第102話『蛇の尾を踏む』


「蛇の兄ちゃん、横穴潜るから、瓶ちょうだい」

「札は持って来た?」


 獣人種の特徴が強めに見られる少年が、カウンター越しに俺に話しかけてくる。

 俺の問いかけに対し、彼は懐から十センチ程の木の板を取り出した。


『火の5』

「ありがとう」


 受け取った札の記号を確認して返すと、手元の紙をめくり、『火の5』の欄に印を付ける。

 こうすることで、いつ、誰が入ったのか記録する。


 多く成功する子供には、大きめの瓶を渡し、瓶の損失を減らしながら利益を増やすことを考える。

 帰還した時にはその分の報酬を渡す。


 子供達がやっていることは今までと同じだが、与えられる報酬が格段に上がったことが違いだろう。

 一度の横穴への潜入で、十日以上生活出来るようになった。


 それでも少ないくらいだが、子供達からの文句は今のところ見られない。

 むしろ、子供達は笑顔すら浮かべている。


 金銭的な余裕は精神的な余裕を呼ぶのだろう。


「あと、『光り玉』も」

「……どうぞ」


 俺は棚の中を弄って、ガラスの玉を取り出した。


「危険だと思ったら遠慮なく使うんだよ」

「おう!」


 そのガラスの玉は普通のガラス玉を加工し、割れたら大きな音が出るように仙器化をしてある。


 アンリが良く使っていた閃光針と似たような効果のものだ。


 蟲は音、というか空気の振動で周りを感知しているらしく、近くで大きな音が鳴れば、直近の小さな音が聞こえなくなる。

 そのため、子供たちは蟲と遭遇した時にこれを使い、蟲が混乱している間に逃げることができる。


 もしも使わなければ帰ってきた時に回収すれば良い。


 一通り受付を終えた俺は時間が出来た。

 何故か彼らが洞穴に潜る時間は朝に集中することが多い。


 それについては理由は分からなかったが、どうやらジンクスのようなものらしいと後で知った。

 理屈を付けるなら、時間帯によって活動している蟲の種類が異なる、とかだろうか。


 今日の予定を立てていると、奥のドアが開いた。


「ふわぁ……アレックス。今日はお前が受付してるのかぁ」


 気の抜けた声と共に現れたフィルスは、眠そうに眼を擦る。

 一瞬、アレックスとは誰だとなったが、自分の偽名だと思い直す。


「おはよう、フィルス。受付代わる?」


 既にやることの殆どは終えているが、本来は子供達を束ねるフィルスがやるべき事だ。

 現在はシステムを敷いたついでに俺がやっているだけだ。


 それと、今の俺はフィルスの子分のようなものだと子供達には認識されている。


「いや、俺……アレックスに任せとく。お前の仕事だからな」


 一瞬口籠ったフィルスに違和感を覚える。

 そもそも受付は俺の仕事ではない。


 何かしらのコンプレックスが彼にはあるようだった。

 字が読めないことを後ろめたく思っている、だろうか。


 彼は栄養をとり始めてから直ぐに体が成長し、穴に潜ることが出来なくなってしまった。

 そうなると、彼は自然と朝遅く起きるようになった。

 彼にとっては横穴に潜ることは生活の一部だったのだろう。例えそれが命懸けでカビの生えたパン一つを手に入れるような搾取を目的としたものであっても、彼の一部だったのだ。


