
大事なのは真相ではない。
揚げ足を取るようにどうでもいい疑問点を逐一見つけ出して、それを長々と捏ね回し、処刑執行をひたすら先延ばしにすることだ。
「まずそもそも、なぜ被害者たちが峠道を通ったかということです」
「それはもう仰ったでしょう。異国の商人が手配した者ゆえ、悪魔が棲んでいるのを知らなかったと――」
「ですが街の住民たちに聞いたところ、この峠は悪魔の件を抜きにしても通行路として非常に評判が悪いそうです。傾斜はきつく、未舗装で凹凸は多い。一方、麓の迂回路は石畳で整備されている。悪魔が棲んでいるという事情を知らずとも、商人ならば一目瞭然でどちらを通るべきか判断がつくはずです」
ほとんど聞きかじった話を、そのまま私は垂れ流す。
ドゥゼルは悩ましげに首を振った。
「それは、何かしらの事情があったのでしょう。事前に指定のルートを通るよう手配主から指示があったのかもしれません」
「だとしたら、なおさら疑問です。あんなに相次いで被害を受けているのに、漫然と同じルートを指定し続ける商人というものがいるでしょうか?」
「……成程。確かに不可解ではありますが、実際に事件は起きたのです。それだけいい加減な者も、この世にはいるということでしょう」
ふむ、と私は唸った。
そんなものだろうか。もっとも、案外と世の中は適当なものかもしれない。世間では完璧超人と持て囃される我が母も、家ではぐうたらなテキトー人間なわけだし。私のような無能にも悪魔祓いの免状が下りたわけだし。
下っ端たちが松明で照らす夜道をひた進む。
黒の外套を羽織った聖騎士たちは、横一列の陣形で私たちの後ろをついてくる。どうせなら前を歩いて警護の役目を果たして欲しいが、おそらく前衛は私の担当ということなのだろう。
やがて結界と――その中で微動だにせず座っている白狼の姿が見えた。
閉じ込められているといえど、やはり近くに来ただけで威圧感が凄まじい。しかもなぜか、白狼は私のことをやたらと凝視してくる。
視線から逃れようと下っ端の陰に移動してみても、執拗に赤い瞳が私を追ってくる。
なんだこいつ。
喧嘩でも売っているのか。
ならば震えて待て。あと数日もすればきっと母が来る。その時こそは惨たらしく殺処分してくれよう。
下っ端の陰に隠れながら、私が黒い笑みを浮かべていると――
「ご相談なのですがメリル様。やはりこの場で悪魔を滅していただくわけにはいきませんか?」
いきなりドゥゼルが無茶な要求をしてきた。
もちろん私は狼狽して、両手をわたわたと振り回す。
「おっ、お待ちください。そういったことはしないという約束でしょう。まだ調査は途中なのですから」
「調査ですか」
落胆したようにドゥゼルが長い溜息をついた。
「僭越ながら申し上げさせていただきます、メリル様。確かに不可解な点はいくつか残っているかもしれません。しかし此度の事件では、既に大量の死者が出ているのです。多くの者が死に、その家族は今も泣き暮らしていることでしょう」
「うっ」
「このような状況で些事に囚われ、処刑を先延ばしにする必要があるでしょうか。一刻も早く被害者たちの仇を討ち、彼らの魂の安寧を祈るのが我ら教会の責務であると考えます」
困った、正論だった。
その通りだ。どう調査したところで、この悪魔がやったという結論はどうせ変わらないのだから、さっさと処刑執行するのが教会の一員として模範的な行動だ。
さらに遺族の感情なんかを盾に主張されると痛い。
メリルだって人の子である。家族を失って泣き暮らしている善良な人々の姿を思い浮かべれば、ほんの少しは良心に響くところが――
――『こんな連中、一人たりとも聞いたことがねえ』
――『あんな化物のいる峠、誰も好き好んで近寄りゃしません』
「……ん?」
「どうなさいました、メリル様」
唐突に思い出した街の人々の言葉とともに、頭のうちで何かが閃きそうになった。
新たに先延ばしの言い訳にできそうな、何かが。
――『まるで神隠しのように消え失せた被害者たち』
――『何一つ痕跡の残らない、魔性の者の仕業としか思えない犯行』
そして脳裏に、白狼の言葉が蘇る。
――『我は誰も殺していない』
その瞬間、その『何か』は私の口から自然に出てきた。
「本当に被害者がいるのでしょうか?」
「……はい?」
「いえ。街中で聞き込みをしても、被害者の方たちを誰一人としてご存じなかったですし、事件の痕跡も何もかも見つかっていないんですよね? まず大前提として、本当に事件があったんでしょうか?」
さきほど私は、泣き暮らす遺族の顔を想像してみようとして――ちっとも思い浮かばなかったのだ。どの証拠も証言をとっても、あまりに『事件があった』という現実味が薄すぎて。
「はは。何を仰る。本当に事件がなければ、わざわざ異国の商人が手間をかけてまで教会に被害を訴えたりしないでしょう。何の得があって架空の事件をでっち上げるというのです」
