第92話『悪性の腫瘍』

 実は前話の修正をする際に保存をミスが起きてしまい、途中経過の状態を公開していました。誠に申し訳ありません。

 物語上重要な描写もありますので、確認して頂けると違和感なく楽しめると思います。



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 俺の掘った横穴を出ると、土が大きく盛られた部屋があった。


「……フガ……スー……フガ」


 山となっている土を背にフィルスが眠りこけていた。彼もまた、俺と同じくらいに汚れていた。

 力尽きるまでこの部屋に溜まった土を運び出していたのだろう。


 俺たちは音もなく彼の前を通り過ぎて、また別の廃屋へと入った。


 まず街に入ってすべき事と言えば、情報収集だ。

 

「ウェンは情報収集を頼むよ。聖剣機関以外にこの街で有名な組織があるか、知りたいんだ」

「……分かったわよ」


 こういう時に活躍するのが風精族のウェンだ。


「エンには聖剣機関に潜入出来ないか、調べてみて欲しい。多分お金が必要になると思うけど、どの位必要かも覚えておいて」

「潜入、するの?」


 エンの問いに俺は曖昧に頷いた。

 誤魔化したい訳では無く、現状ではどちらか決めかねているからだ。


「分からない。けど、聖剣機関が持っている洞穴についての情報が欲しい」

「……なら、あたしがついでに調べれば良いんじゃない?」


 俺はウェンの提案に対して首を横に振った。


「ウェンの外見は目立つから、剣士の多い所に行っては駄目だよ」


 彼女は不服そうな表情を浮かべたが、俺は意見を変えるつもりは無かった。


「取り敢えず、エンはここでの名前を考えておいて。もちろん、前の街で使った物は無しだよ」

「……なら、この街での名前はアグレスにするわ」


 確かそれは、手加減を知らなかった頃のエンが聖剣機関で叩きのめして、治療院に送った子供の一人の名前だ。

 外で名前を名乗るなら存在する誰かのものを使うのは彼女も同じらしい。


「分かった。俺はここではアレックスと名乗る事にするから、人前では間違わないようにね」


 ウェンが何かを思い出すように宙に視線を浮かべた。

 彼女にはアレックス・ブレイドについての調査を任せたことが有るので、彼の名前は記憶に残っている筈だ。


「デイズには少し面倒な事を任せるよ」

「はい"……やります」


 内容を説明する前から返事をする彼女に苦笑しながら、俺は彼女に語り掛けた。




◆◆◆◆




「そこに座ってくれ」


 三人が居なくなった廃屋の中で、俺は横倒しになった家具に竜人娘レンゲを座るように促す。


 昨日に『彼女の腕の状態を後で確認する』と言っていたのを、今から実行しようというだけの話だ。


「……」


 彼女もそれを理解して促されるままに座ると、俺に向かって左手を差し出した。


 俺が袖を捲り上げて、切断された場所までが見えるようにすると、彼女は不服そうに尻尾を持ち上げた。


 俺は気付いていないフリをしながら、二の腕の辺りに目を凝らす。

 腕を一周するように薄らと線が見えた。

 

