第五章
第113話『囚われる』
「へぇ〜〜、ふ〜〜ん」
俺が起きているのを見たウェンが、楽しそうな声を上げながら近寄ってくる。彼女は俺の周りをグルグルと回りながらつむじを見下ろす。
どうやら、今の俺が気術を使えない状態であるという事をウェンは知っているようだ。
「……楽しそうだね、ウェン」
「楽しいに決まってるでしょ!アンタ今、気が出ないんだってね。ということは、今のアンタ、一番弱いってことよね?偉そうにしたツケが帰ってきたわね!反省しなさいよ、は!ん!せ!い!」
人差し指でキツツキのように何度も額を突きながら、ウェンは俺を揶揄ってくる。これまでの彼女はメンバーの中では飛び抜けて弱かったので、そのことを気にしていたのだろう。
現在の俺は彼女の中のカーストの最下位に位置づけられるらしい。
「良くないですよ、ウェン。やめましょうよ」
デイズがウェンの裾を引いて自重させようとするが、気付いていない。
ウェンはこの場の誰よりも耳は良い筈なので、意識的に無視しているのだろう。
花精族としての性質を使わなくとも、ウェンの喜びの感情が手に取るように分かった。
「今日からあたしの子分ね!分かった?」
舞い上がり過ぎて、俺の心臓が治った後のことに考えが及んでいないようだった。
彼女の言う通り、今の俺は一番弱い。
不意を打たないと彼女を殺すことさえできない弱さだ。
俺は少し考えて、下手に出ることにした。
「分かりました。気に入らないことがあったら何でも申し付けてください」
そうして、恭しく頭を下げる。
「……」
反応が無かったので顔を上げると、つまらなそうな表情を浮かべるウェンが居た。そうして、ただ一言。
「気持ちわる」
と吐き捨てて、足音を立てて俺の元を離れていった。
きっと彼女は、俺が悔しがって感情的になる様子を見たかったのだろう。
「……おかしいな」
彼女たちが俺に接する態度は、想定していたものとは大きく違った。正直言って、人の肉を喰らった者とは言葉さえ交わすことができないだろうと思っていた。
その理由はその後のエンとの会話で判明した。
「拾い食いなんてするからよ。あれ、本当に辞めた方が良いわ」
俺が突然倒れた原因の事が話題となった時に、エンがそのような忠告をしてきた。
彼女たちは俺がそこらに生えていたキノコを食って今の状態になったと勘違いしていた。
同期の子供たちは、俺が毒草を食んでいるところを良く目にしている。俺としては、量なども計算して致命的な症状が出ないようにマージンを確保して摂取していたが、それを知らない子供には、俺は毒と見れば食わずにはいられない悪癖を持った人物と思われていた。
幸か不幸か、その印象があったお陰で、俺は
ウェンが俺のことを笑う訳だ。
そして、そのような説明をしたのは、少し離れたところで坐禅を組んでいる竜人娘だろう。
エンは会話をしながら、俺の顔をまじまじと見てくる。
「……エンも面白いと思ってる?」
「ウェンが笑ってるのは、貴方があの子に冷たいからよ。私から見ても分かるくらいなんて、よっぽどよ?」
「ウェンにはあれで良いんだよ」
彼女の様子がおかしいのはそのせいでは無いらしい。エンの様子を伺っていると、彼女は観念したように口を開いた。
「……覚えていないようだけれど、貴方が暴れている時に、影が……動いたのよ」
俺は首を傾ける。
影の躰篭ならば、ミグレイ・ブレイドの暗殺を終えて森の中を歩く時に使っていたはずだ。
「リドウルビスに行く時の森の中で使ってたけど、見てなかった?こんな感じで、紐を……」
そう言って手元に影の紐を作ろうとするも、気術が使えない事を思い出し、持ち上げたかけた両手を戻した。
「……とにかく、あれは俺の奥の手みたいなものだよ」
「そうなの……」
言外に説明を拒否すると、彼女は残念そうに言った。
恐らく彼女もあれが躰篭である事には気付いているだろう。
しかし、もしも彼女の影を躰篭に変えたとしても、彼女では動かす事も出来ないだろうという確信があった。
影の操作について言葉で表現するのは難しいが、近いのは風呂で水面を弄ぶような感じ、だろうか。
