第104話『悪党』
「……これは、毒腺でしょうか。いや、
薬師を兼任する商人、エルドリックは、俺が蟹サソリ、フィルスがオニグモと呼んでいた蟲を解剖していた。
その傍らには日光で劣化した資料が広げられている。かなり古いもののようだ。
蟲に関する資料は聖剣機関が所有するもの以外は極めて少ない。
「……」
彼の手元にあるものは以前にこの街で蟲狩りをしていた時の記録だろう。
狩りをしていた者の一部は蟲の加工も行っていたようで、その体の構造についても後進のために記録していたのだ。
蟲の構造は、種類ごとに別系統の種族のように体の中身が異なる。
足の本数や目の数が異なる程度は当たり前で、内臓の配置や数、そもそも内臓のつくりも異なるようだった。
多様性という言葉で括るにはあまりにも自由で、それでいて機能を追求したような作りは、誰かがデザインしたと言われても納得が行くほどの完成度だった。
俺ではその中身を分析することは出来ないと考え、知識を持つ彼に蟲の死骸を売り渡し、彼という眼鏡を通して、俺は蟲というものを知っていく。
部屋には蟲から漏れ出した液体により、悪臭が籠っているが、身体に害は無い物質だと知っている。
彼は用心深い性格のようで、この部屋には護衛一人入れないようにしているが、そのせいで一度入れば全く警戒されない環境となっている。
地下に作った秘密の部屋への侵入が簡単なことは、いつか気が向いたら教えよう。
毎日ここへ通ったおかげで、蟲に関わらず薬についてある程度の知識を得られた気がする。
材料と器具があれば、人を生きながらにして死人のように脳の働きが止まった状態に堕とすことも出来るし、死ぬまで踊り狂わせることも出来る。
しかし竜人族には毒が一切効かないという性質がある。ということは、ヴェルデを名乗る男にも折角学んだ毒は通じない。
つくづく竜人族は暗殺には向かない相手だ。
毒が効かず、不意打ちをしようにも生まれ付き、気に対する親和性が高いために気配を探知される。
加えて正面からの戦闘にも滅法強い。
ある意味、これは竜人娘との前哨戦のようなものだと考えても良いだろう。
彼女と同じ種族だが、彼女よりも気の量は少ない。
体術も修めているようだったから、
加えて傲慢な性格。
品性は端的に言って下衆そのもので似ても似つかないが、彼相手に練った戦略は
取り敢えず今は、目の前で行われる解剖に全意識を集中させる。
◆◆◆◆
エルドリックが集中を切らし、蟲の解剖が終わった頃には夕方となっていた。
観察から満足いく成果を得た俺は、空腹を満たそうと市場に顔を出す。
「……」
鉄の臭いに引き寄せられるように、道の端を見るとボロ布を身に纏った少年が壁を背にしていた。
おそらく瘴気が出ないように、心臓がくり抜かれる処理だけがされた死体だった。
光を失った瞳がこちらをじっと見ている。
市場という環境も相まって、カウンターに豚の首が陳列された海外の市場を思い出す。
低い振動音を立てて死体に集る蠅が、酷く喧しかった。
この街では酔っ払いと同じ頻度で、こういった死体が見つかる。
もちろんそれはフィルス達と同じ孤児だけでなく、大人が屍を晒していることも珍しくは無かった。
そんな場所であるのに、街人達は死体に対して嫌悪感があるらしく、死体からは遠ざかるように歩いていた。
俺はパンで野菜と肉を挟んだサンドイッチのような軽食を買うと、それを片手に歩く。
薬を売り捌いている組織との戦闘は避けられないだろう。
俺は蟲の血液を回収するためのガラス瓶を依頼している工房に追加で依頼していたナイフのことを思い出す。もうそろそろ出来上がる予定だった。
同時に10本以上のナイフを依頼したため、工房の青年には少し怪しまれたが追求されることは無かった。護身用と言えば彼は引き下がるしか無かった。
「おい、急げよ!売り切れるぞ!」
「ちょっと、待ってってば。ルーが疲れたみたい」
「うぅ」
「あれ食べようよー」
「……」
五人の孤児が連れ立って市場の中を歩いていた。
彼らはフィルスの横穴に潜ることで食い扶持を稼いでいる子供達だ。見覚えがある。
どうやら横穴で手に入れた金を持って、食事を買いに来たらしい。
