第96話『息が詰まるほど』
「早速『瓶』を作りたいところですが、素材が逼迫しておりまして……」
青年は申し訳なさそうに眉を歪めた。
「素材、というのはもしかして、蟲のことでしょうか?」
「……ご存知でしたか」
やはり、岩さえ溶かす蟲の酸に対抗するには、蟲の素材を用いるのが自然だ。
俺は持ってきた袋の中から、最も多い種類の蟲であるオニグモ、蟹サソリの殻を取り出した。
青年は今度こそ驚いた表情を見せる。
「これをどうやって……」
「死骸を持ってきただけです」
そうは言ったが、これを持ってくるのにはかなり苦労した。
殻だけ持ってくるつもりでも、その裏側には酸の血液が付着している。
服に触れれば簡単に穴が空く。
俺は気を厚く纏った状態で、穴から出て森まで持っていき、土で酸を擦り落とした後、水で完全に洗い落とした。
これでやっと無害になった。
彼もその難しさを知っているようで、なんとも言えない顔を見せたが、直ぐに取り繕って殻を受け取る。
「これで、瓶は幾つくらい作れますか?」
「サイズによりますが10、いや9本くらいですね。予算の方は?」
「金貨二枚です」
「となると、提供できるのは6本が限界ですね……」
青年は申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「あの、作成する瓶についてですが、一つで良いので大きめのものを用意してもらえないでしょうか?」
一々商人と取引をするときに小さな瓶をいくつも渡すのが面倒だと思っていた。
大方移し替えるときの危険性を嫌ったのだと思うが、こちらには蟲の酸に耐えられる人間が居る。
「一応、出来ますが……その」
「危険性については十分理解しています」
彼も同じ可能性に行き着いたようだ。
心配するような彼の視線に自信を持って応えると、彼は俺たちが蟲の酸に対する何らかの防護手段を持っていることを察したようで、不安な表情を直ぐに引っ込めた。
彼は後ろの棚を探って、大きめの瓶を一つ取り出して見せた。
「……出来上がるのはこのくらいのサイズですね。あ、これは普通のガラスですよ」
「なるほど……」
瓶の容量は1リットルはあるだろうか。
小さな瓶6本分よりも容量は明らかに多そうだった。俺は大きく頷く。
「これで、お願いします」
「かしこまりました。それで支払いの方はどうしますか?」
「半分は先に支払っておきます。残り半分は受け取る時に、でどうでしょうか?」
俺が机の上に置いておいた金貨を彼の方へ差し出しながら提案すると、彼は安心したように笑った。
「その方法でお願いします」
何度も騙されてきた身としては、最低限の保証が無いのは怖いものだろう。
俺としては全て先払いでも良いが、そこまで都合が良いと疑われることもあるので半分にした。
青年が金貨を受け取ったのを確認して俺は立ち上がった。
「明後日には出来上がります」
随分と早い。
これならば、ブルートの組織との偽の取引を切り離すのも近いかもしれない。
「よろしくお願いします」
俺は笑顔を浮かべて青年と握手をした。
店を出ようとした俺は、途中で並べられた金属の武器を見つける。
「……ここにある剣は誰でも買えるものなんですか?」
「えぇ、そうですね。ですが、やはり剣は聖剣機関の方の購入が多いですね」
「へぇ……触れてみても良いですか?」
「持つぐらいなら構いませんよ。ただ、店の中なので振るのは……」
もちろんと俺は頷いて、剣を手に取った。
ずっしりと重みに体が引っ張られる感覚があった。
その様子を青年が微笑ましそうに見つめる。好奇心で剣を手に取ったのだと思われていそうだ。きっと、俺を通して青年の子供時代を思い返しているに違いない。
俺にはあまり剣の質を見分ける目は無い。
これを作ったのが大きな工房の長を務めていた人間だというのなら、かなり質は良いのだろう。
だが、俺の興味は剣の質や見た目などには無かった。
俺の培った感覚を剣に向ける。
「聖剣機関の剣士が使うということは……蟲を相手に使うということですか?直ぐ使い物にならなくなりそうですが……」
