第94話『釣果』

 エルドリックは勤勉な商人であり、同時に薬師であった。

 父から受け継いだ基盤を受け継いで商会を大きくする傍らで、薬師としての研究を続け、蟲の血液の大部分を占める酸に、複数の薬剤を溶かす事で歪に合成させる性質がある事を発見した。

 もちろん、そのままでは蟲の酸の作用が強いので合成の後には、独自に見つけた中和方法を用いて酸を消せば合成させた薬が残る。


 似たような性質を持つ酸は確かに多いが、蟲の酸はその数が桁違いだった。

 今のところ、合成できない薬の方が種類が少ない位だった。


 これはある意味、薬学において火と同等以上の発見である。

 蟲の酸によって合成可能となる物質が数倍で効かない数増える。


 彼はこの方法によって、これまでのものとは作用機序の全く異なる革新的な毒を作り出した。


 それが持つ影響力はかなり大きい。

 強烈な毒だと毒見に気付かれるが、毒性の強さを操作すれば、対象を徐々に死にいたらしめることができる。


 対処できない毒というのは、それだけで絶大な力だ。


 勿論、彼は同時に自分の作った毒に対応する解毒薬も作った。

 実は解毒薬を作る過程はそれほど難しくは無い。

 合成に使ったそれぞれの毒の解毒薬を、同じ順番で合成すれば自動的に合成毒の解毒薬となるのだ。



 そうして、彼は絶対に防げない毒と、それを防ぐ薬とを作って売り出した。

 彼が商人として築き上げた基盤もあり、毒と薬は後ろ暗い者たちに飛ぶように売れた。

 自分しかレシピを知らないという絶対的な秘匿性により、後追いが現れることもない独占状態だった。

 蟲の酸を手に入れるために、リドウルビスに住んでいるのも、人嫌いという性格が相まってカモフラージュになっていた。


「血液を使ってできる実験も、この辺りが限界ですね」


 今度は蟲の血液ではなく、死体本体が欲しいところだったが、蟲の素材は聖剣機関と国の間でのみ取引され商人は出来上がった製品を買うか運ぶ事でしか関われない。


 彼はこの国一番の研究者である自負があった。

 蟲の酸が持つ作用も国は発見できていない。きっと自分の方が上手く蟲の素材を扱えると思っていた。


「……ふぅー」


 ガリガリと紙に書き殴る手を止めて、眼鏡を机の上に置いて強く目蓋を閉じた。

 眠気に抗うように頭にかかる重みに耐えていると、窓一つ無い地下室に風が吹いた。


「……ん?」


 部屋の中には何も無い。

 寝ぼけていたせいだろうかと、思ったが机の上にあった紙が少しズレている。


 上を見て、あぁと納得する。


「通気孔から風が入ったんですかね」


 そういうこともあるだろうと、勝手に納得する。

 柱に立て掛けられた時計を見ると、『取引』の時間が迫っていた。


 彼はローブに腕を通すと、地下室の階段を上がって行った。


「今から外に出ます。ガーラント、護衛をお願いします」

「もちろんでさぁ、旦那」


 地下室の扉の横には、短槍を携えた犬人族の男が立っていた。

 彼は聖剣機関とは何の関わりも持たない、この街が出身の男だ。


 聖剣機関がリドウルビスの洞穴の利権を手に入れるより前に、蟲殺しを生業としていた一族の末裔だ。

 彼の一族が培ってきた技術を彼は傭兵のような仕事に使っているが、エルドリックとは半分友人のような長い付き合いだった。


 信頼できる護衛だけを連れた彼は、夜の街に繰り出す。



「は……ふぅ」


 運動不足の体では、少しの散歩でも息が上がる。

 夜でも生暖かい風を浴びながら街を下っていくと、寂れた区画に行き着く。

 中央からなだらかに下がる地形が無ければ、似通った構造が続く街並みはいつ迷子になってもおかしく無い。


 最後の角を曲がったところで、エルドリックは訝しげな表情を浮かべた。


「……おかしいですね」


 いつもならば、そこに取引相手がいる筈だった。

 しかしこの時は、見覚えの無い少女が立っていた。黒髪に青い瞳のおそらくは人族の少女。

 身なりは孤児とも貴族でもない、活発な平民の子供らしいものだった。


 彼女はエルドリックの姿を認めると、大きな袋を掲げるとこちらに呼びかけてくる。袋の中からはガラスが擦れる音がした。


「エルドリック様」


 エルドリックは自身の名前を知っている少女に警戒を引き上がる。

