第103話『竜人の男』

「……どうした?我が貴様の夫となると言っているのだぞ」


 交渉にやって来た竜人の男が、不思議そうに尋ねる。『三番目の妻に貰って』などという言葉で喜んでやって来ると本気で思っているようだった。


「……ヴェルデ、私は帰りますよ」

「そうしろ。我はやる事ができた」


 妖精種の男は少し呆れた表情を見せるが、ヴェルデと呼ばれた竜人男は、顔も向けずに答えた。

 そうして妖精種の男は肩をすくめると、背を向けて通りへと出た。


 その間、竜人娘は訝しげにヴェルデを睨んでいた。

 彼女の性格なら、自尊心のタガが外れたこの男は既に肉塊になっていても驚かないが、彼女の頭には『目立たないようにする』という方針が残っているらしく、動き出す気配は無い。


「……」


 竜人娘レンゲは実力行使に出る代わりに、俺の方をじっと睨む。

 心なしか強めの怒りを帯びた視線だ。

 これは……俺に丸投げするつもりだな。


 彼女は手元の袋をクイと持ち上げて見せる。

 これは、


『追い払ったら、褒美に肉をやる』


 と言いたいようだ。

 彼女と違って俺は肉に対してタンパク質の摂取以上の意義を見出せていない。

 同じ量で美味い肉と不味い肉があれば、美味い肉の方を選ぶ程度だ。


 まあどちらにせよ、彼女が穏便に収める事が出来るとは思えない。


 俺は小さく咳をすると、二人の間に割って入る。


「ヴェルデ様……で、合っていますか?」

「……なんだ貴様は?我の視界を遮るな」


 気分を害されたヴェルデは俺の体を強く押し退ける。いきなり殴って来るタイプで無いだけ理知的かもしれない。


 俺を押し退けるヴェルデの手を掴んだ。

 彼の眉がピクリと上がる。


「彼女はうちでも多くの蟲の血液を摂ってくる子供なので、連れて行かれたらそちらとの交渉は無理になるかもしれませんよ?」

「貴様、成り損ないの分際で我を脅すつもりか?」


 『成り損ない』というのは蛇人族に対する蔑称のようなものだろうか。

 確かに竜人族と比べて角が無い蛇人族は下位互換であるようにも見える。


「脅すつもりなんて、そんな酷い事しませんよ。ただの予測の話ですよ……大袈裟に取らないでください」


 俺はヴェルデの言葉に対して、驚き、傷ついた表情を作る。


「予測か。ならそうならないように貴様がどうにかしろ」


 ヴェルデは他人事のように俺の言葉を切り捨てる。どうやら組織は彼にとって最優先な訳ではなさそうだ。


「えぇ、ですから彼女が連れて行かれないように俺がをしましょう」


 俺は媚びるように笑いながら、彼の腕に手を這わせる。

 生理的な嫌悪に彼が襲われたのが分かった。


「……っ、離せ!」


 咄嗟の動きだった為か、男は力加減を誤り俺の体を大きく撥ね飛ばす。


「ぐぇ」


 地面に叩きつけられ、情けない声が漏れる。しかしすぐに起き上がり、ヴェルデを見上げながら再び媚びるような笑みを浮かべる。


「へへ」


 竜人娘と接する時のウェンを意識すると、自然と笑いが込み上げた。

 ヴェルデは不快感を一切隠さずに表情に出すと、吐き捨てるように言った。


「気色が悪い、それ以上近づくな」


 人に言える事だろうか。

 お前も負けず劣らずグロテスクな自己愛をしている。

 ヴェルデは不潔な眼球を竜人娘レンゲの方に向ける。


「……成り損ないのせいで盛り下がった。ミグレイ、また迎えに来る。待っていろ」

「……」


「ふん」


 竜人娘レンゲは何も答えなかったが、ヴェルデは勝手に納得したように頷く。


 盛り下がるも何も、そもそも盛り上がっていない。

 ヴェルデはローブの裾を翻すと、フードを頭に被り、大きく飛び跳ねて、建物の上に着地する。

 そうして、バッタのように屋根から屋根へと飛び移りながら離れていった。


「うん……」


 俺は演技をやめてその場から立ち上がる。

 体に付いた埃を払い除けると、竜人娘レンゲの顔色を伺う。


「……」

「追い払ったよ」


 彼女は口元をへの字に曲げながら、こちらを見ていた。

 俺のやり方が気に入らなかったようで、少し不満げな表情だった。


 それでも、彼女の願いどおりの結果が得られたのは確かなので、彼女は不本意そうな顔をしながら手元の袋を弄ると、肉の刺さった串を二本取り出した。


 俺は串を受け取り、周囲を見回し腰掛けられる木箱を見つけた。

 ちなみに、フィルスはヴェルデが喋り出した時点で周辺から消えていた。敵しかいない街で彼が培った危機感知能力はかなり精度が高いらしい。


 俺が腰ほどの高さの木箱に飛び乗ると、続けて竜人娘レンゲも同じ木箱に飛び乗って来た。

 後から来た彼女が木箱の辺の真ん中を占領したので、俺は端に追いやられた。


「コクヨウ」

「アレックス、だよ」


 彼女の視線が鋭くなり、周辺を警戒するように見回した。


「コクヨウ」

「……なにかな?」


 どうやら、周りに人が居ないから態々偽名を使う必要は無いと主張したらしい。仕方なく俺の方が折れる。


 彼女は難しそうな顔をして、言った。


「『妻』とは、何だ」

「……聖剣機関に居る時に、周りの子供達からそういう話を聞かなかった?」


「中伝クラスでは、剣技の話しかしていない」


 そういえば、彼女はいくつも剣技を習得していたから、余計な話をしている暇なんて無かっただろう。

 俺の方もよくよく考えると、男子の中では男女に関する話題は上がっていなかったように思う。エンの方はどうだろうかと考えたが、彼女も孤立気味だったので知識は無さそうだ。


