第2話「絶対こいつがやってるでしょ」

 この峠では、頻繁に人が消えるという。


 交易商人の馬車が累計35台行方不明。

 行商人など個人単位では100名余りが行方不明。


 いずれの事例においても遺体や遺留品は一切見つかっていない。神隠しのような消え失せ方だったという。

 度重なる被害を受け、今回いよいよ教会が峠に棲む悪魔――白狼の討伐に乗り出したというわけだ。


「ほら! つまり現時点で、この狼さんがやったという証拠はないというわけです!」


 私はここで初めて、今回の仕事の依頼書を広げていた。

 どうせ現場に赴いて悪魔を倒すだけの作業なのだから、いちいち事件の背景など知らなくてよい、とこれまでは考えていた。


 だが今は事情が違う。

 もしこの悪魔にかけられた罪が冤罪だったなら、ここで戦う必要はなくなる。つまり私は無傷で引き返して家に帰ることができるのだ。


 しかし――


 私は未だ震えながら、改めて白狼の姿を仰ぎ見る。

 異形とでもいうべき体躯。毒々しい真っ赤な瞳。これ見よがしに伸びた牙は完全に人を殺す為の代物としか思えない。


(まあ、証拠はないけど間違いなくこいつが殺ってるでしょ……)


 時間稼ぎとして話を聞くとはいったが、私の直感では100%クロだった。

 そもそも悪魔のすぐ近くで人死にがあれば、それは間違いなく悪魔の仕業なのだ。血まみれで死んでいる人物の横に血まみれの包丁が転がっていたら、わざわざ凶器を他に疑う必要などあるまい。


 そこで、白狼が私に顔を近づけてきた。

 生暖かい息が吹きかかって、おぞましさに全身の肌が粟立つ。


「貴様……」

「ひゃっ」


 喰われる。

 もうダメだ。死んでしまう。


「本当に悪魔祓いか?」

「へっ」


 私は思わず呆けたような返事を漏らす。


「貴様ら悪魔祓いどもにとって、我らなど害虫に等しいようなものだろう。まして貴様はあの死神の血を継いだ娘。この場で我を消し飛ばす方がずっと簡単なはずだ」


 ――それが簡単じゃないから苦労してるんだっつうの


 私は内心で呟いた。

 もし私に聖女ははのような力があれば、そりゃもうわざわざ悪魔の弁明なんて聞いたりしない。お望みどおりに一秒で消し飛ばしている。


 無論、そんな本音をこんな犬畜生の前で漏らすわけにはいかないので、


「私の力は、無辜の者を虐げるためのものではありません。たとえそれが悪魔であっても」


 胸に手をあて、できるだけ堂々と言ってみせる。


 やろうと思えばこっちは実力行使も可能なんだぞ、と。

 決して無力なんかじゃないんだぞ、と。

 そんな虚勢を存分に滲ませて。


 白狼は値踏みするようにこちらを見つめている。


「……ふん、酔狂な小娘だ」

「な、なんとでも仰いなさい。これが私の信条です」

「ならば問おう。貴様は我の無罪を証明するといったが、それまでの間はどうする? 我のような存在をこのまま野放しにしておいてくれるのか?」


 あっ、と私は声を漏らした。

 そうだ。再調査という名目をでっちあげてこの場から離れるつもりだったが、こんな人喰いの化物を放置したままでいいわけがない。


「メリル様。やはりここは一思いに浄化するしかないのでは? 悪魔にも慈悲をかけるメリル様の御心には感服いたしましたが……もし再調査の間にこの化物が人を襲えば、取り返しがつきません」


 下っ端の一人がそっと私に囁く。

 言われなくたって私もそうしたい。そうできないから困っているわけで。


「何も調べぬままこの者を殺めるのもまた、同じく取り返しのつかないことです」


 頭痛を抑えてそう取り成した私は、何とかこの場を乗り越えようと考えを巡らせる。

 そこで、はっと思い出して視線を向けたのは、右手の中指に嵌めた銀の指輪である。


 これはただの指輪ではない。

 聖女たる母が愛用していたもので、お守りとして私が譲り受けたのだ。


 私はおもむろにその指輪を外して、頭上に掲げる。


「みなさんもこの指輪は知っているでしょう。この指輪に秘められた母の力と、私の力を掛け合わせて、この者を一時的に閉じ込める結界を張ります。それなら構わないでしょう?」


 下っ端たちから「おおっ!」と歓声が上がった。


「聖女様の御力とメリル様の御力を合わせれば、それも可能でしょう!」

「これだけの悪魔を封じる結界となれば並大抵では難しいですが……それならば!」


 よし、騙せている。

 誰も気が付いていないが、私の心臓は早鐘のように鳴っていた。


 そもそも私は真っ当な悪魔祓いの技術など何一つ学んでいない。悪魔祓いの訓練課程などすべてすっ飛ばして、母のコネだけで資格を獲得した。まともな結界を張る技術などありはしない。


 だが、それでいいのだ。

 まともな結界でなくていい。短時間だけでも『悪魔を閉じ込める結界らしく見えるもの』を張ればいい。


 それで下っ端たちに「封印は完了した」と言い張って、再調査のためと銘打って下山するのだ。

 その後にハリボテの結界が破れてこの悪魔が新たな被害を出そうが、そんなのは私の知ったことではない。コネで免状を出した教会の偉い人が悪い。


 幸いにも聖女たる母は、チョークで線を引くだけで強力無比な結界を張れたほどの反則性能である。その力が染みついた指輪を使えば、私でも結界もどきを張ることは不可能ではない――はず。


「ええと、そういうことで大丈夫ですか……狼さん?」

「ここで我が拒んだところで、貴様に殺されるだけだろう」

「まあ……その、すいません」


 イチかバチかの賭けだったが、果たして結果は上々だった。

 狼の周りに木の枝でぐるっと円形の線を引き、その上に指輪を置いただけで、透明な半球ドーム状の結界が無事に発生したのだ。さすが聖女の力は偉大だった。


「さあ! これにて今日のところは一旦下山しましょう!」


 自然と私のテンションも高くなっている。

 人生最大の修羅場をなんとか潜り抜けたのだ。後は速やかに実家に連絡して母に泣きついて、この悪魔の処分を丸投げすればいい。


 去り際、私はちらと白狼を振り返る。

 異形の悪魔は結界の中で、ただ静かに座っていた。だがその視線だけは、まっすぐにこちらを見据えている。


 思わず寒気を覚えた私は、慌てて目を逸らして峠を下り始める。

 どれだけ速足で駆けても、背中を射抜くような鋭い視線の気配は、なかなか消えてくれなかった。

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