第106話『呪拳』
「やはり、貴方達は——」
「——ミグレイ・ブレイド暗殺の犯人なのですね」
その言葉を聞いた瞬間に、俺は全ての準備を終えていた。
懐から取り出した三つの球体を一つと二つに分けて両手で掴み取り、二人に向かって投げつける。
「まっ……」
オロスフェイルが俺に何かを言って制止しようとしているが、そこから続く言葉は脅ししかあり得ない。
投げ付けた球体にオロスフェイルの動体視力は追い付いていない。
一方の竜人の男は、怒りに歯を剥き出しにする。
そして、自分に放り投げられたガラス玉を裏拳で破壊した。
「こんなも……」
その瞬間、爆音と閃光が部屋を包んだ。
子供達に渡したものは爆音が出ないようになっていたが、こちらは音と光両方が出るように付与してある。
閃光による目眩しはアンリが
竜人男が怯み、オロスフェイルに投げつけたガラスの球体が弾けて、その中身が彼に掛かった。
「あ、熱っい……!!!」
緑の液体、蟲の血液が彼の肉体を急速に溶かし始めた。
納めていた容器がぶつかった肩から、綿菓子に水を吹きつけたように酸に浸食されていくのを
「猪口才なっ!」
竜人男、ヴェルデは閃光で目を潰されたままの状態だったが、音で俺の居場所を把握して、拳を広げてこちらに向ける。
その掌に気が纏わりついているのを察知するが、それさえも切り裂けるようにナイフの刃に気を収束させる。
練度は少し甘いが行ける自信はあった。
そして刃がヴェルデに触れ、その掌から血が噴き出す光景を幻視したが、返ってきたのは金属を斬るような硬質な感触だった。
さらには彼の皮膚とナイフとの間で火花が散っている光景に思わず目を見開いた。
躰篭が施されていないのにも関わらずこの硬さ、彼が掌に纏った気が何か影響しているに違いない。俺が知らない気術だろうか。
俺は【迅気】を速度だけに偏らせて纏う【迅極】によってさらに加速を得てから、ヴェルデの繰り出す拳を躱し、避けた時の回転をそのままに胴体へとナイフを突き出す。
速度では俺の方が上回る。
そのことを自覚したヴェルデは避ける事を諦め、その代わりに右腕を大きく振り上げる。
「シィッ」
左の脇腹に抵抗なくナイフが刺さる。
しかし、同時に俺の顔面にヴェルデの拳がめり込む。
「ァがッ」
床を掴んで、体が回転する勢いを消す。
ヴェルデからの追撃は無い。
彼の方を見上げると、目尻を上げてこれ以上ないほどの怒気を孕んだ表情を浮かべていた。
「これ以上ない侮辱だ、成り損ないめ……っ」
ナイフが刺さったままの腹部から血がかなりの速度で流れ出している。
刺した直後に捻ったのがよく効いているらしい。
ナイフの表面には毒を塗っていたのだが、彼には効かないだろう。
対する俺の方も、体の不調を感じていた。
ヴェルデに殴られた頬を中心として、物理的な重みを感じている。
そして、通常であれば肉体を離れれば霧散する気が、粘着質に顔のあたりに絡み付いていた。
泥を落とすように頬を擦る。
粘着質な気は頬から離れたが、代わりに手の甲へと纏わりついた。
重りが手首と顔にかけられたような感覚だ。
ヴェルデは俺の様子を見て得意げに笑う。
「初めて見るか……これが、呪拳だ。貴様の速度は厄介だが、これで意味を為さないだろう?」
彼は再び拳に気を纏い直す。
『呪拳』、おそらく竜人族が扱う気術のことだろう。名前からして体術も含んでいるかも知れない。
彼らは優れた身体能力を持っているし、生来、気に対して敏感な性質を持っている。無手と気を組み合わせた戦闘術が発展しているのも納得がいく。
取り敢えず、あの両拳に触れるのは拙いと理解した。
手の甲に纏わり付いた重い気を地面に擦り付けるが、手の甲の気はへばり付いたままだった。
纏う気の量を多くしても、へばり付いた気を弾き落とすことは出来ない。反発している感触は伝わってくるがそれ以上に粘着力が強いのだろう。
目の前の男を殺す方が早い。
腕を軽く振り、袖口から飛び出したナイフの柄を握る。
「……ぐぅっ」
ヴェルデは呻き声を上げながらも腹に刺さったナイフを自ら引き抜いて、地面に投げ捨てる。
どくどくと血の流れ出す傷口に掌を当てると、出血が止まる。
傷口に
「おおォ!!!」
重い振動を感じる踏み込みの音がして、ヴェルデの大きな体が弾丸のように飛び出す。
壁が迫るような圧迫感。
上から打ち出される槍のような
避けながらナイフを振るうが、その影を素通りするだけで終わる。
「……っ」
避けた勢いで、そのままヴェルデの背後まで回り込もうとしたが、肩に猛烈な熱気を感じて息が止まる。