 ここが切断面だろう。

 躰篭の視覚も、この辺りで歪な繋がり方をしている気脈を捉えた。


 自分で糸を引き抜いたのか、糸は消えていた。


 外部の損傷はほぼ無し、そして筋肉もほぼ元通りに繋がっている。問題はやはり神経と気の通りだけだ。


「肘を曲げて」

「……」


 肘を下から支えながら指示をすると、竜人娘レンゲはこちらをチラリと見てからゆっくりと肘を曲げる。


 肘を支えている掌から時折跳ねるような震えが伝わってくるが、最後まで曲げ切った。

 そのまま同じ軌道で肘を伸ばす。


 今度は割れた木片を拾い上げて、彼女の前に膝を付くと、俺の掌の上に置いた木片を彼女に見せる。


「これを摘み上げて」


 彼女は眉を寄せると、左手を持ち上げて木片の上まで持ってくる。

 手首から先の動きがかなり鈍いな。


 そして人差し指と親指の間で木片を挟むが、指の筋肉が痙攣したと思ったら木片が割れた。

 力の調節が上手くいっていないのだ。


 俺は淡々と確認作業を進める。


「痺れは?」

「ある」


「痺れが強いのは、指先の方?」

「そうだ」


 素直に頷く。

 動きが鈍い場所と一致している。


「動かす時に痛みは」

「ほとんど無い」


 躰篭化の際の発狂するような痛みを、僅かに呻くだけで耐え切る彼女の『殆ど無い』は信用ならない。


「傷口に痛みは?」

「無い」


 俺は親指で押すように彼女の腕を揉むが、彼女は全く反応しない。

 痛みに対して極端に強いのも考えものだ。

 傷口のあたりをグリグリと押し込んでみるが、反応は薄い。


 もしかすると、痛覚が死んでいるのではと疑った俺は気を込めて、かなりの強さで押す。


 すると、手の甲を尻尾の先端が叩いた。


「うっ」


 かなりの痛みに思わず声が漏れた。

 ブルートに蹴られた時よりも痛い。


「遊ぶな」


 ゴミでも見るように冷たい視線が向けられる。

 俺は痛みの走る手の甲を摩りながら、観察の結果を頭の中でまとめる。


「肘も手首も指も、完全に動かない訳じゃない。多分、末端に行くほど麻痺は強い。訓練次第で問題無く動かせると思う。分かったのはこれくらいだ。前と同じように動かせるかは本人次第だよ」