「あぁ、それは剣に【付与】を行っているからですね」
青年は当たり前のように言った。
「【付与】?」
「熟練の鍛治師は金属を鍛える時に、特殊な効果を与える技術が使えるんです。師匠も、頭はアレですが【付与】を出来るくらいには優れた鍛治師ですから、以前は特注で作ったりもしていたんです」
俺は感心するように頷くと、剣を彼に返した。
そうして、俺は青年に見送られて店を出た。
ゆっくりと歩きながら、先ほどの剣を思い出していた。
【付与】が行われたという剣、あれはまさしく仙器だった。
考えてみれば、物質に特殊な力を付与する技術は、彼らのような生産者にこそふさわしい。
しかし、話を聞くに【付与】は出来上がった道具に後から効果を与えることはできないようだった。
それだけだと【仙器化】の方が明らかに上等だが、俺が見えていない利点がおそらくあるのだろう。
初めは、あの鍛冶屋が里と関係があるのかと思ったが、彼の論調からするに【付与】は鍛治師の中では有名な技術のようだ。
剣士にとっての剣技のような感じだろうか。
【仙器化】は【付与】を源流として生まれた技術なのだろう。
グルテールで師範が【仙器化】を見せてはいけないと言っていたのは、鍛冶という過程を経ることなく付与を行う技術が特異であるからなのだろうと、今更理解した。
しかし、店にあったあの剣には『頑強』だけが付与されていた。
あれだけでは蟲を数体斬るだけで剣は溶けて朽ちる。
これは、一度確かめる必要があるだろう。
◆◆◆◆
新しい瓶を発注した俺は、その後、フィルスに近場の洞穴へと続く横穴を教えてもらってから、蟲の洞穴の中へと潜り込んだ。
その時に、孤児たちの分け前である5枚の銀貨を渡したのだが、当のフィルスは意外と嬉しそうに見えなかった。そもそも彼は銀貨の価値を理解していなかった。
しかし、銅貨については理解していたようで、銀貨1枚が銅貨100枚に変わることを告げると、100という数字の大きさが分からないのか、訝しげな表情を見せていた。
他の洞穴よりも前から存在するせいか、下側は岩が削れて表面が滑らかになっていた。
意識を
例え靴を履いていようとも、足の裏から伝わる温度や、靴と地面の摩擦によって生じた熱が、かなりの時間その場に残る。風の吹いていない穴の中なら特にだ。
俺は足元に引力を発生させる【猿歩】を使って、壁を歩き始める。
壁面には岩が飛び出してきているような場所がいくつもあり、隠れるには向いていた。
そうして丁度良い突起を天井に見つけると、尻尾を巻き付けて気術を切って気配をゼロに抑えて息を潜める。
「——で———」
複数の人間の話す声が近付いてくる。
感知した気配から、その人数が三人であることも分かっている。
曲がり角から、カンテラの光と共に三人の剣士がやって来た。
年齢は14、5歳辺りの人族だった。
「お前さぁ、どうするつもりなん?今年で三年目だろ?今年までに結果出さなきゃ勘当だったっけ?」
「……そうだよ」
主に二人の少年が話し、もう一人の少女は会話に入りたそうにチラチラと二人の方を見ている。
「へぇ……それで、表目録はいくつ修めてんだ?」
「……8つ」
「裏は?」
「……【剣気】と【闘気】だけ」
裏というのは裏目録のことだろう。
聖剣流には表目録と裏目録の二つがあることは知っている。
名前からして裏目録に気を用いる剣技が含まれているのだろう。
「ウチは27個!!」
「空気の読めない女はお口にチャックだ」
「お口にチャック了解!」
罵倒されているにも関わらず、少女は嬉しそうだった。リーダーらしき少年の方も本気で彼女を嫌ってはいないようだった。
「もし……勘当されたら、ウチに来いよ。お前、剣技はまあまあだけど、実力は有るし、護衛は務まんだろ」
「……え、嫌だ。護衛をするなら可愛い女の子が良い」
陰気な少年はリーダーの少年に反抗するように言った。
「お前……俺はお前のためを思……」
リーダーの少年が絞り出すように何かを言おうとした瞬間に蟲の足音が聞こえ、三人は手に持った剣を構える。
現れたのは、体高が人の高さ程もある大きなカマキリ。
「構えろ!
