第107話『触れる』

「……はぁ」


 頬に付いた赤い液体を拭う。

 心臓を取り込んで直ぐの現在、体調に変化は無い。

 付与した効果は消化吸収の際に影響を与えるものなので、変化があるとすれば数時間は経ってからだろう。


 焦げ臭い匂いが部屋全体に充満している。


 ヴェルデのを収めるための袋を探して、部屋の中に視線を巡らせていると、隅から這いずり出てくる影を見つける。


「フィルス」

「……ぁ……たす……て」


 匍匐で足元までやってきたフィルスが、掠れた声で助けを呼びながら、俺の足首を掴んだ。

 俺は彼の背中を見下ろして観察する。


 ヴェルデの息吹ブレスによって部屋が炎で満たされた時に、彼は焼け死んだとばかり思っていたが、彼は家具を盾にして部屋の隅に隠れることでやり過ごしたらしい。

 それでも炎の熱を完全に遮断することは出来ずに、彼の体の右の側面が黒く炭化して居た。


 放っておいても彼は死ぬと確信する。


「無理だよ、もう助からない」


 足首を掴んでいる指をゆっくりと剥がした俺は、焼け焦げた棚の中から無事な袋を取り出す。

 部屋の中央に転がるヴェルデの死体の横にしゃがみ込むと、その体から鱗を剥ぎ取っていく。


 角も一応持って行くか。

 ナイフを使えば簡単に切り取れるだろう。

 それとも、根元から引っこ抜いた方が良いか……そもそも角はどこから生えているんだろうか。


「……ぁだ、しにたく……ねえよぉ」

「自業自得だろう」


 聞こえてきたフィルスの声に、作業を止めないまま、彼の耳に届くように言った。


「生きたいなら……行動しなければならない」


 情報を知る、自分を高める、ツテを作る、組織を大きくする。

 方法は一つでは無かった。

 金の配分について、フィルスが大きな権限を持っていた。その金を使えば、どれかは出来た筈だ。


 もしも、俺がフィルスだったなら、金を使って聖剣機関で戦う術を学んだだろう。

 オロスフェイルが現れた直後に、彼らの情報を探る行動を取っただろう。


「フィルスは横穴に潜れなくなってから……何をしていた?」


 ただ、怠惰に睡眠を貪っていただけだ。


「他の子供が集めて来た蟲の血液の代金で肉を買って、柔らかいベッドを買って、横穴の運営にさえ加わろうとしない……フィルスがやっていたことは……ブルートと同じだよ」


 彼は槍を持って横穴の前に立っていた分、彼よりも勤勉だったと言える。

 子供達からすれば、フィルスの方がマシだと言うだろうが、子供の命を貪るのはどちらも同じだ。


 フィルスが横たわったまま目を見開いた。


「おま、えが……やれって……ったから」

「あぁ、言ったね」


 ヴェルデの鱗をもう一枚、剥がし、軽く答える。


「だから?俺が君の命に責任を持たないといけない?そんな訳は無いよ。フィルスは断ることが出来た。俺は何一つ強制していない。この結果は、フィルスが望んだ通りのものだよ」