 彼はカウンターに肘を着くと、掌の上に顎を乗せた。


「なぁ、ブルートのこと覚えてるか?」

「覚えているよ」


「……アイツ、死んだんだってなぁ」


 しみじみとした表情で言った。

 悲しみは全くもって読み取れなかった。

 俺が手を下したことには気づかれていないらしい。


 彼らの遺体は蟲の血液によって処理されている。

 突然現れなくなった彼らに対して、死んだと憶測が立ったのだろう。


 あの時、喰ったブルートの心臓は結論から言えば、意味を為さなかった。

 胃袋や消化器官には『消化強化』など、それらしい付与を行っていたが、それでも見られる変化は誤差の範囲だった。


 人を食らう忌避感を押し殺して得たものは一食分の食費が浮いただけ。

 食らう部位がダメなのか、量が足りないのか、原因は分からない。


「ずっと、死ねば良いと思ってたんだけどな」

「……」


 洞穴の翁は『食らう』という行動を俺とは別の解釈で行っているように見えた。

 それこそ、俺が影を操るように、何かしらのスイッチが必要なのだろう。


 結論から言えば、今の時点での食人は無意味だということが分かった。

 それだけでも大きな収穫だ。


「お前に言ってもわかんないか」


 俺の方をチラリと見たフィルスが溜息を溢す。

 一方の俺は、拠点の入り口の方に目を向ける。


 遅れて足音を捉えたフィルスも、弾かれたように同じ方向を向いた。


 開いたドアの向こうには黒いローブを羽織った二人の男。

 一人は妖精種が持つ長い耳を外にさらけ出し、もう一人はフードを目深に被っているが、臀部のあたりの布が持ち上がっているので、獣人種だろうか。


 妖精種の男がニコリと笑った。


「ここに、『フィルス』という孤児のリーダーが居るそうですね」


 フィルスがピクリと肩を上げる。

 妖精種の男は目を細めてフィルスを見つめる。


「あ、あぁ。俺がフィルスだ。なんか用かよ?」


 男は小さく首を傾げるが、貼り付けた笑顔は外さない。


「これはこれは、気付かずに申し訳ない!私たちはフィルス様にお願いがあって参ったのです!」


 急にトーンを上げてにじり寄った男に、フィルスは面食らう。

 もう一人の男は、黙って立ったままだ。


 俺の警戒の殆どはこの男に向けられていた。

 種族は分からなくとも、その身に秘める気は俺にも見えている。


 俺よりも多く、その上、明らかに気術を修めている者特有の静かな気。

 準師範級、秘書の女よりも上か。


「ぉあ……え……」

「どうかされましたか?」


 一方で、横ではフィルスが敵対ではなく交渉を持ちかける大人の存在に戸惑って、思考が止まっていた。

 俺は仰反る彼の腕を肘で突く。


「……あっちの部屋なら空いているよ」

「お、おぅ。あっちの部屋なら空いてるぜ」


 小声でフィルスに吹き込むと、彼は俺の言葉を反芻した。


「それは助かります。ぜひ詳しい話をさせてください」


 妖精種の男は朗らかな笑顔のまま、視線だけで俺を観察していた。

 こういうタイプは本当にやり辛い。




◆◆◆◆




 俺達は、最低限体裁を整えた応接室のような部屋で2対2で対面する。

 ソファもなかったのでベンチのような木製の硬い椅子にそれぞれが座り、中央には低めの机を置いていた。


 フードを被った男も妖精種の男の隣に座った。

 護衛、では無いのか。


 妖精種の男に関しては戦力的に警戒する必要は無い。

 明らかに戦闘のできないものの動きだった。こちらは交渉役ということだろう。


 俺はフィルスの背後に控えて、彼の部下であることをアピールする。

 全ての責任はフィルスに被せるつもりだ。

 顔を覚えられるのは不味いが、今更フィルスを一人にさせることも出来ない。


「私たちは、この街で薬の販売を生業にしているものでして……」


 この時点で男がどこの人間であるかは答え合わせが出来た。

 十中八九、ウェンが調査したこの街で活動する組織の一つだろう。確か、それも薬や毒の販売を専門にしていた。


 しかし、思ったよりも接触が早い。向こうの調査能力も侮れない。


 そして、名乗ることなく交渉へと移る。


「そちらで販売している蟲の血液をこちらにも流して頂きたい」

「ふぅん、分かった。良いぜ」