そりゃそうか、と私が思ったとき。
ふいに下っ端の一人が声を発した。
「あ、あのっ! もしかすると荷馬車の積み荷に保険金がかかっていたということはないでしょうか?」
私は発言した下っ端を振り返る。
すると下っ端は咎められたと勘違いしたのか、委縮したように頭を下げる。
「も、申し訳ありません。私ごときが出過ぎた発言を……」
「構いません。続けてください」
なんかよく分からないが、時間稼ぎの援護射撃なら望むところである。
私に促された下っ端は頷いて続ける。
「架空の被害を積み上げて、しかる後に保険金を請求すれば――荷主の商人には多大な利益が生まれませんか? 実際は何の損害も受けていないのに、多額の補償だけは得られるわけですから」
へぇなるほど、と内心で私は唸った。
保険という商売の制度は聞いたことがあったが、そんな悪用の仕方など考えたことはなかった。まったく世の中、悪どいやつがいるものである。
「ははっ。いや愉快な想像ですが、あまり聞きかじりで物を言うべきではありませんよ」
そんな下っ端の言葉に対し、ドゥゼルは大いに笑った。
教鞭を執る教師のような態度で彼は指を立てる。
「残念ですが、それはあり得ません」
「なぜですか?」
ややムッとして反駁する下っ端に対して、ドゥゼルは鋭く一言。
「商売をあまりに舐めすぎです」
みなさんはご存じないでしょうが――とドゥゼルは続ける。
「荷馬車や船舶などの保険制度を運営しているのは、複数の国に股をかける大商会などです。あるいは国家が運営している場合すらある。往々にして彼らは、大変に財布の紐が固い」
「はあ……」
未だドゥゼルの言わんとするところが分からず、下っ端は生返事をしている。
やれやれと彼は首を振って、
「要するに。今回の被害を訴えた異国の商人が、どこかで保険による補償を訴えようと、銅貨一枚とて支払いなど許されないということです。悪魔を殺すのに証拠は要りませんが、保険の請求には揺るがぬ証拠が必要不可欠ですから」
言い負かされた下っ端が項垂れる。
ドゥゼルはどこか勝ち誇った笑みを浮かべ、仰ぐように白狼を示す。
「さあメリル様。懸念がもうないのでしたら、どうか今すぐこの忌まわしい悪魔を滅してくださ――」
「あります」
びしりと私はドゥゼルに指を向けた。
私は商売の仕組みなど大してよく知らないが、今のドゥゼルの説明には一点だけ致命的に納得できない部分があった。
「……ほう。まだ、何か?」
「今回の事件に対して、証拠不十分だから保険金というものが払われない――それはおかしいと思うんです」
「何を仰っているのですメリル様。此度の事件は著しく証拠不足だと、貴女自身がさんざん指摘なさっていたではないですか」
「それとこれとはまったく別問題です」
ちっちっと私は指を振った。
新たに素晴らしい先延ばしの方便を思い付いて、ことさら気分がよかった。
「私はメリル・クラインです。聖女をも超える聖女と呼ばれる、この世でもっとも尊い存在です」
「それは、重々承知しておりますが……」
「ならば理解できるでしょう」
私は懐から一枚の紙を取り出した。
白狼に対する討伐依頼書。集団失踪を引き起こした悪魔を殺し、事態を終息させて欲しいという旨の書かれた書類だ。
「私がこの白狼を滅ぼし、この依頼書に『任務完了』の署名を記した時点で、誰がその偉業に文句を付けられるというのです?」
さきほどドゥゼルは、『保険制度を運営しているのは大商会や国家といった存在』だと言っていた。
――その程度の連中がなんだというのか。
悪魔に対して唯一の対抗戦力を持つ教会は、どんな国家や商会よりも上位の存在だ。その中でも最高位の立場にある
「まして此度の事件は、記念すべき私の初陣。保険屋ごときが『あの事件はそもそもでっち上げだったのでは?』などと難癖を付けて支払いを拒絶してみなさい。それはこの私の偉業に泥を塗る冒涜とみなされ、どれだけ教会の怒りを買うか分かりません。泣き寝入りしてでも言い値を払うしかないのです――というわけで!」
会心の言い訳に私はテンションを上げる。
「ますますもって、この場で私が手を下すわけにはいきませんね! 保険がどうのという件も考慮して、聖都の商会なども巻き込んで大きく再調査する必要があるでしょう!」
勝った。
言い訳を捏ね繰り回して、問題の規模を大幅に広げることに成功した。
これはもう一日や二日では片付かない。どう足掻いても長丁場になる。
「はい、みなさん! そういうわけですから帰りましょう! もう夜も遅いですし!」
私が満面の笑みで全員にそう呼びかけた瞬間。
――その場に銃声が響いた。
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