第111話『人であり、人でなし』

モンクの里外任務

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「ラック、地下の倉庫から酒持って来いよ」

「う、でも、その……カシラから酒は持っていくなって……いわ、言われてて……」


 モジモジと胸の前で指を動かす少年の姿に、濃い髭を蓄えた中年の山賊は眉をヒクリと上げた。同じテーブルを囲む数人の山賊仲間たちが楽しそうに口角を上げた。


「ラック、ラァック。せっかく楽しくなってきた所なのに、オマエは水を差すのか。ラックは『良い子』だからそんなことはしないよな?だよな?」

「でも……その」


「頭だって、一回なら見逃してくれるぜ。何なら俺のせいにしたって良い。それとも、ラックの勝手で俺達を不幸にするのか?ん?」


 粘着質な笑みを浮かべてラックを見下ろす髭の山賊。

 ラックと呼ばれた少年は助けを求めるように、他の山賊たちに視線を向けるが、ニヤニヤとこちらを見物するだけだ。


「と、とと……取ってきます」


「ハナからそうしろってんだ。早く行け!」


 ラックが折れたのを見て、髭の山賊はさらに態度を大きくする。

 髭の山賊の大声に、ラックは怯えるように耳をピクリと跳ねさせる。長めの耳は彼が妖精種である証拠だった。


 彼は背中を向けると山賊に指示された通り、酒を取りに地下室へと駆けていった。


「ったく、使えねぇ」

「空気読めないし、声小さいし、何言ってるか分からない時があるけど、馬鹿だからギリギリ許せるよなぁ」

「お前、それじゃあ全部欠点じゃねぇか!」


 何がおかしいのか、ギャハギャハと大口を開けて笑う。

 そんな彼らの悪口は全てラックに届いていた。


「う、うぅ」


 自分が嫌われていると知って、ラックは泣いた。


「で、でも、やっぱり無理だよ。に、任務なんて……」


 ラックを名乗る少年、モンクは弱音を吐いた。

 任務の内容は指定された対象を殺すものだった。それだけを使徒から指示されたモンクはどうにかして山賊へと入り込むことはしたが、任務を達成する気は全く無かった。

 そもそも誰かを殺すなど、必要が無ければ彼には出来ない。


 現在は使徒から厳命された『殺す時以外は気術を使用しない』という言い付けだけを守り、時間が過ぎるのを待っていた。


 モンクは人が傷付くのが嫌だった。

 にも関わらず、彼が里の訓練で死ぬ子供は許容するのは、常々教官が訓練を受けないと生かすことはしないと、口にしているからだ。

 だから、せめて訓練を生き延びられるように、彼は他の子供達に自身の技術を教えていた。


 子供達に教える中で、モンクは自分が他の子供とは違うことを理解した。

 仙器化も気術も、子供達は一度成功しても、次にやった時には失敗することがあった。この現象がモンクには不思議だった。


 『出来なくなる』というのが理解出来なかった。

 仙器化でも気術でも、一度できるようになったなら、次はその感覚をなぞれば出来るのに、何でしないんだろうと思っていた。


 そして失敗した子供に同じことを言った。

 その子供が悔しげにモンクに反論したことで初めて、自分が人とは違うことを理解した。


 モンクは強い孤独感を抱いた。

 452期の子供は種族が多いだけあって、似たような事はいくつも聞いていたが、いざ自分がそれに対面すると、周囲に壁を立てて断絶されたような心地だった。

 その感覚のズレが人を傷つけていた事も、彼の孤独感を加速させた。


「……ふふ」


 モンクは酒を運びながら小さく笑う。

 自分を孤独から救ってくれた、少年と少女のことを思い出していた。


 彼が親しみを込めて『ネチネチくん』と呼んでいる蛇人族の少年は、モンクとの感覚のズレを知りながらもそれを理解しようと対話を続けてくれる、優しい存在だった。

 代わりに人に毒を飲ませたがるのは少し困った所だが、強くなろうと一生懸命なせいでモンクは彼を憎むことが出来なかった。


 もう一人は彼が『ミミちゃん』と呼んでいる、鼠人族の少女だ。

 彼女は距離が近いところはあるが、どうしても遠慮しがちな彼に話しかけて気遣ってくれる、優しい存在だ。


「会いたいなぁ」


 少し寂しくなって、モンクの目尻に薄らと涙が浮かんだ。


 任務開始から一週間が経った日のことである。




◆◆◆◆




 ある日、拠点の中が騒がしくなった。


「おう、ラック。これ持っとけ」

「は、はい……?」


 よくモンクを可愛がる山賊の男が、彼の手に農業用の鎌を渡した。

 モンクはそれを受け取って首を傾げた。


 基本的に山賊たちは毎日機嫌良さそうに酒を飲んでいるだけだった。

 そのため、モンクはそもそも彼らがどこからその酒を手に入れているのかを知る機会に巡り合って来なかったのだ。里でシスターから知識を与えられてはいたが、働かなければ食事は得られないという当然の理屈を、目の前の彼らに当てはめることが出来なかった。