 彼は護衛を視界の隅で確認した後、商人らしい朗らかな笑顔を作った。


「ランドガーからの使いですか?」

「……いえ?……私はブルートの代理ですけど……」


 少女は不安そうな表情を見せた。

 エルドリックは自分の予想とは違う反応が返ってきた事に困惑したが、それを表情に出すような不手際は犯さない。


「あぁ、そうでした。名前を間違えてしまい、本当に申し訳ない」


 誘導にも引っかからなかったということは、本当に取引相手の代理だと判断して良いはずだ。


 しかし、エルドリックは彼女の立ち居振る舞いから違和感を抱いていた。

 初めは取引相手と比べて行儀が良いことだと思った。

 この街において子供は裕福か飢える直前の孤児かの二択だ。だからこそ彼女のような普通の子供は珍しい。


 だが間近に来てみると、違和感の正体に気付いた。

 少女は先ほどからずっと視線を外していない。

 相手の価値や考えを見透かそうとするような視線は、平民よりもむしろ商人のものに近いとエルドリックは好感を抱き、口角を引き上げた。


「それで、例の品は?」

「用意しています」


 少女は袋の中を弄って瓶を取り出した。

 ガラスの音がしていたから、持ってきていることは予測していた。


「こちらです」


 少女が近づいてきて、その瓶をエルドリックに手渡す。


「……ふむ、明かりをお願いします」

「あいよ」


 護衛の男がランタンを掲げると、瓶の中の液体が揺らされる。


「今回は塵が少ないですね」


 今までであれば、一度地面に落ちたものも拾い集めているせいで炭のような浮遊物が混じっていたのだが今回はそれが無かった。

 加えて瓶を揺らしてみると分かるが、粘性が強かった。

 どうやらいつものように量を水増ししているわけでも無い。


 取引相手は煮沸すれば水分は飛ぶということに気付いていない筈なので、余程効率の良い方法でも見つけたのかとエルドリックは当たりを付けた。


「今回は質が良いようですね。方法でも変えましたか?」


 蟲の洞穴は危険な場所だ。

 取引相手は腕っ節に自信があるようだから、街から離れた穴から秘密裏に入っているのだろうと初めは予想していたが、洞穴に詳しい護衛によると街の外はかなり厳しい環境であるということが分かった。通過するだけならまだしも、そこで継続的に活動するのは危険らしい。

 急に自分のいる場所に穴が空く可能性があるそうだ。


 そこで取引相手について調べてみるとどうやら街の地面に穴を開けて、洞穴と繋げていることが分かった。

 それはこの街において、殺人以上の大罪だった。

 もしも破れば、三親等に渡って火炙りにされる程の罰を受けるらしい。

 エルドリックは恐ろしく思いながらも、自身が関知することは無いと放っておいた。


「秘密です」

「それは……残念です」


 少女は薄く笑って唇の前に指を立てる。

 自分の食い扶持が減るようなことはしないかと、エルドリックは追求を行わなかった。


「では、瓶一つにつき金貨1枚とおまけに銀貨を10枚を付けましょう。銀貨の方は次回の袋代ということでお願いします」


 追加の銀貨は質の高い蟲の血液への対価だ。

 少女は10本近くあるとは言っても小さな瓶に対しては大きめの袋を見下ろして、眉尻を下げた。


「袋……今度はもっと丁度良いサイズを用意しておきますね。次もよろしくお願いします」


 少女は袋ごとエルドリックに渡し、対価に受け取った金貨と銀貨を腰の袋に収めた。

 小さな商人は最後にペコリと頭を下げると、暗い闇の中に消えていく。

 建物にでも入ったのか、硬貨が擦れる音は直ぐに聞こえなくなった。


「ガーラント、どうかしましたか?何か、でもしました?」


 少女が消えていった闇の方から視線を動かさない護衛の様子をエルドリックは訝しんだ。


「いや……」


 彼は純血の犬人族では無く、他の種族の血も混ざっている。

 リドウルビスという街は蟲という敵がいたせいか、異種族間でも親交が深く、混血が進んだ過去がある。

 エルドリックが護衛としているこの男は、おそらく臭い以外の何かを嗅ぎ分ける能力があるのだと確信していた。

 当の本人はそれを臭いだと言って憚らない。


「今日は鼻が詰まってるなぁ。なんにも分からないすわぁ」


 ガーラントは戯けるように言った。

 