 俺は、無表情のままフィルスの後頭部を見つめる。

 細かい内容を聞かずに進めるのはあまりにも無警戒が過ぎる。


「……おぉ、それは良かったです。ですが、条件がありまして……。出来れば私どもの独占とさせていただきたいのです」

「おん?」


「他の方には売らないで欲しいという事です」


 フィルスが怪訝な顔を浮かべる。

 相手の意図が読めないのだろう。


「……前から売ってる先のが、大事だろ?」

「えぇ、えぇ、それはもちろんです。……ですが!現在はおいくら程で取引されていますか?」

「瓶1本で金貨1枚……だよな?」


 フィルスの問いにこくりと頷いた。


「ならば、こちらは金貨1枚に加えて銀貨20枚を出しましょう。それで、どうでしょうか」

「ならい……イ"ッ」


 フィルスの肩を握り締めて動きを止める。


「一つ……質問良いですか?」

「おや?貴方は……?」


 表情は笑顔のままだったが、少し不快そうな色が見える。


「なぜ、独占する必要があるのですか?」

「……その方が利益が出るからです」


 子供相手だと思っているからか、曖昧な物言いをする妖精種の男。


 恐らく彼らは蟲の血液を使った薬の作り方を知らない。にも関わらず独占したがるのは、エルドリックの薬の製造を止めさせて、その間に彼の技術力に追い付くためだろう。


「そうですか……」


 色々と考え、結局俺は男の言葉に納得したような態度を見せる。質問を続けようと本当は思っていたが、ローブの男が視界に入り、質問を控える。


 もう十分に金は溜まっている。

 今更フィルスに口を出すよりも、成り行きに任せる方が目立たないか。


 妖精種の男はもう一人の男に視線をやり、男が頷いて、二人同時に席を立った。


「ふぅむ、どうやら急かし過ぎたようですね。また今度、遣いを寄越しますので、それまでに意見をまとめてください」

「お、おう。そうかよ、またな」


「えぇ、また今度」


 俺は内心で少し驚く。

 隣の男はかなりの実力を持っているので、それを行使してくると思っていたが、何もせずに帰るのか。



 そうして、二人組が拠点から出ていく時に、入れ替わりで竜人娘が帰ってくる。

 その手にはやけにいい匂いのする袋があった。市場で買ってきたものだろうか。

 彼女は珍しい種族だが、特徴的な角をフードで隠せば、蛇人族と見分けは付かない。



 彼女は、拠点から出てくる二人の男、正確にはフードを目深に被っていた男の方を見て、僅かに目を見開いた。


 一方の男の方も、竜人娘レンゲを見て、ピタリと動きを止める。


「……どうかしましたか?」


 妖精種の男が問いかけたが、もう一人のの男は答えずに、竜人娘レンゲの方を見ながらフードを脱いだ。


 その下からは見覚えのある形の角が出てきた。

 同時に、ローブの裾を爬虫類じみた緑の尻尾が持ち上げる。


 男の見た目はかなり若い。

 十五、六歳程度に見える。自信に満ちた表情から鋭い犬歯が覗く。


「娘……貴様、同族だな。名前は?」


 俺の人生で二人目の竜人族の存在に、気が動転していた。

 竜人娘レンゲは肉が入っているであろう袋に一度視線を下ろしてから答える。


「……ミグレイ」


「ミグレイか……その顔を見せろ」


 そう言って、竜人族の男は竜人娘レンゲのフードに手を掛けて脱がす。

 一瞬その手を避けようとした竜人娘レンゲだが、身のこなしを見られないように抵抗をやめる。


 その下から竜人娘レンゲの素顔が現れる。

 男は口元に手を当てて舐めるように彼女を観察すると、


「まあまあだな」


 分不相応にも彼女の容姿を寸評する醜男。

 子供の落書きにも劣る愉快な顔面で何を語っているのか。


 そうして、男は無遠慮に彼女の尻尾を眺める。



「我の元に来い。まだ幼いが、三番目の妻に貰ってやる」


 下衆男はさらに愉快な言葉を脳髄から垂れ流した。


 あぁ、そうくるか。そうきたか。


 余りにも愉快で、上がった口角の下げ方を忘れてしまった。




————————————————————

第102話『蛇の尾を踏む』



この章のメインラブコメ要素ですね!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る