第95話『渡る世間に鬼はない』

「……お疲れ様。演技、上手だったよ」


 建物の上から滑るように降りた俺は、労いの言葉をエンにかけた。


「疲れてはいないけれど、両方私がやる必要があったの?」


 両方、というのは俺達が用意した蟲の血液を商人と交換する役割と、ブルート達に商人の代理を名乗って金を渡す役割の事だろう。


「出来る人が居なかったからね」


 実はウェンでも俺でも片方なら出来るが、ウェンは情報収集に使いたいし、俺は俺で同じ時間には別のことをしている。

 エンの視線を躱しながら、彼女の手元にある財布がわりの袋を覗き見ると、彼女はこちらの意図を察して袋を広げながら中身を数える。


「残ったのは金貨が2枚と、銀貨が……10枚くらいね」


 袋を受け取ると見た目から想像したよりもずっと重い。

 この国の貨幣は主に金貨、銀貨、銅貨で回っている。


 銅貨は日用品や食事などの時に主に使われ、銀貨は服や仕事道具などに対して使われる。その上の金貨までなると家や土地の買い物で使われる程度の価値がある。


 前世の感覚に照らし合わせると、数十万から百万ほどの価値がある。

 随分と楽な商売だと思ったが、ここから瓶の分の費用や、その損失のリスクを照らし合わせると必ずしも利益が出るわけではないのだろう。


 今回に限っては9本の瓶全てに俺が血を注ぎ込んだので、失われた瓶の数はゼロだった。

 それに瓶も全て、ブルートの組織から奪ったものなので瓶もタダで手に入れたようなものだ。


 俺は袋の中から金貨二枚を掴んでポケットに入れた。

 エンが眉を顰める。


「必要経費だよ」


 実際、瓶の作成にこれは使うつもりだった。

 

「そうなのね……気になっていたけど、それは何なの?」


 今度はエンが俺の背後を指差した。


「レポートだよ」


 エルドリック氏が外に出ている間、彼の研究室の中を物色していた。

 もちろん痕跡一つ残っておらず、俺が持っているものも目ぼしい情報を模写したものだ。


「見せて?」

「……これはエンには必要ないよ」


 どう説得されてもこれは見せられない。

 文字を教えるのとは訳が違う。


「だめ?」

「無理だよ」

「そう……」


 笑顔のまま、頑なな態度で断るとエンは特に食い下がることは無かった。

 感情の色にも彼女に執着は見て取れない。


 しかし、彼女のこれまでの行動からして、俺が居ない間に勝手に覗き見るだろうな。

 俺は彼女に釘を刺すことなく話を進める。


「残った銀貨10枚を利益として配分しよう。食事に使おうか」

「足りるかしら?」


 エンの言葉で、彼女が貨幣の価値を理解していないことに気づいた。

 この街の食事は前の街と比べると多少高いが、それでも銅貨10枚で十分賄える。


 銀貨は100枚の銅貨と同じ価値を持つ。

 銀貨一枚で一人の一週間分の食事代には足りる。


 取り敢えずエンが致命的な失敗を犯す前に指摘する。


「もしも、一食で銅貨10枚以上を要求されたらそこでは食べてはいけないよ」


 これでは悪質な店と高級な店を見分ける事は出来ないが、今の俺たちにとっては美食も必要無いものだろう。

 肉を頬張る竜人娘レンゲの様子が思い出されたが、彼女も肉の細かい味などどうせ分からない。


「明日になったら、俺達の人数分……5枚を引いて、後はフィルスに渡そう」

「そうね、必要だものね」


 フィルスだけで銀貨5枚を得るにもかかわらず、エンが反論をしなかったのは、瓶を得るためにフィルスが子供達を引き抜いたからだろう。


 ブルートの横穴に潜っていく子供達にフィルスが語りかけ、俺やフィルスと同じように横穴の横穴から街に戻り、瓶を回収したのだ。

 フィルスには残った子供達に利益が与えられることを説明させ、今は初めの拠点に集まっている。


 彼にはこのまま孤児達の引き抜きと、彼らの統率を任せることになるだろう。

 幸いなことにフィルスは孤児達の中でも年長の方で、彼の言うことに逆らう子供は少ない。

 フィルスが孤児を率いている、という形を暫くは維持する。


 そうすれば俺達の隠れ蓑にはなるだろう。

 