拳には触れていないにも関わらず、肩にはヴェルデの気が纏わりついていた。
拳だけでなく、拳に纏わりついた気に触れてもダメだったか。
そう気付いた瞬間に、服の表面が熱で燃え上がった。
同時に肉体の耐久力を上げる【硬気】を肩に纏う。
熱さは感じるものの、感じる痛みはかなり薄まった。
「ふん」
ヴェルデが俺を鼻で笑う。
ナイフで腹に穴が空いたにも関わらずこれだけ余裕なのは、流石竜人族といったところだろう。
「……?……なんだ、この臭いは」
周囲の環境に気を配る余裕を得たヴェルデは、訝し気な顔をしながら鼻をヒクつかせる。
先ほどから戦闘が起きているにも関わらず、人が入ってくる様子は無く、建物の中では慌ただしく人の動く気配がしていた。
今度は俺がヴェルデを鼻で笑う。
「はは……ここで死ぬ奴が知っても意味は無いだろ?」
「餓鬼が……我を笑うか。成り損ないがッ!!」
「頭から角が生えているだけの癖に、随分と偉そうだ」
彼の目に光が宿る。
「ならば、見せてやろうか。貴様らと我ら、竜人の格の違いを……スゥ」
まんまと挑発に乗ったヴェルデは、足を開いて地面に触れそうなくらいまで腰を下ろすと、大きく肺に空気を溜めた。
鱗に溜め込んでいた気が溢れ出す。
どうやら本気を使うようだ。
彼女との違いは、口元に集まっているのが粘着質な気である事だ。
ヴェルデの口元に集まった気はやがて、離れていても届くほどの熱気を帯びる。
カッ、と彼が目を見開いた途端に、その口元が光った。
「ガ■■■ッッッ————!!!」
火炎放射のように彼の口から放たれた炎が部屋の中を舐め上げる。
そのまま俺を飲み込むかと思った瞬間に、彼の体勢が大きく崩れた。
「——ッ!!」
驚きに目を見開くヴェルデ。
放たれる火炎の向きが逸れて、俺のところには僅かな熱気だけが届いた。
彼の左足は床板を踏み抜いたように、足首まで地面に埋もれていた。
「……き、さまッ」
不思議と元気の無い声のヴェルデは、埋もれてしまった左足を持ち上げるが、脛の中ばから下が何かに噛みちぎられたように無くなっていた。
光のある部屋でも俺の足の裏には影が出来ている。
影の躰篭を使ってそこから彼の下まで掘削すれば、空洞を作ることも容易い。
地面の下に飲み込まれた足は影の中にある。
さらに、彼の気はそのほとんどが口元に集められていた。
彼女の場合には咆哮を収束させずに全方位に放つことも出来るが、流石に地面の下まで警戒が及ぶことは無い。
その部分を利用した。
彼女もそれに気付いているのか、最近は不用意に咆哮を使うことも無くなった。
『呪拳』を応用して、炎を放つ事が出来たのは予想外だったが、今回の場合は寧ろ衝撃波よりも都合が良かった。
「シッ」
今度は止血する暇も与えない。
【迅極】を用いて、最大まで速度を高めた上で【瞬歩】によって距離を詰める。
体格の差を活かして、ヴェルデの足下まで踏み込んだ。
「二度は喰らわん!!」
しかし、襟首を掴まれた。
ヴェルデは左手にドス黒い気を纏うと、それを俺に当てようとしてくる。
俺は片手を捨てる覚悟を決めて、襟首を掴んでいるヴェルデの右手首に左手を当てる。
そして左手首に込められた『帯電』の躰篭を発動させる。
「ぬぐっ」
彼の全身に電撃が走り、体の動きが鈍った。
俺の方は手首の辺りに『絶縁』が付与されているため、損傷は手首から先で止まった。
俺は彼の右腕に組み付いて関節技を仕掛けるが、その意図に気付いたヴェルデが気を右腕に移動させて抵抗してくる。
「ちっ」
腕を諦めた俺は彼の腕から離れると、空中で体を捻り傷口の中心に向けて蹴りを放つ。
同時に【発斥】によって足の裏と彼の腹との間に反発を発生させる。
「ぅ……ガアッ」
痛みと衝撃によって堪えきれずに声を上げるヴェルデ。
その腹部には足の裏に貼り付けていた刃が刺さっていた。
後退った彼の瞳には驚きと、本当に僅かだが『弱気』が見えた。
「……その程度で、か」
思わず、落胆するような言葉が漏れた。
俺は竜人という種族に対して抱いていた期待が、大きく裏切られたのを実感する。
体が丈夫で、気の量が多く、傲慢で……それでいて、意思が強い。
蛇人族を見下していることには特に何も思わなかった。
蛇人族が竜人族と比べると弱いことは確かに否定できないと思ったし、そういった傲慢な所が竜人族の気質だからだ。
だが、この程度で揺らぐのはダメだろう。
相応しくない。
「ダメだ……あり得ない……こんなゴミには……あまりにももったいないよな……それだけは認められない、うん……自分大好きすぎだろ、コイツ……視線もキモいし……尻尾ばかり見てるし……醜いし……子供相手に『嫁に貰ってやる』とか……頭が湧いてるのか……それとも頭が足りてないのか……そもそも、緑蜥蜴の分際で……醜い」
