第91話『大丈夫』
「やっぱり。コクヨウ、帰っていたのね」
「……うん」
エンはウェンと同じ方向から現れて、納得したような声色で俺に話しかける。
彼女はチラリとウェンを見た。
そして、ウェンが俺を睨みつけているのを確認すると、触らぬ神に祟りなしとばかりに視線を逸らした。
一方の俺は少し困った可能性を感じ、彼女の言葉に対する返事が遅れたが、彼女がそれに気付くことは無かった。
「結局、あのフィルスって子は信じられるのかしら?」
真面目な性格の彼女は、ウェンと違って私情を挟まず、生存の為に必要な会話だけをしてくれる。
「裏切りの可能性はあるけど、信用は出来る、使えるものは使うべきだよ。……それに、フィルスは孤児だ。取り除いても、問題にはならないよ」
裏切りの気配が見えた瞬間に切り捨てられる存在であるという事だ。
エンは俺の言葉に目を丸くした。
「いつもみたいに、取り繕わないのね」
彼女が言う通り、これが里の中での事であれば、俺はもっと善を装った耳当たりの良い言葉を口にしていただろう。
そうしないのは、ここが里の外であるという以上に、この集団におけるエンの役割が俺の代わりであることが大きい。
取り繕うということは、俺が実際に見聞きし考えた事から歪んだ情報に変わるということだ。
少なくとも彼女には、情報が正しく伝わっている必要があると考えていた。
「そっちの方が良かったかな?」
目を細めながら、エンの反応を窺う。
彼女は大きめの岩に腰を下ろしながら、足先だけを池の中に浸す。
「いいえ」
エンは小さく首を横に振った。
「そのままで良いから。あなたが思った事を教えて」
彼女の足元から波が立つ。
言葉だけを聞くなら好意的に思えるかもしれないが、その視線は、俺の方を観察するように鋭くなっていた。
俺の行動原理を探るような彼女の振る舞いは、端的に言って不快だった。
「誰にも見られないように、街の中に繋がる穴を作ったから、まずはそこから街に入るよ。まずはそこでお金を稼ぐ」
「それだと目立たないかしら?」
エンは池の中に入れた足先で円を描いて水面で遊ぶ。
「街の中には聖剣機関もあるようだからね。でも、多分だけど大抵の剣士は蟲と戦うのに忙しいんじゃ無いかと思っているよ」
剣士が洞穴に潜るのは一種の修行のようなものだ。
彼らは街に居る指名手配犯を探せと、上から指示されれば、探して回るだろうが、自分から俺達の情報を見つけて探すような熱心な人物は中々居ないと思っている。
とはいえ、白昼堂々と連れ立って歩けば特徴的な種族の組み合わせから直ぐに見つかる事になる。
「まあ、でも人前に出るのはフィルスかエンに任せるよ」
「私?」
「人族が一番目立たないからね」
エンは人族だ。
悪目立ちすることは無いだろう。
それに
軽く予定を話していると、森の少し離れた一角から白銀色の生物が池に足を踏み入れて来る。
その生き物は膝の深さになるまでまで池の中を進むと、掌で水を掬い上げて顔にかける。
そうしてやっと瞼が開き始め、金色の瞳が日の光を反射する。
「……」
その生き物、
表情は凛として見えるが焦点は合っていない。まだ、寝ぼけているな。
「おはよう」
俺の挨拶は当然のように無視された。
彼女は水に浸していた尻尾を持ち上げて数秒見つめると、気を込めながら鞭のようにしならせた尻尾で空気を切った。
パン、と大きな破裂音がして尻尾の通った軌道に振り落とされた水が霧となってその場に残る。
再び尻尾を自分の前に持ってきて、水が付いていない事を確認すると元来た道を引き返して池の外側に歩いていく。
「……む」
その途中で何かに気付いたように立ち止まると、こちらを振り向いた。
そこで、やっと視線が合ったのが分かった。
「おはよう」
「……」
いつものように、小さく頷くかそっぽを向くなどの反応が返って来ると思っていたが、彼女は訝しげにこちらを睨むだけだった。
その反応に首を傾げていると、彼女はポツリと言った。
「……服を着ろ」
「…………うん」
今の俺は全裸で上半身が水面から出た状態だった。
エンが現れた時からこうなる予感はしていたがそれが現実のものとなってしまった。
なるべく早くエンとの話を切り上げたかったが、彼女が時間の掛かる話題を振って来たので逃げられなかった。
