第93話『反旗』


「しくじった……」


 体から痛みが抜けて動けるようになった頃、汚染された俺の思考も冷静を取り戻した。

 気管に何かが入って反射的に咽せる。


「ケホッ」


 咳と共に血の混ざった痰が目の前の地面に落ちた。口の中を怪我したようだ。


 そんな怪我よりも失った信用の方が、余りにも大き過ぎた。


 俺が風になった理由を挙げるとすれば、グルテールで見たウェンと竜人娘レンゲとの会話によって嫉妬心があったことに加え、デイズが俺の索敵を抜ける隠密能力を見せたことで、死に対する不安を煽られたことが引き金となったようだ。


 動物だって、生きるためにもっと上手く感情を制御する。



「……反省は今じゃないか」


 気を纏い直す。

 自然治癒力を上げる緑色の気、名付けるならば【癒気】とでもなるだろうか。

 蜘蛛の巣のような亀裂の入った壁の横から家の外に出る。



 そのまま直ぐ俺が掘った横穴のある家に入ると、土臭い部屋を抜けて、フィルスを見つける。

 未だ眠っている彼に呆れながら、彼の横腹を足で突くと薄く目を開いた彼が丸まった背中を真っ直ぐにして起き上がった。


 こういう環境にいる子供は眠りが浅くなるものだと思っていたが、他とは違って奪われるものが持たないために警戒する必要も無いのかもしれない。


 胡座をかいた姿勢になった彼は腕を大きく上に伸ばす。

 遅れて瞼が開き、そこでやっと俺の存在に気づいた。


「……ぅあ。おお、ヘビ野郎……じゃなかった、アレックスか」

「おはよう。今日は横穴には潜らないのかな?」


 フィルスは自身の腹に視線を下ろすと、頬を緩める。


「今は、腹減って無いからな。今日は寝るか」


 その思考は理解に苦しむ。

 おそらくは今の彼の在り方こそが、これまで彼がここで生き残ってこれた理由で、そして彼がこれからもここから出られない理由だろう。


「今行けば」

「?」


「これから飢えずに済む位のパンを手に入れられるなら、どうする?」

「……あっそ」


 フィルスは俺の言葉を嘘と断じたようで、横になる。

 俺は彼の後ろ姿を見る。

 おそらくはあの横穴を使い続けたために歪んだ骨格に、確信を得た。


「横穴を使う大人は居ないね」

「狭いからな」


 随分とぶっきらぼうに答えるフィルス。

 どうやらこの話題は好きでは無いらしい。


「フィルスが横道を通れるのは、いつまでだろうね?」


 初めて彼を見た時、彼は俺達と同じか少し上くらいだと思っていた。

 しかし、長時間狭い穴の中を動き続ける生活や、彼の栄養状態を考えるともう少し上なのかもしれない。

 もうそろそろ、穴に入ることすら出来なくなる時が来るだろう。


「……うるせえよ」


 その事を遠回しに揶揄すると、彼は肩越しに振り返りながら低い声で口に出した。フィルスの瞳に見覚えのある暗い色が宿る。


 俺は竜人娘レンゲに殴られたときの汚れを拭い、フィルスへの興味が薄れたように振る舞う。


「多分、半年くらいだろうね」

「アレックス、お前……」


 怒りを放つフィルスが床に手を着いて起き上がる。


「てめっ」


 飛び掛かってきたフィルスの腕が俺の襟元を掴む。

 俺は彼に理解させるために敢えて避けなかった。


「……お前に何が分かっ……」


 彼の手首を軽く握りしめると、簡単に彼の手は開かれてしまう。

 寧ろ腕の骨を折ってしまわないように手加減する方が難しい。


「……ぁ、ぐぁ」


 彼は呻きながら、膝に力を入れるのもままならずにへたり込んだ。


「……はな、せ」


 もう一度、口に出す。

 

 一年の長さが前世と変わらないこの世界で、半年と言えば200日弱。

 指折り数えるには多く、忘れて眠るにはあまりにも短い時間。


「それが君のだよ」


 フィルスが目を見開く。

 この街において彼が取った戦略は短期的には間違ってはいない。

 不衛生な食事に適応し、あとはひたすらエネルギーの消費を抑える。


 しかしその節約が、彼が生存方法を模索する力さえも奪う。


 さらに体の成長というタイムリミットが見えていたにも関わらず、横穴から得られる食事に依存する生活を送っていた。


「……どうしろって言うんだっ!!!親が死んで!!金も全部周りの大人に奪われて!!それが分かった時にはもうぜんぶ無くなった後だ!なぁ……俺が悪いのか?馬鹿だった俺が……」



