第100話『代弁者』
「なぁ……最近、帰ってくる蛭の数が少なくねえか?」
「そうかぁ、こんなもんじゃなかったか?」
会計を担当するブルートの部下の男は仲間にポツリと言った。
机の上には、彼らの生命線である耐蟲酸瓶が並べられていた。
(馬鹿が!数も数えられねえのかよ。暢気なアホ面晒しやがって!)
ひ弱な会計の男は心の中で吐き捨てる。
よく見れば、瓶のサイズには差があり、一番小さいものと大きいものを比べると二倍近くの差がある。
これは生存確率が高い子供により大きな瓶を割り振るための工夫だった。
しかし、どの子供が何回潜ったかの記録をわざわざ付けるほど、彼らは勤勉ではない。
結果、個々人の記憶に頼って熟練の『蛭』には大きめの瓶を渡す事にしていた。
下手すると、瓶を渡すものの中には瓶に大小がある事さえ曖昧な者もいるかもしれない。
会計の男は、大きめの瓶は奥の方に配置する事で、ミスで経験の浅い子供に瓶が渡されるのを防いでいた。
男は何度か瓶の数を数えてみるが、やはり減っている。
それも、大きめの瓶の減りが異様に早かった。
苛立ち紛れに、指先で何度も机を叩く。
「……横穴の奥で何が起こってんだ」
男は荒事に向いていないため、蟲が逆流して入ってくる可能性のある横穴の部屋には入らないようにしている。
そして、誰がどの子供に瓶を渡したのかも、記録されていない。
問題の原因を特定する手段を持たないのだ。
まるで真綿でゆっくりと首を絞められる感覚。
その正体が何か分かっていないのも気持ち悪い。
「瓶一本分の値段を引き上げるしかねえ……か」
相手との関係を悪化させることにはなるが、それしか無いだろう。
丁度、今日は彼が交渉の担当となる日だった。
交渉に関しても組織の中では理性的な側の彼が全てを担当した方が効率は良いが、何かあった時自分に責任が降りかかるのが嫌でどうにかして当番制にしたのだ。
そういう小心なところが彼にはあった。
「そういえば、時間と場所が変わったんだっけか……」
男は強い違和感を覚えた。
こういった取引で場所を変えるのはあまり良いことではなかったからだ。
人に見つかるリスクもあるし、数年この方法でできたのならこれからも同じ方法でするべきだ。
もちろん、余程大きな状況の変化があればその限りでは無いが、今回はそうではない。
「なぁ、お前暇なら今日の交渉について来いよ」
「えぁ?もう寝たいんだけどよぉ」
「来るなら、俺の分け前の一部をお前にやっても良いぞ」
「はぁ、しょうがないなぁ……ったく、俺がいねぇと何もできねぇんだからよ」
そして、溜息を吐きながらテキパキとした動きで男は椅子を立ち上がり、その手に槍を持った。
「じゃあ、お前の分け前の5割で手を打とう……特別にな!うん」
「おぅ、分かった。その代わりお前の今度の分け前は0だから覚えとけよ」
「え?」
法外な護衛料の支払いを要求した仲間の男に、会計の男は組織の財布を管理する者としての権力を行使する。
「冗談だよな?」
「……もちろんだ」
その言葉を、『もちろん冗談だ』と受け取った男は喜んだ。
そうして護衛の代価についての話がうやむやになった状態で男達は交渉の場へと向かった。
「まさか……相手が子供に変わったとは聞いていなかったな」
「エルドリック商会長の代理です。既に数回の取引を行なっているのですが……信用できないようなら、今回で取引をやめても良いですよ?」
エンは会計の男に向かって強気に出る。
既に自分達の力だけで蟲の血液を採取し、瓶も利益から十分賄えるようになった今、ブルートの組織と交渉をする必要性は薄れていた。
このまま彼らとエルドリックとの取引を終わらせてしまった方が都合が良かった。
会計の男は動揺を押し殺して、商人を相手にする態度へと変える。
「……申し訳ない。仲間には交渉の相手が変わったことを聞いていなかったので、戸惑ってしまいました」
「そうですか……それで、今回は何本でしょうか?」
エンは取り敢えず彼らが持っている瓶の数を聞く。
「4本です」
「随分と少ないですね」
困ったように眉を寄せる。
会計の男はその表情から、やはり瓶は需要の大きなものであると考えた。
「えぇ、どうやら穴の調子があまり良くないようで……できれば一本金貨1枚と銀貨50枚位は欲しい」
エンは金貨1枚が銀貨100枚と同じ価値であることを知っている。
50枚といえば、その半分になる。
「それは……無理ですね」
「っ……この価格でないと、この瓶を今後売ることは難しくなりますよ?」
「残念です」
「ははっ、なるほど。丁稚だと思っていましたがお弟子さんでしたか……分かりました。金貨1枚と銀貨40枚で」
「……」