「先に戻っていてくれ、後で行くから」
「私も水浴びしたいのだけれど?」
だから、三人ともここにやって来たのかと納得した。
俺は尻尾で局部を隠しながら、干した服の方へと向かって歩く。
エンは挙動不審な俺を見て首を傾げるが、そのまま服に手を掛けて、脱ぎ始める。
そんな彼女から意識を逸らしながら横を抜けて、枝に吊るした服を回収するといそいそと池を離れた。
「はぁ」
この世界に慣れつつあるとはいえ、局部を堂々と晒すのは憚られた。
里では情操教育の類いは無く、子供達は漠然と男女の違いを感じ取るだけだった。
だからこそ、裸を見られてもなんとも思わない子供の方が多かった。
エンもその一人だろうし、ウェンも特に何も思っていないようだったので同類だ。
意外な事に
着替えてから焚き火の所に戻るとデイズが出迎えてきた。
「どうかしま"したか?」
「池で水浴びしていたら、三人が来て慌てて戻ってきたんだよ」
「そう"ですか……」
デイズは頷きながらもなぜ俺が慌てたのか理解していないようだった。人の視線を恐れる今の彼女なら分かると思ったが、それとはまた別の話なのか。
どうやら3対2で俺達の方がマイノリティらしい。
「三人が戻ってきたら、そのまま街に行くよ」
「……ッ……はぃ"……」
デイズは喉の奥から絞り出すようにして、やっと小さな肯定の言葉が出てきた。
感情の色を見るまでも無く、彼女が無理をしているのが分かった。
「大丈夫?」
彼女は俯いたまま縦に頷いた。
意味のない嘘を吐いたデイズに、俺は彼女の顔の前で掌をかざして見せる。
「ぁ……ぁ」
ただそれだけ。
たったそれだけで彼女は身動きが取れなくなった。きっと俺に彼女を制圧するだけの実力があると、身をもって知っているのも、彼女が動けなくなった要因だろう。
俺は息を吐くと焚き火の前に座り直して、開いた手を膝の上に戻した。
「すみま"せん。大丈夫になるよう"にしますから……」
「出来ないことは言わない方が良いよ」
「……すみません”」
心の問題は難しい。
体に不調は無く、体力も有るはずなのに家のドアを開くことさえままならなくなってしまう。
彼女のは厳密には違うものだろうが、解決の難しさで言えばそこまで変わらない。俺の聞き齧った知識で彼女を大丈夫にできるとは思えない。
俺は医者では無い。
壊れたものは壊れたまま使うしかない。
「大丈夫じゃ無くて良いよ」
「……え?」
「人の視線が怖い?」
燻った焚き火の方を向いたまま彼女に問いかければ、ゆっくりと頷いた。
自分の弱点を人に教えるなんて馬鹿なことだと思うが、俺にとっては都合が良い。
「なら、誰にも見つからないように隠れるんだよ。気配を殺して、息も殺して……。そうして隠れたまま相手を殺せば、デイズが何を恐れていても関係は無い」
俺の横顔をデイズが見ているのを感じる。
「今のデイズは人の視線に敏感になっているだろう?デイズはそれを弱さと思っているかもしれないけど、俺は違う。人の視線に敏感だからこそ、それを徹底的に避けることができる」
デイズが目を見開いた。
全ての性質は弱さと強さの側面を持っている。
賢さは一見すれば強さだが、臆病さに繋がる。
愚かさは一見すれば弱さだが、飼い慣らせば勇敢な戦士となり得る。
克服できないなら自分の手札として受け入れるしか無い。
俺が持つ、死への恐怖もきっと同じだ。
「俺ならデイズのその性質を上手く使えるよ……誰よりも上手く」
敢えて、大言壮語を吐いた。
どうせ失敗すれば死ぬ。ならば、大口を叩いた方が説得力は増す。
「まだ、怖い?」
「……はい”、すごく怖いです。……こん”な私でも良いんですか?」
彼女の手は凍えている訳でも無いのに震えていた。
俺は世界の真理を語るような穏やかな口調で、特大の嘘を吐いた。
「あぁ、大丈夫。全部俺に任せて良いよ」
そして数時間後、俺達は横穴を抜けて遂に街へと踏み入った。
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第91話『大丈夫』
本当は、女の子たちの誰かの水浴びシーンに遭遇する予定だったんですけど……なんか、違うなぁと思ったんですよね。
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