巨大なカマキリは三人の前で立ち止まると、折りたたんだ自身の鎌を舐める仕草を見せる。
その間も無機質な複眼が三人を視界に収める。
どこを見ているか分からない気持ちの悪さを感じる。俺の隠蔽が通用していないように思えるが、こちらに向かってこないことを見るに、通じてはいるのだろう。
剣士達はそれぞれに気を纏う。
さらに追加で剣の周囲に刺々しい気を纏わせた。
それは、剣聖が全身から放っていた気だった。
おそらくはあれが【剣気】と呼ばれるものだろう。
その効果は直ぐに分かった。
正しく曲線を描きながらも左右へのブレなく振り下ろされた剣は、カマキリの腕を切り落とす。
三人の中で最も劣っているように見えた陰気な少年でさえも、カマキリの甲殻を斬る手段を持っているのか。
腕の断面から吹き出した緑色の血液を、陰気な少年が避けて後退するとその後ろから残りの二人が飛び出し、リーダーの少年は鎌の落とされた方の足を切り落とし、反対側の少女は鎌を受け止める力を利用して腹部を切り落とした。
最後に陰気な少年が首から胸の辺りまでを真っ二つにすると、カマキリは体の動きを止めた。
「……蟲が集まってくる前に、鎌だけ持って帰るか」
カマキリ……
それに、末端の部位であれば垂れる血液はそこまで気にならない。
再び刺々しい気、【剣気】を纏うと、足で抑えつけた鎌を切り落とした。
やはり、剣には血液の付着は見られない。
【剣気】は切断力の強化だけではなく、剣自体の保護も行っているのだと分かった。
これが『頑強』だけが付与された剣で、蟲と戦える理由だろう。
里で教えられる、糸のように圧縮した気を刃に纏う技術だと、刃の切断能力はかなり上がるが、血液によるナイフの劣化は防げない。
おそらく、赤い血液が流れる者を相手として想定しているか否かの違いだろう。
切断力に関しては、里の技術の方が上に見える。
少年たちの纏っていた程度の密度の【剣気】では竜人娘の皮膚に傷を付けることも出来ないだろうし、下手をすれば全力で【硬気】を纏った俺でも一撃くらいは防御できる。
思考に没頭しているうちに、気付けば剣士達は居なくなっていた。
俺は剣士達が最後に言っていた『死骸に蟲が集まってくる』のを確かめるために、彼らが去った後もその場に止まる。
フィルス達が血液を集めていたのは、このタイミングの蟲の死骸なのだろう。
早過ぎれば剣士に遭遇して斬り殺され、遅過ぎれば死骸に集まってきた別の蟲に食い殺される。彼らが気配に敏感な理由が分かった。
数分でまずは小さな蟲がやってきた。
フィルスがオニグモと呼んでいた種類のものだ。
その中でもさらに小さめのサイズだ。地球での知識が正しいなら、脱皮の回数が少ない個体ということか。
血の匂いに引き寄せられてやってきたのかと思ったが、オニグモ達は
さらに後からやって来たバッタやカマキリも洞穴内部を跳ね回るだけ。
まるで、
死体からフェロモンでも漏れ出しているのか。
この予想は正しい気がする。
同時に、蟲全体の厄介さが実感できた。
彼らは別種ではあるものの複数種類が同時に居ても敵対しない上に、群れを相手にすると全てを殺しきる前に増援が来る性質を持っている。
さらに蟲の巣穴は現在も拡張し続けている。
これでは最奥など拝めるはずもない、か。
「……」
俺が隠れている場所の直ぐ隣に、運悪くバッタが着地した。
無機質な複眼にハッキリと俺が反射している。
「……ギッ」
取り出した杭で、瞬時に脳と神経を貫いたが、串刺しになったバッタの体が百匹近く群がった蟲の中に、ポトリと、落ちた。
直ぐ側に居た蟲が何かを探す。
「ギチちチ」
初めて、複眼と目が合ったと実感した。
「ギチチ」「ジゅ、ジャ」「ギチギチ」「チュギ」「ギュチィ」「チュギュウ」「チキチキ」「キキキ」「ガチっ」「ギュチャァ」「ジュウ」「ギュチ」「ギギギギ」「ジュ、キチ」「ヂギヂぎ」「ヂュギ」「ジィいイ」「ジュカ」「カチかチ」「ジュウ」「きチチチキ」「ぢぢぢ」「ジジジぎ」「ジュキィ」「ギイいい」「ジキジキ」「ギチョ」「ジカか」「ジヂぢヂ」「ぢぢぢぢぢ」「ぶぶ」「カヂぢジュ」「ギチチ」「チキチキ」「ぎぢぢぢ」「ヂキ」「ぢギュ」「ヂギヂぎ」「ギュチャァ」「キキキ」「ジヂぢヂ」「ジュウ」「ジキジキ」「ぶぶ」「ぶぶぶぶ」「ジュ、キチ」「ヂュギ」「ジィいイ」「ジュカ」「カチかチ」「ジュウ」
百匹を超える蟲の、甲殻が擦れるような音が洞窟内に響く。
これは、少し不味いか。
諦めたように気を纏う。
次いで、洞穴の壁面の影を持ち上げて、そこに張り付いて居た蟲を刺し貫いて落とす。
洞穴の中は、その全てが影であり、俺の領域だ。
特に、明かりを持たない蟲はまな板の上の鯉に等しい。
それでも、洞穴の奥から聞こえてくる蟲の足音が俺の不安を掻き立てる。
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第96話『息が詰まるほど』
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