その中でも最年長と思わしき少年が子供達を急かすが、統率を取る気はないようで自分の興味のある方へと向かっていくが、他の子供に引き止められている。
彼らの最後尾には無口な少女が静かに付き従っていた。
「……あ」
そして彼らの数メートル後方には、彼らをじっと観察している男の姿があった。
見覚えは無いが、荒々しい外見は傭兵の組織の人間だろうか。
薬物売買をしている組織に雇われたんだろうと当たりをつける。
大方、子供達を拐ってこちらを脅すつもりなのだろう。
直接フィルスや俺を狙わないところに、彼らの粘着質な性格が現れている。
「……良いか」
俺は少し考えてから、放っておくことに決める。
何人か死んでも、子供達の一部が萎縮するだけで代わりはいくらでも居る。
態々彼らを保護する必要性を見出すことが出来なかった。
そこから視線を逸らそうとして、すぐ側で気の高まりを感知した。
「うハッ」
思わず吹き出したような笑い声の方を見ると、周囲の眼に気づいてその男は口元を掌で覆い隠した。
しかし、身長が低く彼の近くに居た俺は彼の掌の下で口角が張り付きそうな程に上がっているのを覗き見る事が出来た。
俺は彼の立ち振る舞いに気持ちの悪さを感じる。
どこか、グルテールで見た商人、マリウス・ラビンソンと似た気配があった。
剣を腰に佩びていることからして、彼は聖剣機関の剣士だろう。
「……ふーっ……ふーっ……久しぶりの
男は興奮しているのか、息が荒かった。
彼の視線は孤児の子供達……ではなく彼らを追う男達の方にあった。
「……フーーッ、フーーッ……?」
その様子に既視感のようなものを感じ、彼を観察していると、俺の存在に気づいた男と視線が合った。
彼はしばらく俺を見下ろすと、瞼を閉じて息を整える。
そして、荒くなっていた呼吸が戻ってから、ゆっくりと掌を下ろした。
掌の下から、好青年らしい爽やかな笑みが現れた。
「何か……私に用かな?」
「……なにも」
初めは取り繕っているのかと思ったが、男は興奮して息を荒げている痴態を見られても何とも思っていないようだった。
そして、彼から離れようと踵を返そうとすると、今度は彼の方が俺を強く見つめて来る。
剣士の笑顔がより深くなる。
「もしかして君……悪党か?」
質問の形を取っていたが、どうやら男は確信しているようだった。
俺は男の正体を確かめるように体全体に視線を巡らせるが、男はどう見ても人族だった。
花精族とは違うタイプの心を見透かす種族の血が入っているのか。
「悪、党?」
俺はすっとぼける。
俺は生きようとしているだけだ。
生きてさえいればいい。もし、それで傷ついた者が居るとすれば追い詰めた人間の方が悪い。
「悪党というのは、悪事に手を染めた人間のことだ」
「してません。悪事なんて……」
俺は反論すると、男はずいと顔を寄せて来る。
「いや、してるとも。してないと困る。してなくてもしているんだ、悪事を、君はぁ」
狂人だ。
彼が俺を見抜いていた訳ではなく、彼の目の前に居た俺に後ろ暗いところがあっただけなのだ。
付き合う必要を感じない。
「だ、誰かっ。助けて!!!」
大声で助けを呼べば、市場の視線の一部が集まる。
その様子に剣呑なものを感じた別の剣士が、柄に手を添えたまま近づいて来る。
「まさか……君……私を悪人だと思っているのか?」
目の前の男は、周囲から警戒が向けられていることよりも、俺が助けを呼ぶ声を上げたことに対して悲しんでいた。
「おかしい……それだけは、あり得ない。私は正義の代弁者だぞ……」
1+1=3であると言われたような、深い疑問の表情。
彼にとって自分が間違っているとは、それだけ信じがたいことなのだ。
彼はヨロヨロと壁に肩を預けながら路地裏へと消えて行く。
「……さっきの、リグハルドか。君、大丈夫だったか?……あれ?」
心配して近づいてきた剣士がこちらを振り向くが、そこに俺の姿はもう無い。
先ほど見ていた孤児達の姿は市場から消えてしまった。
既に拐われてしまった後のようだ。
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第104話『悪党』
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