焦ったように、売値を下げた男に対してエンは虫を観察するように無機質な視線を向ける。
「な、何でしょう?」
「……話は終わりでしょうか?」
「冗談は言わんでください。交渉の最中でしょう?」
「値段については一切受け付けないように言われていますので」
どうされますか、とエンは視線で問いかける。
「……あぁ、それと」
エンは視線を宙に彷徨わせる。
今のところは彼女の予定通りに進んでいる。
「余っている瓶があれば、6本で金貨1枚で買い取りましょう」
「そ……まさか!?」
蟲の甲殻を混ぜ込んだガラスは強い酸への耐性があるが、大抵の酸は普通のガラスで十分だ。
その言葉は、蟲の血液の入手経路が彼ら以外にあることを意味する。
会計の男は拳を握り締める。
「どうやって……まさか横穴を自分で掘ったのか!?」
「……お答えする必要がありますか?」
冷たく言い放ったエンに、男は頭に血が上るのを感じた。
そうして驚きで見開かれた目が鋭くなる。
会計の男は低い声色で、仲間の男に告げる。
「リワウ……そのガキ、捕まえろ」
「良いぜぇ」
護衛としてやってきた男は種族が特定できない混ざり者だったが、体格の良さから受ける威圧はかなりのものだった。
長い腕が伸びてエンの胸ぐらを掴む。
エンはその腕をまたジッと見つめる。
混ざり者の男はそんなエンに人形のような気持ちの悪さを感じる。
「生意気だなぁ、このガキ」
そうして右腕を振り上げると、エンの体が男の腕から落ちたように見えた。
実際は、エンの体は男の腕ごと落ちた。
「ぎゃああああああああああ!!」
エンの胸ぐらを掴んだ男は悲鳴を上げ、会計の男は驚きに目を見開いた。
そうして当のエンもまた、驚いていた。
「大人が二人も寄って集って、子供を虐めるとは、なんたる腐敗!なんたる不正義!」
20を超えるかどうかと言った年頃の青年の剣士がマントをたなびかせて路地に現れていた。
彼の剣の刃からは血が滴っていた。
「……リグハルドか、テメェ!」
会計の男は、青年の姿を見て思い出したように叫ぶ。
「そうだとも!私こそが正義の代弁者、リグハルドだ!悪党ども!」
「イカれたか、リグハルド!」
「それはこちらの言葉だ。君達の狼藉は目に余る!」
青年、リグハルドは剣を鞘に納め拳を握り締めると、手首から血を流している護衛の男に迫る。
そうして彼の足を踏みつけて、その場に固定すると拳を護衛の喉に食い込ませる。
「……は、ヒュ」
「なんて最低な奴らだっ!こんなっ!幼気なっ!女の子をっ!怖がらせるなんて!許されざる!悪だぁ!」
そのまま体を押し倒し、何度も拳を叩き付ける。
「……ふぅ。次は君」
護衛の男が小さく痙攣して動かなくなると、青年は立ち上がり、会計の男へと詰め寄った。
「……おま、ブベッ」
「悪に貸す耳なし!」
剣士としての体術を活かして、かなりの速さで会計の男に詰め寄ると、力強い拳が男の顔面を破壊する。
なぜか拳には気を纏っていない男は、皮が捲れた自身の拳を気にすることなく、会計の男に馬乗りになると、両方の拳を連続で打ち下ろす。
「これが!あの子の!恐怖だ!分かったか!この!悲しみと!苦しさが!」
「ま、だれ……か」
「悪党に!助けを呼ぶ!権利なんぞ!無い!これが!正義の!拳だ!」
「……」
「ほら!どうした!この程度か!この!少し殴られたぐらいで!気絶か!この!根性なしどもめ!」
「……あの!」
ひたすらに拳を打ち下ろすリグハルドにエンは背後から声をかける。
「うるさい!今は!正義の実行中だ!邪魔するなら!君も!……あぁ、君か。何か私に用か?」
彼は後ろを向いてやっとエンのことを思い出したようだった。
彼女は会計の男だったものを指差して言った。
「もう、死んでますよ?」
「ふぅ………………本当だね」
ズタズタになった死体をしばらく見下ろして、リグハルドは同意した。
彼はマウントポジションから立ち上がると、懐から取り出したハンカチで拳に付着した血液を拭い去って、死体の上に捨てた。
「また、怖いことがあったら私を呼びたまえ」
そう言ってエンの頭を撫でると、男は去っていった。
エンは二つの死体を交互に見た後、思い出したように自身の頭に手をやると、ぬるりとした感触が帰ってきた。
髪を指で梳くと、青年の手に付着していた血液が、髪を介して彼女の掌に付いた。
それに思わず顔を顰めると、嘆くように夜空を見上げた。
「……どう説明すれば良いのかしら」
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第100話『代弁者』
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