「なら、前よりも動かせるようにしてみせる」


 『本人次第』という俺の言葉を煽りと捉えたのか、彼女の瞳はギラギラとした強い光を宿していた。


「うん」


 彼女のその言葉を大言壮語の類とは思わなかった。

 信念のもとに積み重ねられた努力と実力が彼女の言葉に力を持たせる。


 彼女には自分の言う通りにならない肉体に対する苛立ちも、治療への気負いも見られなかった。精神的に安定した状態に見える。


 この様子だと、わざわざ他の子供達がいないタイミングを見計らう必要は無かっただろうかと考えて、心の中で首を振る。


 むしろ他の子供達の心の安寧のためにこそ、そうする必要があった。

 竜人娘レンゲの腕の傷を見ただけで涙目になっていたウェンは当たり前として、エンやデイズも似たような衝撃を受けた筈だ。

 それよりも『師範が死んだ』驚きが上回っていたが、師範の次に強い竜人娘レンゲが万全では無いというのはこれからのストレスとなる。

 できるだけ避けるべきものだ。


 もうそろそろフィルスも起きている頃だろうと、今いる廃屋を出るために立ち上がると、同じく家具から立ち上がった竜人娘レンゲが背中を向ける。


「躰篭に気を注げ」

「……一ヶ月は大丈夫……」


 邪魔にならないように尻尾を前に回す彼女に、俺は反論する。

 だが自分で言っていて反論になっているかは怪しかった。

 躰篭に気が必要になった一ヶ月後に、俺の気が余っているとは限らない。そして今この瞬間は気を使用する用事は無い。


 躰篭が切れるのが一週間先延ばしになるなら、十分意味は有る。


「……いや、気を補充するよ」

「あぁ」


 面倒な事は直ぐに済ませたいのか、視線で急かしてくる彼女に背後から抱きつくような姿勢で掌を胸の辺りに滑り込ませた。

 先ほどまで土の下を這いつくばって移動していたせいか、彼女の髪からは濃い土の匂いがした。

 夜道で女性を襲う痴漢のような姿勢を意識しないように、指先から伝わる感覚だけに集中させると、ドクドクと彼女らしい強い拍動を感じる。


 躰篭化する時とは違って、植物に水をやるような意識で気を送り込むと、放った気の殆どが彼女の気で弾かれながらも、その一部が胸の辺りに留まるのが分かった。


 もしも、今躰篭化を行い、そしてわざと失敗させれば彼女の心臓は崩れ落ちる事となるだろう。

 そんな無意味に生存率を下げる事をやるつもりはない。

 俺は正気だ。


 ただその事実を意識すると妙な興奮と愉悦が心の底から湧き上がってくるのを自覚する。


「……」


 そう、自覚していたにもかかわらず。

 酒精アルコールで熱くなる喉と似たように、思考が灼かれる。


 例えウェンを戯れに慰めることがあっても、彼女が心臓を預け、任せたのは俺だ。

 ウェンに与えられたのは愛想や社交辞令の一種に違いない。彼女が絶対にそんな事をしないと知っているのに、俺はそう思い込んだ。


 竜人娘レンゲに一番信頼されているのは、俺だ。

 俺だけだ。

 俺だけの王様だ。


「……は……ぁッ」


 衝動的に空いた左手を彼女の腹部に回して抱き締める。

 服に深い皺が入った。

 竜人娘レンゲの肺が押されて、吐息が漏れた。

 体の芯から伝わってくる熱を求めるようにさらに力を込める。


 彼女を汚したいという欲求は無かった。

 ただ、腕の中から彼女の熱が消えていくのが惜しいという考えしか無かった。


 彼女が逃げてしまわないように尻尾で彼女の足を締め付ける。ギチギチと締め上げるような音がした。巻き付いた場所が首であったならとっくに意識が落ちるぐらいの力が篭っていた。

 跡が残って消えないくらいに、強く。


「……離せ」


 小さく、咎めるような声を竜人娘レンゲが上げる。

 彼女の左手が腹部に回した俺の手首を掴んだ。


 同時に彼女が体に纏う気の量が爆発的に増える。

 万全では無いはずの左手が、万力のような握力で俺の手首を握り潰そうとする。

 代わりに俺は足を絡めて、姿勢を崩そうとしたが、彼女の足は硬く地面を掴んでいる。


 逃がさない。


 抵抗する彼女に苛立ちを感じながら、光が届かない室内である事を幸いと、影の躰篭で彼女の体全体を縛り付けて地面に倒そうとする。

 俺の力だけではびくともしなかった体がゆっくりと倒れる。


「……ちっ」


 怒りを含んだ舌打ちと共に、錨を下ろすように地面を尻尾で貫いた。

 鱗の下の筋肉が脈打つと、俺の体を跳ね除けて窓の辺りまで飛び退いた。


 彼女の目が見開かれる。

 夜明けの空と同じ金色の瞳が俺を見下ろす。



「……コクヨウ。おまえは敵か?」


 これまでに無い、低い温度の問いかけ。


「お、れは……」


 浮かれていた頭の熱が一気に冷えていくのが分かった。


 改めて自分の行動を振り返り、その愚かしさを呪った。


「う……違う……すまない。おかしくなってしまった」


 竜人娘レンゲは見開いた瞳を一度閉じ、その後いつもの温度の瞳に戻った。

 そうしてゆっくりと右の拳を握り締める。


「はぁ……歯を食いしばれ」

「っガ、ァッ」


 心の準備をする暇もなく、頬を殴り飛ばされた。

 地面を削るだけでは勢いは止まらず、そのまま壁に背中からめり込んだ。

 割れた壁の石が脇腹に当たり鈍い痛みを与える。


 チカチカと明滅する視界の中で、彼女が窓から飛び出そうとするのが見えた。


 全力で尻尾を巻き付けたにも関わらず、足に痕一つ付けることさえ許さない彼女の強さが忌まわしいと同時に、強い彼女であることを渇望する気持ちがある。

 咎められた直後にも関わらず、性懲りもなくそんな事を考えるに苛立ちを覚えた。


「……最悪だ」


 彼女に叩かれて、ミミズ腫れとなった手の甲を撫でる。

 ヒリヒリとした痛みが走る。


「強く叩きすぎだ」




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第92話『悪性の腫瘍』




ラブコメ回です。

改めて考えると、このパーティで一番大変なのは竜人娘であると実感しました。

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