「明日は、聖剣機関の調査の続きをするわ」

「今度の取引は……5日後かな。またよろしくね」


「あなた……面倒な事だけ私に任せてない?」


 説明が少なすぎたことでエンに不信感を抱かれているようだった。

 確かに、俺だけがエルドリックから薬学についての情報を得て、エンが交渉によって得た利益は全員で折半というのは、彼女の視点からすると気持ちの良いものではない。

 彼女は喜怒哀楽をあまり表に出さないが、人に利用されるのには怒りを見せるところがあった。


「そうなってるのは申し訳ないと思ってる。ただ、他の子達にも同じように任せている仕事はある。デイズにもウェンにも……竜人娘レンゲにもね」


 例えば、デイズにはブルート達大人の行動を探って貰ったし、交渉の時には眠らせてエンが鉢合わせしないように尽力した。

 ウェンは今の時間も情報収集に駆けずっている。

 竜人娘レンゲも、あの後になんとかして捕まえて、フィルスの横穴全体を仙器化によって補強して貰っている。


 そして俺の方も、ウェンと協力してエルドリックが交渉先であることを突き止め、ボロが出ないようにエンにその情報を共有している。


「俺は全員の適正に従って割り振っているつもりだよ」

「でも……指揮なら、私だって出来るわ」


 なるほど、彼女の本心はそこにあったのだろうか。


「俺よりも上手く出来ると?」

「それは、分からないけれど……」


 彼女は気勢を削がれ、言葉尻が小さくなった。

 経験を積まなければ、指揮の自信なんてつく事は無いから、今の時点で自信が有る方が俺は怖い。

 きっと目端の効く彼女ならば、いずれ上手く指揮出来るようになる。


 だが、その練習は俺の居ない所でやって欲しい。


「もしかして、賢ければ誰が指揮しても同じだと思ってる?……エン、外に来て気が抜けているんじゃ無いか?」

「そんなことは……」


「指揮っていうのは、言葉一つに命を預けるんだよ。君の言葉にウェンは命を懸けてくれるか?デイズは?竜人娘レンゲは?……少なくとも俺は、君の指揮に命を任せられない。だって、自分より指揮能力に劣る相手の指示を聞く必要は無いよね?」

「……っ」


 エンは反論しない。

 つまり、問題はエンと他の三名の間に信頼関係が築かれていないことだ。

 この信頼関係というのは、人格的な認め合いではなく、指揮する側の能力に対する信頼だ。例え実際の能力が伴っていなくても『コイツの言う事なら間違ってはいないか』と思ってさえいれば良い。

 