 竜人族だけあって、鱗は一枚一枚が大振りだ、それに分厚い。

 言葉にするならプラスチックの板が近いか。若干プラスチックよりも弾力を感じるな。


「……お、まえ……ずるいよ」


 引きつったようにフィルスの顔が歪んだ。

 片側の筋肉が焼け固まったせいで、それが怒りなのか悲しみなのか見た目では判別できない。


「……そうかもしれないね」


 彼らが知識さえも皆無の状態から生きているのに対して、俺は数十年分の知識を追加で持った状態なのだから。

 フィルスが言ったのは、騙すような俺のやり口のことだと思うが、その一点だけは否定できなかった。


「だけど、ズルをしてでも俺は生き残りたかったんだよ」


 尻尾の鱗を粗方剥がし終わり、角を切り落とすためにナイフを握る。


「そもそも、生まれた場所が違う時点で平等な勝負では無いからね」


 下手すると、生まれた直後に死ぬことだってあるのだ。

 平等も公平も望むべくもない。


 切り落とした断面には血が溜まっていた。

 角の中には血管が通っているのか。


「結局、『死にたくない』の押し付けあいだよ。そして、その戦いに君は負けた」


 二本の角を回収し終えた俺は、袋を担いで立ち上がる。

 ヴェルデの死体とオロスフェイルの死体を仙器化するが、その途中でわざと失敗させる。二人の体は脆くなり砂のように崩れ落ちる。


 ヴェルデの体は一度の仙器化失敗では不十分だったので、二度三度としてやっと塵に還した。



「……」


 気付けば、フィルスの呼吸は止まっていた。


「悪いな」


 彼の死体にも仙器化を行って、失敗させる。

 これで、彼が居た証は完全に無くなった




◆◆◆◆



「侵入者だ!」

「地下だ!蟲は地下から来てる!!」

「非番の奴も呼べ!傭兵ギルドに援護を頼め!」


 薬師ギルドの中は、蜂の巣をつついたような騒ぎだった。

 どうやら、大変なことに建物の中に蟲が現れてしまったようだ。

 あまりにも騒ぎが大きいために、俺の存在に気を配る余裕も無い。


「聖剣機関に連絡しろ!」

「でも……」

「でもじゃねぇよ!!そうしないと街が終わるぞ!」


 この街が今まで保たれていたのは『蟲が入ってこない』という信頼があったからだ。蟲がいつ入ってくるか分からないとなれば、商人でさえ寄り付くのは躊躇するようになる。

 彼らは必死の形相で駆けずり回っていた。


 ヴェルデとの戦いで初めに投げつけた三つの玉は、『閃光』と『爆音』の込められたガラス玉、蟲の血液が閉じ込められた容器、そして最後の一つが……蟲のフェロモンが詰まった容器だった。