俺が腕を振れば、水面に波が起こる。
波同士をぶつければ中央で大きく跳ね上がる。
影は水よりももっと粘着質で生温かいのだが、そこは俺の感想だろう。
今彼女にその処置を施しても、モノになるのは数ヶ月後だろう。だから、仮にも奥の手を開示する必要性は見出せなかった。
「そう言えば……貴方って今、気術が使えないのよね?」
「……そうだね」
俺が今までに無いほど、力を失っているということを再確認され、詰まりながらも肯定する。
「移動はどうするの、【迅気】も使えないってことでしょう?」
「あぁ、うん。気術は使えないけど、躰篭はそのままだからそこまで遅くはならないと思うよ」
心臓から染み出す気は常時抑制されてはいるが、ゼロではない。この量でも心臓以外の躰篭の維持はされるだろう。
問題は
この状態が長引けば、彼女の躰篭は消えてしまう。
彼女は、俺の力に頼ることを嫌っているようだが、外の世界には思いがけない強者というものはゴロゴロといる。
ポテンシャルであれば
「……それよりも、エンの躰篭が無くなるかもしれないね」
「その時は自分でするから、貴方が気にすることは無いわ」
エンはこともなげに言った。
彼女の躰篭はその全身が、俺によって施されたものだ。
リドウルビスで、一度補給したので最低でもあと一ヶ月は維持されるだろう。
彼女はこの機会に自分での躰篭化を考えているようだ。
躰篭化の痛みもすでに体感しているし、彼女も気術の腕はある。成功の目は大きいだろう。
◆◆◆◆
街道沿いの森の中をひたすらに走る。
現在は任務で訪れたグルテールから逃げ出した時ほどには切羽詰まっていないので、深い森の中を走らないで済むのはよかった。
そのお陰で、以前よりも速いペースで走ることが出来た。
計算違いがあるとすれば……。
「はぁ……ふぅ……はぁ……」
脹脛に疲労が溜まっていくのが分かった。加えて息も荒くなってきた。
エンに大丈夫などと言っておいて、この様だった。
デイズが前を走りながら、俺の方をチラチラと見てくる。
索敵のために一番前に出ていたウェンが、こちらに気づいた。
「……っ」
何かを言いかけてから直ぐに口を閉じ、他の子供の様子を伺って、少し速度を下げた。このペースなら日暮れまで走れそうだ。
ウェンは、既に俺から視線を外して前を向いていた。
それから更に数時間走り続け、日が暮れたので移動を止める。
「アンタねえ、あのまま倒れるまで黙るつもりだったの!?」
ウェンが腰に手を置いたまま叱り付けて来る。
休憩を提案するならまだしも、速度を下げる程度なら提案できた筈だ。
彼女は俺が倒れてしまえば、五人全員のペースが急速に遅くなってしまうために非難しているのだろうが、俺の方はそのまま置いて行かれるかもしれないことを恐れていた。
しかし、よく考えればこの予想は全くもって的外れだ。
彼女たちは気術が使えない以前に意識を失っていた状態の俺を、五日間も運んで走り続けていた。
それを考えれば、多少の速度の低下は許容できる、か。
「甘く見ていたみたいだ。すまない」
彼女は、怒りよりも悲哀に近い色の感情を纏っている。
ウェンに対しては冷たい態度で接しているので、このような感情を向けられる理由には想像が付かない。
感情の色は見えても、その動機については推測するしかないのは花精族の性質の数少ない欠点だった。
俺の謝罪を聞いた彼女は、安堵を浮かべる。
「今のアンタは強くは無いけど、アンタがリーダーなのはそれが理由じゃないでしょ。アンタは仲間の中で一番ずる賢いけど、そういう……卑怯で最低なところをあたし達は頼りにしてる……」
ウェンが難しい顔をしながら、言葉を紡ぐ。
『ずる賢い』『卑怯』『最低』と罵倒にしか思えない語彙が彼女の口から飛び出す。
「……あたしもアンタが嫌いよ。だから、安心しなさいよ。見捨てるなんてしない……アンタと違ってね」
最後はそうやって皮肉で締めた。
リグハルドに
この日たどり着いた場所は既に、蟲の領域の外側だった。
見張りは最低限にして眠ることが出来た。