 この点で言えば、里外任務を成功に導いた俺の指揮能力には一定の信頼が置かれている。


 そういった理屈の部分を抜きにしても、エンに任せるつもりは無い。

 いざという時に他の子供達を切り捨てて生き延びるには、リーダーや指揮という立場は都合が良いからだ。

 だから、絶対に手放すつもりは無い。


 エンは静かに俯いている。


「……だけど、子供達の中で俺の代わりに指揮を任せるとしたらエンしか居ないとも思っている」

「慰めなくとも、手を抜くつもりは無いわ」


 感情でパフォーマンスを損なうようなら里で順位を保つことなど出来なかっただろう。


「……エンは里の中で、一番観察力に優れた子供だと俺は思ってるよ」

「私はあなたを、里一番の嘘つきだと思っているわ」


「それなのに、俺の指揮は信じるんだ?」


 俺は薄く笑って見せる。

 馬鹿にされたと思ったのか、珍しくエンの感情が怒りで揺れた。


「……何が言いたいの」

「指揮する立場から見て思うよ。君はもっと、自分の価値を理解した方が良い」


 エンは一度目を丸くした。

 そして、少し考えた後、俺を静止するように手のひらを向けた。


「もうやめて……あなたの言葉を、これ以上聞いてはいけない気がする」


 まるで、悪魔か何かを相手にするような物言いだ。

 俺も素直に引き下がる。


「そっか……指示については、伝えた通りによろしくね」

「えぇ、分かっているわ」


 彼女の気分は先程よりも持ち直しているようだった。

 これで、問題は無しだ。




 ◆◆◆◆




「冷やかしなら帰れ、カス。ハゲタコ坊主、コラ、尻尾引きちぎってやろうか、コラ」


 街にある鍛冶屋の一つの前に立って、開店するのを待っていると、いきなり攻撃的な言葉をかけられた。

 声の方を振り返ると盛り上がった筋肉を持った壮年の土人族ドワーフが無表情で佇んでいる。

 俺が面食らっていると、店の中から人族の青年が飛び出してきて、鍛冶の道具らしき鉄の箸で土人族ドワーフの後頭部を叩いた。


「あんたは、子供相手に何喧嘩売ってんだ!!ハゲはお前だろうが!」

「お、グォおおお!!俺様の頭が、割れるっ!」


 土人族ドワーフの男は自分の頭から流れる血液を見て、震える声で叫んだ。


「全く、いくらなんでも大人気ない」


 ため息を吐いた青年は土人族ドワーフの男の襟首を掴んで店の中に引き戻そうとする。


 俺は彼らを呼び止めるために声を張った。


「あの、作って欲しいものがあるんですが!」

「蛇の依頼なんか、お断りだ!!!」

「黙ってろハゲ……それで、依頼とのことですが……」


 どうやら交渉の窓口は青年の方らしい。

 彼は俺に疑いの目を向けている。俺がチラリと金貨を見せると、一瞬目を見開いて、直ぐに平静を取り繕う。


「……っ、話は奥の方で聞きます」


 店頭の札を『準備中』に切り替えて店の中へと案内される。



「先程は申し訳ありませんでした!」

「いえ……少々、驚きはしましたが、気にしないでください」


 平謝りする青年を宥めるように掌を向ける。


「以前彼は、街を代表する工房の一つを運営していたんですが……元工房長、先ほどの鍛治師ですが……彼の妻が工房の金を持って蛇人族の男と駆け落ちして……」

「はぁ、そうですか……」


「その次に、投資家を名乗る蛇人族の男が現れて『奪われた分も取り返せる』といってお金を要求して……その後に雲隠れを……」

「ふむふむ」


「更には、いつの間にか工房を不倫した蛇人族の男に無償で譲ることになっていて……」

「……」


 そこまで行くと、逆に土人族ドワーフの男が悪いんじゃないかと思ってしまう程のやられっぷりだった。


「そういう訳で、彼は蛇人族に偏見があるのです。もちろん……私の方も」


 どうやら、子供相手でも警戒心を抱くほどに散々な目に遭ったらしい。

 それでも追い返すのは、商売人としてのプライドが許さないのか。


「すみません、このような事を言ってしまい……それでご依頼というのは?」

「『瓶』を売ってくれませんか?」


 俺の言葉に対して、青年の笑顔が固まった。


「瓶が欲しいなら、ガラス専門の工房があるので、そちらに頼めば良いと思いますが……」

「どうしてもこちらで買いたいんです。これで何本用意できますか?」


 そう言って、金貨を一枚机の真ん中に置いた。

 ブルートの組織は蟲の酸に耐える瓶の一部はこの店から取り寄せていた。

 それが後ろ暗い目的で使うものとは知りつつも、貧困に喘ぐ工房は依頼を受けざるを得なかったのだろう。


「こんなものを渡されても、困ります……これ以上関わりを持ちたく無いんです」

「……そうですか。なら、最後に話だけでも聞いてください」


 そう言うと、俺は一つの瓶を懐から取り出し、金貨の隣に置いた。


「蟲の血です」

「……だから、なんですか」


「これをどうやって集めているか、知っていますか?」

「それは、横穴に入って……?」


 俺は彼の言葉に大きく頷く。どうやら彼は、その存在を知っているようだ。

 しかし、質問の意図は理解していないようだった。


「そうですね。でも、横穴って凄く小さいんです。それこそ子供でも窮屈なくらい小さくて、大人は入れない。……なら、どうするか分かりますよね」

「……こ、子供に?」


 分かりやすく、口角を上げて彼の言葉を肯定する。


「横穴を抜けた子供は、そこで蟲の死骸を探すそうです。特に聖剣機関が取りこぼしたものを見つけると運が良い。逆に生きたものと遭遇してしまったら、一番小さいものが相手でも、体を溶かされて死にます」

「……っ」


 青年は息を呑む。


「一度目の潜入で帰ってくる割合は半分。五度目まで生き残っているのはさらにその半分。彼らは大人たちに『ヒル』と呼んで嘲られ。そして、報酬は一度でパン一つか二つ。死ねば大人達は瓶の損失としてのみ記録する。……一つ聞きますが、子供がカビの生えたパンで飢えを凌いでいる時、あなたは何を食べてましたか?」


 淡々と、彼が何に関わっていたのか理解させる。


「『もう関わりを持ちたくない』?あなたたちはこれ以上無いほど、子供の死の流れの中心に居る」

「なら、それこそもう『瓶』を提供することはできません!」


 脅し過ぎたらしい。

 俺は仕切り直すように声のトーンを下げる。


「俺達は今、大人たちの支配下から離れ、自分達だけで横穴に潜る方法を手にしました。危険なのは変わりません。それでも、せめてその日の食事を楽しみに生きるためには、あなたたちの協力が要るんですっ。どうか……お願いします……!」


 机に額が付きそうな程に頭を下げる。

 善意に問いかけるのは正解だったようで、彼の懊悩を示すように呻き声がずっと部屋の中に響いていたが、最終的には力が抜けたように息を吐いた。


「…………っはぁ、分かりました」



 俺は俯いたまま、小さく口角をあげた。


「……ありがとうございます」




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第95話『渡る世間に鬼はない』



真摯な態度って人に伝わるんだなぁ。

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