ブツブツと口が勝手に気持ちの悪い独り言を呟く。
俺はそれに構わず、焦げた臭いのする左手にもう一本ナイフを握らせた。
同時に、中途半端に焼け残った右肩の袖を引き千切る。
「……」
ヴェルデは警戒するように、俺の顔を見つめている。
へばり付いていた気は時間の経過によって少し薄れたようだ。
変化した体の重心にも既に適応した。
二つのナイフを交差するように構える。
ジリジリと歩を進めると、ヴェルデが堪え損ねて怒声を上げる。
「ぬガアアアッッ!」
顔を真っ赤にしたヴェルデが堪えきれないとばかりに地面を殴った。
おそらくは気術を使っているのだろう。地面が揺れるほどの衝撃と、部屋を多い尽くす位の煙が舞う。
「……」
僅かな静寂が訪れる。
煙で見えない視界の中で、僅かに煙が揺らいだのを知覚する。
「があああああああ!!!」
その瞬間、部屋を火炎が覆い尽くした。
予兆の無い
小さく聞こえる悲鳴に、ヴェルデが目を細めている。
「がああぁ……ふぅ」
息の切れたヴェルデが熱い外気を肺に吸い込んだ。
「……悪手だ」
「ッッ!?」
瞬間、俺は彼の肩の上に降り立つ。
それと同時に二つの刃を彼の腕の付け根に振り下ろす。
「ぐおおオオオオ”!!」
彼の両腕が地面に落ちた。
これで呪拳はロクに使えない。
一度破られた
俺の
「……何をっ、ぐ!?」
背中の布を引っ張り、彼を地面に倒すと足裏から彼の衣服に『固定』を付与した。これをすると、服の変形に抵抗する力が働き、それを着ているヴェルデが拘束された状態になる。
ヴェルデが不可解な体の抵抗に目を白黒させる。
戦闘中に使わなかったのは、ヴェルデの防御力を高めるのにつながる事と、弱るまで彼の気で弾かれて使えなかったというのが大きい。
彼は出血を防ぐように、気を傷口に纏った。
痛みに襲われていても器用に気を動かせるところは、やはり戦士といったところだ。
「……餓鬼ガァ、退ケエ”!」
駄々を捏ねるように、ヴェルデは無様に足をバタつかせる。
両脚を膝から上で切り落とした。
「グゥ……アァ」
腕を切り落とした時よりも、彼の上げる悲鳴は小さい。
代わりに、瞳に宿る憎悪はさっきよりも重く見えた。
彼はひたすら生存を求めるように、傷口を気で覆った。
今度は陸に打ち上げられた魚のようにバタつく尻尾を切り落とした。
彼は悲鳴も上げずに、ただ虚な瞳で宙を見つめている。
血を失ったことで彼の意識が消えかけているのが分かった。
急速に彼の体から熱が失われていく。
「お前の敗因は」
ヴェルデが視線を俺の横の宙に向ける。
殆ど目も見えなくなっているらしい。
「種族の強さに拘ったことだ」
拳だけに気を纏うのは、竜人族の体が普通の刃なら通さないくらいの硬さを持っているから。そして、竜人の素の身体能力ならば避けられるという自負があったのだろう。
だからこそ、竜人だけが持っているブレスによって俺を仕留めることに拘った。俺の侮辱が的外れであることを証明するために。
「き、さまを」
ヴェルデは焦点の定まらない瞳を揺らしながら、睨み付ける。
「呪、う」
その言葉には体を縛り付けるような激情が込められていた。
「まだ、恨むには早い」
俺は気の絶えた彼の胴体の上に跨ると、彼の胸の上に手を置いた。
そうして、その心臓へ向けて気を注ぎ込んだ。
「ぅぐ!?」
瀕死であるにもかかわらず、彼の体が大きく跳ねる。
それだけの痛みが現在、彼を襲っているのだ。
やはり、心臓の躰篭化にはかなりの痛みが伴う。
施す付与は『被吸収強化』と『一体化』の二つだ。
一つ目はそのままだが『一体化』の方は初めて挑戦する類の付与だ。
吸収した対象に、その機能や能力をそのままに一体化するようなイメージだ。
普通に食べるだけでは消化されてタンパク質として細胞に栄養として吸収されるだけだ。
だからこそ栄養だけではなく、その機能を譲渡するような性質を取り込まれる心臓そのものが持っている必要があると考えた。
そうして数分後、完全に呼吸を止めたヴェルデの姿があった。
「……成功だ」
彼が死ぬ寸前に躰篭化は成功した。
彼の死体の前。
俺は噛み締めるように、静かに呟いた。
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第106話『呪拳』
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