「あ、あの……これ、これで何をするん、ですか?」

「収穫だ、収穫」


 山賊の男はニィと笑った。彼の瞳にはギラギラとした光が宿っていた。

 男の顔を見たモンクは、『笑っているから楽しいことなんだろう』と素直に捉え、『収穫』の時間が来るのを楽しみに待った。




「……え?」


 その期待が裏切られたのは、その一時間後、商隊キャラバンに襲いかかる山賊たちを見た瞬間だった。

 谷間の街道を走る馬車に次々と飛び掛かり、まずは装備を着込んだ男たちを一刀の下に切り捨てる。

 彼らの中の数人の剣には気が宿っていた。

 そのことについて他の山賊たちに言及された時に、彼らは『昔はセイケン機関に居た』と発言していた。


 もしかすると、どうしようも無い理由がそこにはあるのかもしれない。そう思ったが、馬車の中から泣き叫ぶ女たちを楽しそうに引き摺り出す様子は、とてもそうは見えなかった。


「おい、どうした、ラック。早く来いよ。取り分が減っちまう」


 声を掛けられるも、モンクの足は張り付いたようにその場で動かない。


「どうした、ラック。楽しくないのか?」

「楽しい……何で……?」


 隣の山賊は心配そうにモンクを見ている。

 モンクが見下ろしている先の山賊がナイフで女性の服を切り裂いた。腹に刃を向けられて、女性は声を詰まらせて、震えながら涙を溢した。


 どこに楽しさを見出せば良いのか、モンクには心底理解が出来なかった。


「何でって、これまではデカい顔して俺たちのものを売り捌いてた商人たちが、今はあんな顔でおっちんでるんだぞ?可笑しくて仕方ないだろ!これだけは何度見ても耐えらえねぇな」


 ギャハハ、と下品な笑い声が酷く頭に響いた。

 モンクは口を押さえて迫り上がる吐き気に耐える。


 気持ち悪くて仕方なかった。


 これまでに無いズレを感じた。


 言葉が通じるのに、彼らとは分かり合えないと確信した。

 しかも、彼らはこれまでも何度も何度も同じことを繰り返している。


 彼らの命と彼らによって殺されるだろう数多の命を天秤に載せる。

 直ぐにそれは大きく傾いた。


 モンクは流れる涙を堪えるように顔を歪めた。

 山賊の男は、心配そうにモンクの顔を覗き込んだ。


 モンクは人を殺すことが出来ない。

 人の残酷さを見た今もそれは変わらない。




「……ばけもの」


 だが、人は殺せる。

 絞り出した言葉は掠れて聞こえた。

 モンクは手に持った鎌に気を纏わせる。


 今、彼の頬を伝うのは、既に人として死んだ彼らに対する、別れの涙だ。




◆◆◆◆




「だ、だれか……居ますか」

「ひぃっ」


 横倒しになった馬車を、森人族の少年が覗いた。

 馬車の中に隠れていた妙齢の女性はその姿を認めて、小さく悲鳴を出した。

 少年は女性を見つけると控え目な笑みを浮かべる。


「だ、だい、大丈夫ですよ。も、もう全部、退治したので」

「本当……ですの?」


 少年は大きく頷いて見せると、彼女を引き上げるために手を差し出した。気弱そうなこの子供に自分が引き上げられるだろうかと心配した女性だが、掴んだ手からはかなりの力を感じて、身を任せた。


「ふん」

「わっ。力持ちですのね」


 思ったよりも勢いよく持ち上がって、女性は思わず驚きの声を漏らした。


「え、えへ」


 褒められて嬉しそうにモジモジする少年の姿に、彼女は親近感を抱いた。彼女も釣られて笑いながら、馬車の外へと首を振り向かせて……絶句した。


 夥しい数の首を失った死体が転がっていた。


「ひ」

「だ、大丈夫です。えっと、もう、動かないですよ。し、しん、ので、瘴気も無いです」


 少年は彼女を安心させようと、不器用に笑った。

 その言葉から、彼女はこの惨状を生み出したのが、目の前の少年だということを理解する。

 少年はこちらを気遣うように、言葉を掛ける。


「そ、その服じゃ。たい大変ですよね……い今、退かします」


 そして、彼女より先に馬車から降りるとそこにあった死体をぞんざいに引っ張って退かし、彼女が降りられるように空間を作った。

 その行動からは遺体に対する畏敬は感じられなかった。邪魔な石を蹴って転がすような気軽さに彼女は眉を顰めた。


 しかし、それ以外の点で少年は極めて親切だった。

 彼女が転ばないように手を差し伸べたり、前を歩く時にはしきりに彼女の方に気を配っていた。

 だからこそ、死体に対する冷酷さが気になった。


 彼が連れてきた先には、貴人の女性が見覚えのある人々が眠っていた。どうやら彼が山賊から守ってくれたのだと、気付いた。


「そ、それ、それじゃあ、これで」

「助けて頂き、ありがとうございますわ。良ければ貴方の名前を教えてくださいませんこと?」


 あまりにも衝撃的な状況の連続に驚いてはいるものの、女性は貴人のマナーとして、自身を助けた少年の名前を聞いた。

 もちろん名前を聞いた後は何らかの形で報いるつもりだった。


「え、ぼ、僕は……っ」


 少年は、困ったように視線を巡らせると、何かに気づいたように突然茂みの方を振り向いた。音を聞いているのか、時々耳がピクリと跳ねた。


「え!?……そんな」


 少年は何やら小さく呟く。


 そのまま数秒が経って、彼は女性の方を振り向いて、先ほどよりも焦ったような表情を見せる。


「あ、あの……ご、護衛は、要り、ませんか」

「……あら」


 貴人の女性は困惑を押し殺して、楚々とした笑みを作ってみせた。




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