 お前が悪い。

 そう言い切るのは簡単だ。

 彼は生き抜くことが難しい巡り合わせだったことは確かだ。


 しかし、彼の命の責任を取るのは彼以外に居ない。


 だから、死ぬとすれば彼が悪い。


 けれど、それを彼に伝えたところで、他人事だから好き勝手言っていると思われるだけだ。


「誰のせいでこうなったか、教えようか?」

「……」


 反応しないフィルスの前で指を立てて見せる。


「大人たちのせいだよ。君の物になる筈だった財産を奪って、今も君から不当に搾取している」

「…………今も?」


 彼が反応を見せた。


「君が命懸けで採取している蟲の血液、あれは多分君が思っている数十倍は価値のある物だよ」


 彼らの身なりや体型からして、この街の平均を大きく上回る豊かな生活をしている。

 違法のものに価値があるのは世の常だ。


「だから、今から俺たちで取り返しに行くんだよ。奪われた、君の価値を」


 人はプラスよりもマイナスに敏感だ。

 運良く手に入れた一万円よりも、不当に奪われた一万円の方に心を揺さぶられる。


「……それとも、これからも奪われ続ける?」


 彼の瞳に強い光が灯った。




◆◆◆◆




「まだ生きてたのかぁ?不潔フィルスゥ」


 俺とフィルスは再び横穴へと潜るために、大人たちの居る建物に向かった。

 どうやらブルートは居ないらしい。


 槍に寄りかかった男が嘲るような表情でフィルスを見下ろす。

 犬か狼の獣人らしきその男は俺の方にもチラリと視線を向けた。


 彼らは優れた嗅覚を持っている。血の匂いにでも気づかれただろうかと思ったが、孤児から血の匂いがしても警戒する必要は無いかと安心する。


「今日も潜りにきた。二人だ」

「そりゃあ、助かる……おい、瓶出せ」


 小さな棚から別の男が瓶を持ってくる。

 槍を持った男はそれを受け取ると、笑いを引っ込める。


「お前が新入りか」

「……ぁぐ」


 小さく頷くと、当然のように腹を殴られる。


「瓶を失くして戻ってきたら、この比じゃないからな?」

「ぅ……はい」


 男は槍の側面を撫でながら、恐怖を煽ろうとする。


 恐らく、これは教育だ。

 瓶が大事なものであると、体に刻み込んでいるのだ。


 地面に蹲ったまま、また頷く。

 そうすると、男が目の前の地面に瓶を立てて置いた。


「初めてにしちゃ、弁えてる方だな。一発で許してやる」


 弁えてる、とはきっと身の程とやらの事だろう。

 ならば、子供の命に頼り、子供達が持ってきたものを掠め取って生きるのが彼らの分際だろう。

 彼ら自身の持つ能力からすれば、随分と上等に見える。


 瓶の先から繋がる鎖の端を持ち上げて、首に掛ける。

 準備が出来たのを見た男たちが、厚い石の蓋を槍を使ったテコで持ち上げる。

 その下から横穴が覗く。


 フィルスは気負いなく先陣を切ってその中に頭から潜り込んだ。

 俺も続けて入り込むと、直ぐに蓋が閉じられて光が入って来なくなる。


 俺たちは黙ったまま、少し進む。

 目的の地点に差し掛かったところでフィルスを制止する。


「そこだよ」

「……ここか?」


 彼は周囲の壁を手で何箇所か押し込むと、石の混じった硬い土の壁が崩れ落ち、その向こうに俺の掘った横穴の横穴が見えた。


「ハッ」


 それを見たフィルスが笑った。


「それで、ここから戻れば、瓶を奪えるってことかよ?」

「うん」


 蟲の血液を回収に行くフリをして瓶だけを持って横穴の横穴から脱出する。

 まずはこれが計画の一つだった。


 当然、彼らからすれば瓶だけを奪われることになるので、発覚すれば殺しに来るだろう。


「これで、後戻りは出来ないよ」

「言われるまでもねえよ」


 感情を見れば、言葉とは裏腹に彼の纏う色は恐怖や不安が占めていた。

 要は強がりだった。


「あいつら、戻って来ない俺達を死んだと思うんだろうな……バカだよなぁ」


 それが楽しくて仕方が無いといった表情を浮かべるフィルスを見て、やはり彼は望んであの状況に甘んじていた訳では無いのだと実感する。


 俺は服の中から取り出した瓶を引っ張りだすと、それを光に翳した。

 緑がかったガラスに目を凝らすと、小さな浮遊物が見えた。おそらくガラスを作る際に何らかの混ぜ物をしている。

 それが蟲の血液の酸が持つ効果を防いでいるのだと思う。



「フィルス、瓶をくれ」

「……なんで」


 彼はその瓶を自分の命綱とでも思っているのかもしれないが、彼の命はずっと前からどこにも繋がっていない。

 それを理解していない彼に、俺は笑顔を作った。


「それに血を溜めて、売るんだよ」


 厳密には売るのは瓶の中身ではなく、俺達自身の力だ。




————————————————————

第93話『反旗』




 そういえば、大抵のガラスというのは実は濃い緑色をしているそうです。

 板状のガラスの側面が緑色なのは、薬品か何かを塗っているのだと昔は思っていたのですが、そもそもガラス自体が透明では無かったのですね。

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