俺はリドウルビスで手に入れた寝袋に体を潜り込ませる。これまではほぼ感知不可能の蟲の襲撃に備えて使えなかった。もちろん寝袋の中にはナイフを忍び込ませていた。
エンが羨ましそうに寝袋を見ていたが、彼女は彼女で装備を充実させるのに金貨を費やしたのを知っている。
羨ましそうにこちらを見る視線に、今ならば、銀貨一枚の価値の寝袋を金貨一枚に換金することさえできそうな気がしてくる。
眠気で瞼だが、その下の眼球は意味も無く木の枝に隠された空を睨み続ける。
安心して眠れる環境と深く眠るための装備を用意したにも関わらず、俺は一向に眠りに就くことは出来なかった。
この集団において、俺は最も弱く寝ているところに攻撃でも加えられれば逃げ出すことも出来ずに俺は死ぬ。それは相手がウェンであっても同じだ。
以前ならば、不意を打たれても対処できる自信があったが、現在の俺は悲しくなるほどに弱い。
ウェンは見捨てないと言ったが、その言葉が嘘である可能性が僅かでもあるならば俺は安心して眠ることは出来ない。
かと言って森の中で一人で眠ることがどれだけ無用心であるかも自覚している。
結局、寝たか意識が飛んだか分からないが、気付いた時には空が白んでいた。
◆◆◆◆
俺は目元に隈を作ったままの状態で、長めの持久走を再開する。
「っ止まってください!」
寝不足が持久力に及ぼす悪影響を肉体で実感しながら、他の四人の少女の影を追って走っていると、デイズから唐突に声が上がる。
その声に従って、止まり、周囲を見回すが外敵はどこにも感じられ無かった。
感知範囲の広さに秀でるウェンも、俺と同じようだった。
そして、警戒の声を上げたデイズ自身も不可解なものを前にしたような顔を浮かべている。
「森が……無くなりました」
「何を言っているの?森はここにあるでしょう?」
エンがデイズの言葉に反論する。
まだ俺達は森の真っ只中に居る。
「……ここにあるのは、木ではないんです」
彼女の言葉を確かめるように、俺はナイフを抜いて、横に立つ木を切り付ける。普通に傷が付き、傷の中を確かめても今まで見かけた木との違いは見えない。
竜人娘も俯いたまま、黙りこくっている。何かに気付いたわけではなさそうだ。
だが、デイズだけはもどかしそうに口元を動かすだけで反応は芳しくない。言葉に出来ない違和感があるようだ。
俺達では気づけない、何かが起きていることを察する。
「……少し、戻ろうか」
俺達は方向を180度転換し、デイズの言う、本物の『木』が存在している辺りまで移動しようとする。
「……っ!?」
方向を転換したことで一番先頭に来た俺は、数歩進んだところで先程は気付かなかった大きな違和感に襲われた。
そのまま進むと、森が途絶えた。
「ねぇ、さっきまで森だったわよね?ここ……」
ウェンの言葉に俺は無言で頷く。
俺達の視線の先には、柵に囲まれた村が覗いていた。
加えて、その村には言葉にしがたい違和感があった。まるで中途半端に人間に似たアンドロイドを前にした気持ち悪さだ。
奇妙な現象に遭遇した俺達の間に不安が渦巻いた。
「……嫌な予感がする。森に入ろう」
俺の言葉に、全員が首肯する。
再び反転して、走り始めるも、直ぐに森の端に辿り着いた。
その向こう側に見える光景に、俺の背中に脂汗が滲む。
「……逃げられないみたい、か……」
先ほど見た村が再び俺達の前に姿を現した。
実際は、俺達がこの村の前まで戻されただけなのだろう。
この世界に来て、遭遇したことの無い不可思議な現象に俺の頭は疑問に埋め尽くされていた。
「……あたし、酒場でこんな感じの話を聞いたことがあるわよ」
ウェンが何かを思い出したように口を開く。
俺は助けを求めるように彼女の方を振り返った。
彼女は人差し指を立てる。
「これって、あれよ……そう、魔法よ!」
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第113話『囚われる』
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