「結婚した女性の事だよ。男性の場合は『夫』と呼ばれるよ」

「……『結婚』は聞いた事がある。どういうものだ」


「男女で結ぶ契約だよ。財産を共有したり……他にも契約を結ぶ二人の間でルールが作られるらしいよ」


 彼女の質問に対して、俺は辞書的に答える。説明の難しいところは曖昧に誤魔化した。

 しかし、彼女の疑問は解消されなかったようだ。


「……何か、利益があるのか?」

「相手の家族とのツテだったりはあるかもしれないけど、全員がそれを目的に結婚したい訳でも無いと思うよ」


 恐らく、精神的な面での満足以外に得られることはない。それは利益と呼べるのかと言われれば否だろう。

 今度こそ竜人娘レンゲは首を傾げた。


「ならば、何故あの男は結婚したがった?」


 話が竜人の男に戻る。


「知らないよ。多分レンゲのことが気に入ったから、自分のものにしたかったんじゃない?きっとコレクションか何かだと思っているんだよ」


 あの男は話している最中も竜人娘レンゲの尻尾ばかり見ていた。

 竜人族において、それがどういう意味合いなのかは分からないが、あの気持ちの悪い表情からしてロクなものでは無い筈だ。

 そもそも十も超えない少女を妻にしようとするなど正気の沙汰では無い。


「気持ち悪いし、あの男には近付かない方が良いよ。きっと正気じゃない」


 明らかに分別を欠いた、感情的な言葉が口から出た。


 それに対し、竜人娘レンゲは目を見開いて、穴が開くくらいに俺の顔を見つめてくる。

 居心地の悪さに疑問の声を上げそうになったところで、彼女が口を開いた。


「……おまえが言うのか」

「……」


 これは、俺が彼女に抱き付いた時のことを指摘しているのだと気付いた。

 そして、俺に反論の余地は無かった。


 状況が悪くなったのを察した俺は口を噤み、彼女から顔を背ける。


「……それは、今は関係無いよ」

「わたしは始めからその話をしていた」


 横に置いておこうとした話を強引に引き摺り出す彼女の暴挙に、うぐ、と口の中でくぐもった声が出た。


「……おまえは違ったのか?」


 あれだけ頭の中で罵ったヴェルデと自分が、それ程変わりがない存在であると言うことを彼女の言葉で突きつけられる。


「違う……違うよ。俺はレンゲが自分のものになるなんて思っていない」

「……」


 ダメだな、これは。喋るほどボロが出る気がする。


 彼女は疑うように目を細めると、俺の尻尾に手を伸ばして来た。尻尾を握りながら問うことで、俺の言葉が本当か確かめるつもりなのだ。

 俺は木箱から飛び降りて、彼女の手を避けた。


「逃げたフィルスを探して来るよ。その後エンに大人たちが交渉に来た話をするから夜まで帰って来れなさそうだよ」

「…………そうか」


 俺は早口で言い訳をする。

 彼女は空を切った手を彷徨わせると、最後には膝の上に乗せて頬杖を着いた。


 彼女の視線に晒されていると、何もかもが見透かされているような、どうしようもない心地の悪さを感じる。


 エンに話をするのは本当だが、情報を共有するのに何時間も掛からない。


 俺は背中に向けられた視線を避けるように細い路地へと入り込んだ。




◆◆◆◆




「おや、ヴェルデさん。お早いお帰りで」


 光精族の男、オロスフェイルが薬師ギルドへ帰って来た竜人の男に声をかける。

 竜人の男、ヴェルデは椅子に深く腰掛ける。


「邪魔をされた」


 オロスフェイルは不思議に思う。

 優れた竜人族としての気の量と、竜人の里仕込みの武術によって彼は街でも上位の強さを持っている。

 彼を押し留めることの出来る子供など居る訳がない。


「あそこには子供しか居なかった筈では?もしや護衛でも雇われていましたか?」

「そういうものではない。気色の悪い餓鬼に絡まれただけだ」


 ヴェルデは不快感を顔に滲ませる。

 力で負けたのでは無いと知って彼は安心する。


 しかし、ヴェルデを追い払ったことで、あの場の子供がこちらを侮る可能性があった。


 オロスフェイルは口角を上げる。

 孤児を相手にするのは暴力を手段として使えるところが良い。


 安易で、それでいて効果的。

 デメリットは道徳面だが、野良犬は人では無い。


「交渉までに何人か拐っておきましょうか。その方がヴェルデさんの溜飲も下がるでしょう?」

「ほう、良いのだな?どの程度加減する?」


 ヴェルデは興味のある態度を見せながら、足を組む。


「要りません、2、3人なら死んでも仕方ありません。孤児ですから、きっと栄養が足りなかったのでしょう」

「ハッ、クズめ」


 ヴェルデは笑いながらオロスフェイルを罵倒する。

 彼の表情には殺しに対する嫌悪感は微塵も無かった。



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