 蟲のフェロモンは商人エルドリックによる蟲の解剖を盗み見ることで、フェロモンを生成する部位や、採取方法を知ることが出来た。


 もちろんフェロモンを撒き散らすだけでは、蟲は街の中には入って来れない。

 ここまで通る道を作る必要があった。


 細長い廊下の出口側から、ローブを深く被った一人の少女が歩いてくる。小さなローブで隠しきれない尻尾の先がチラリと覗く。


「終わったか」


 竜人娘レンゲの質問に俺は頷いて答える。少し土の臭いが漂ってくる。先ほどまで横穴を繋げるために奮闘していたのだろう。

 彼女の視線が俺の手元の袋に向いた。


「……それは、なんだ?」

「鱗と角」


「……」


 竜人娘レンゲはじっと俺を見てくる。

 かなり嫌そうだった。


「欲しい?」

「要らない……それと、わたしに見せるな」


 念のために尋ねてみたが、やはり嫌悪感があるらしい。

 見ることさえも拒否した。

 彼女にとっては、袋一杯に詰まった他人の髪の毛を見せられるような心地だろうか。それに、角などは付け根に血液が付着しているので見たくない気持ちも分かる。


「……行こうか」


 低めにある窓から身を乗り出して地面に降りる。


 そうして、薬師ギルドに隣り合うようにして建つ、もう一つの建物へと入った。

 そこは、薬師ギルドを経由しないと中に入れないようになっており、かなり厳重に守られている施設だった。


 おそらくは人体への実験に使っているのだろう。

 踏み入った瞬間から、濃い血の臭いが漂って来た。


 廊下の壁に背を預けるようにして数人が倒れている。

 場所から考えて研究員のような立場だろう。


 首の横、頸動脈が通る辺りに綺麗な切り傷が見えた。

 蟲の仕業では無い。


 俺は生暖かい死体が多い方を選んで進むと、一つの部屋に辿り着いた。

 ここにも夥しい数の死体が転がっていた。

 その中心には、薬師ギルドによって拐われた一人の少女が立っていた。市場で俺が見かけた孤児の中に居た、無口な少女だ。


 彼女は手に持ったナイフの血を払うと、こちらに歩み寄って来た。

 そして友好的に微笑んだ。



「ネチネチさん、こちらの人間は全て処理し終えました」

「ありがとう、


 元々彼女は孤児に紛れ込ませてフィルスの監視を任せていたが、丁度よく薬師ギルドに拐われたので、発信器代わりに彼女の存在を使わせて貰った。

 そのお陰で竜人娘レンゲは薬師ギルドの地下まで迷わずに穴を掘り進めることが出来たのだ。


 そうして、先ほどの閃光玉を合図として、彼女にはここで暴れ回ってもらったのだ。そのお陰で蟲が入り込むまでの時間を稼ぐ事ができた。


 デイズは刃こぼれをしたナイフをその場に捨てた。

 質の悪いナイフだ。元々ここにあったものを拝借したのだろう。


「一緒に拐われた子供は?」

「殺しましたけど?……良くなかったですか?」


 不安そうに顔色を伺ってくる彼女に大きく首を振って答える。


「手間が省けたよ。ありがとうね」


 躊躇が無いのは良いことだ。

 彼女がオグとは違って側の人間であることがこれで確かめられた。

 そして、いよいよ蟲を抑えきれなくなり、周辺も巻き込んだ騒ぎとなった街の中を駆け抜けて行った。


 あとはエンとウェンを回収して街を出る。

 門番に賄賂でも渡せば通れるだろう。




◆◆◆◆




「おや、遅かったな。悪党の少年」


 拠点にはリグハルドが待っていた。

 今回は仲間を引き連れているようで、複数人の剣士と、傭兵たちの姿があった。随分と柄の悪い人間が集まっている。

 もしかすると剣士ではあるが、聖剣機関の人間では無いのかもしれない。


 彼らは子供である俺達に対して、絶えず警戒を向けてくる。


「正義は遅れてくるものだからね」


 リグハルドを茶化すように言えば、彼は途端に顔を真っ赤にした。


「私が!正義だぞ!!お前じゃない!!代弁者はぁっ!私だっ!!この!分かったか!!」

「……っ……!……ぁが……っい”」


 彼は荒ぶりながら、その下に組み敷いたウェンの顔面を殴りつける。


 血だらけの彼女は腫れ上がった顔を覆うように腕で守るも、リグハルドは気で強化を施した拳で彼女の防御ごと叩き潰す。

 ウェンが反撃しようと地面に転がっていたナイフへと伸ばした手を、側に立っていた傭兵の男が踏みつける。そのことに気づいたリグハルドがもう一度強くウェンを殴りつける


「ぁぐっ」


「はぁ……まったく、自ら正義を名乗るなんて、悪党は図々しくて仕方がない」

「……ヒュ……ヒ……」


 ウェンの呼吸は浅く、出血も多い。

 このまま十分放って置いたら、間に合わなくなるだろう。


「……なぜ、ここに?」


 恍惚とした表情を浮かべていたリグハルドが、ギョロギョロと視線を巡らせて俺を捉える。


「知っているかい?」

「……」


 俺の質問が聞こえていないかのように、質問を返してくるリグハルドを見つめる。彼は瞳を三日月に歪めながら、語った。



正義ただしさで人を殴ると……とても気持ちイィのだよ」


 堪えがたいといった様子で、リグハルドは爪で自分の頬を引っ掻いた。


 説教をする時には、快楽物質が出ると聞くが、リグハルドはその部類だろうか。俺は首を傾ける。


「彼女は何もしていないですよ?」


 問い掛けながら、リグハルド以外の人物を観察する。中には血を流している者も居る。ウェンから抵抗を受けたのだろう。

 ウェンは特に正面戦闘には向かないにも関わらず、彼らが現れた時点でウェンが逃げなかったのは俺が待機を命じたからだろう。機転が効かず、律儀な彼女は俺の指示を守ったのか。


 エンはその場に居ない。分が悪いと見て身を隠したのだろう。


「何も、だと?君は隠していたんだよ。ブルートを殺しただろう?」

「……知り合いでしたか」


 リグハルドとブルートが繋がっていたことに、少し驚く。


「私が折角っ、大きくなるまで育てた悪を、美味しいところで君が持っていったんだよォ!!これはサァ、盗みで!窃盗だ!立派な悪だ!!」

「ブルートは犯罪者ですよ。その彼に手を貸すのは良いんですか?」


「うん?」


 リグハルドは、理解できないというような疑問の声を上げた。


正義カイカンの為には、悪さえも些事だ」


 彼は血だらけの拳を開いて、政治家が演説するように両腕を広げて見せる。


「私は正義の代弁者だ。私は朝起きてして、食事をしてして!夜寝るまでしたいっ!!こんなにに身を捧げている私がっ!正義でない筈がないだろう?」


 何かに囚われたように見開いた目と呼吸を荒げながら語る。

 周囲の傭兵達が茶化すように、彼に賛同する。

 どうやら彼には立派な信者が居るようだ。


 一人一人はヴェルデよりも弱いが、如何せん人数が多い。

 どうやらこちらには支部長殺しは気付かれていないし、ウェンを見捨てるか思案していると、鞭が空気を叩くような破裂音が部屋内部に響いた。




「話は……終わりか」


 俺の肩が優しく後ろに引っ張られ、竜人娘レンゲが前に進み出る。


「ん〜?君は関係ないのだが……」


 リグハルドはやる気が萎えた様子で、眉を曲げる。


「退け」


 白銀の弾丸がウェンに跨るリグハルドの体を弾き飛ばす。

 彼は一回転してから、体勢を整えて停止し、ゆっくりと立ち上がった。


 その表情には喜色が浮かんでいた。


「暴力は悪だ!つまり、君は悪党なのか……残念だ。を執行しないといけない」


「……」


 竜人娘レンゲから目配せを受けて、ウェンを抱き上げて引き下がる。


「止めるな」

「止めないよ」


 彼女の言葉を復唱するように答えた。


「よく言う……おまえ、ウェンを見捨てるつもりだったな?」

「……」


 その問いには沈黙で答えた。


 リグハルドを無視する竜人娘レンゲの態度に、彼は笑顔を大きくする。


「随分と余裕のようだ。こちらにはこんなにが居るというのに!」


 剣士と傭兵、合わせて十人。

 その群れを前に彼女は、腰に佩びたナイフを固定する金具ごと地面に捨てた。


「正義、か……おまえのやり方に合わせてやる」


 同時に、体内の気の流れが歪む。心臓の躰篭がその効果を発揮し始めたのだ。


 気配に敏感な種族の傭兵が、怪訝な顔を浮かべる。

 そうして、最後に彼女が気の抑制を解けば、ほぼ全員の顔が青白くなる。



「十秒だ」



 顔の前で拳を握り締めて見せた。

 気が拳の周りに集中し光って見え、恒星を握っているように錯覚した。



「その後でも同じ事が言えるなら、聞いてやろう」


 彼女の周りで、尻尾が不機嫌に波打った。




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第107話『触れる』



タイトルが被りました。

今回も、触れたのは手と手ではありません、逆鱗です。

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