「……ならば、帰りますよ」


 余計な心配をさせられたと、エルドリックは溜息を吐く。

 彼の思考は研究の続きを進める事で一杯だった。




◆◆◆◆




「……ぁ、やべ!?眠ってたか」


 建物の壁を背にして眠っていた男は、意識が覚醒すると焦りの声を上げる

 ズキズキと頭が痛む、二日酔いの後のように具合が悪かった。


「っもしかして」


 男は思い出したように立ち上がり、自身の服を弄ると、懐から袋を取り出した。


「あー、蟲の血は盗られてねえなぁ。ヒヤヒヤさせやがってよ」


 眠っていたのは自分であるにも関わらず、誰かに向かって文句を垂れる男は予定通り『取引』の場所へ向かう。

 既に相手は帰っているかもしれない、という最悪の状況が普通は頭に浮かぶものだが楽観的な男は無意識的にその可能性を排除した。


 事実、取引の相手はその場に居た。


「ンァ?」


 しかし、相手は子供に変わっていた。


「こんばんは、エルドリックの使いです。主人は現在体調が優れぬようでして……今回からはわたくしが代理となります」


 黒髪に青い瞳の少女は恭しく頭を下げた。

 服装は平素なものだが、立ち居振る舞いは商人の丁稚らしいものを感じ、男は彼女が取引の相手だと疑うことは無かった。

 例え彼女が偽物であっても、取引が行われるならば、彼が気にするところでは無かった。下手に藪を突いて取引が破綻となれば、吊し上げられるのは彼だ。


「ふぅん」


 相手が少女と知って男の態度は露骨に大きくなった。

 彼は自分の懐から瓶を袋ごと取り出すと、それを足元へと雑に放り投げた。

 蟲の血液の保管に使っている瓶は混ぜものをしている影響で多少は丈夫ではあるものの、そのような扱いをすれば割れてもおかしくは無い。

 

「おい、これが今回の瓶な」

「……確認しますね」


 そう言って少女が目の前に座り込んで、袋を持ち上げようとすると、男は袋の端の方を踏みつけて邪魔をする。

 少女は愛想笑いのまま男の方を見上げる。


「……あの」

「早くしろって」


 邪魔をされながら、やっとの事で瓶を一つ取り出した彼女は瓶を揺らしながら中身に目を凝らしていた。

 男はその様子を『商人ごっこ』をしていると心の中で断じた。


 子供に何が分かるのか。


 子供を下に見る思考の背景には、彼が普段子供を使うのに慣れすぎていることが関係していた。


 片目で揺れる液体を見上げていた少女は最後に


「……なるほど」


 と呟く。

 商人が言っていたように、液体の中にはチリが紛れ込んでいた。


「……分かりました。1本につき金貨1枚で買い取りいたします」

「なら8枚な」


 やっと足を外れたことで、少女は袋を持ち上げて中身を見る。


「あの……7本しかありませんので、渡せる金貨は7枚です」

「はぁ!?数も数えられないとか、バカだろ……あ、そっか」


 男は何かを思い出したように言って、そのまま掌を差し出した。


「金貨」

「7枚で良いですか?」


 自身の言葉を訂正しないのは彼のプライドが邪魔をしたからだろう。

 少女が確かめるように尋ねると、男は顔を真っ赤にした。


「それで良いっつってんだろうが!」


 怒声を上げて、彼女の直ぐ横の壁を殴りつける。


「……」


 少女はその様子を不思議そうに見つめていた。


「このっ……」


 まるで柵の向こうから物珍しい生物を観察するような表情がさらに彼の怒りを助長するが、この相手が商人の使いであることを思い出して、力の籠もった右手をゆっくりと下ろす。


「金貨……7枚」

「はい、こちらですね」


 少女から金貨を引ったくるように受け取ると、さっさと男は去っていった。

 少女は愛想笑いのまま手を振って男を見送る。


「今後は一刻ほど、取引の時間を遅らせるのでお願いしますね」


 聞こえたか分からないが少女は一応、男の背中に声をかけた。


 男が見えなくなると、少女の顔から笑顔がストンと消え失せる。



「………………はぁ、いつまで見ているの、コクヨウ」

「……お疲れ様。演技、上手だったよ」


 建物の上から滑るように降りてきた少年は、労いの言葉を少女エンにかけた。




————————————————————

第94話『釣果』



 これ、やってることまんまフィッシング詐欺だなぁ。


 そういえば、物語に『蟲の酸』が登場するので思い出しましたが、私は『硫の酸』が顔にかかったことがあります。濃い奴です。本当に微量だったので何一つ痕は残っていませんが、常温なのに熱く感じた記憶が有ります。


 皆さんも酸にはお気を付けて。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る