第90話『狼二匹』

 フィルスと共に街の中を一通り回って、この街について大体の事が分かってきた。

 この街の名前はリドウルビス。

 フィルスは名前を知らなかったが、聞き耳を立てればかなりの頻度でこの単語が人々の口に上がっていた。


 そして、街の存在があると知ってからずっと疑問だった、この街の存在意義についても分かった。

 リドウルビスは明らかに蟲の生息地域の真っ只中に存在している。そのため他の街との行き来は危険なものとなる。

 食料もその殆どを他の地域からの供給に依存している。


 それでもこの街が存続しているのは、皮肉にも蟲の存在のお陰だった。


 蟲の持つ血液や、巨大な身体を支える軽く硬い甲殻にはかなりの需要があるようだ。


 では何故この街が寂れているのかと言えば、洞穴に入れる人間が制限されていることが大きい。


 以前から蟲の素材の有用性は確認され、大きく売り買いされていたものの、蟲が時折洞穴から出てくるせいで、街の修繕のために費用が嵩んでいた。

 国としてはそこらの出費はなるべく抑えたいものだろう。


 そんな中で、安く素材を提供する代わりに洞穴の攻略を独占したいと、ある組織が提案した。


 それが聖剣機関だった。


 彼らが洞穴に潜る事で、蟲の数は一定以下に保たれ、防衛にかかる費用無しに蟲素材の利益を享受することが出来る。


 代わりに以前まで蟲の討伐や採取で生計を立てていた人間は多くが職を失った。


 国としては聖剣機関が街にお金を落とすことを期待したのかもしれないが、街にやって来た剣士達は、聖剣機関が提供する宿で寝食をとり、聖剣機関の娯楽施設で遊ぶというように、ここでの生活の全てが聖剣機関で完結している者が殆どだった。


 そうして護衛を雇う金の無い街の人間は、蟲に囲まれているために移住することも出来ずに、真綿で締め付けられるように、ゆっくりと貧しくなっていった。


 フィルスたちはそんな者たちの子孫だろう。



 わざわざ横穴を使うのは、街に近い洞穴の入り口の前に聖剣機関が配置している監視を突破するためだったという訳だ。


 そして、洞穴についてフィルスの話を聞いて気づいたが、どうやら蟲達の巣穴はその全てが繋がっているらしい。

 もしも適当な洞穴に潜っていれば、俺達は聖剣機関の剣士と遭遇していた事だろう。早まった選択をしないで良かった。


 街と蟲の関係で今の所分かったのはこの程度だろうか。



「……それで……何してるんだよ、ヘビ野郎」


 俺は住む者が居ない建物の中で出来るだけ原型を留めたものを見つけると、なるべく奥の部屋に入り、床に敷かれていたタイルを引き剥がした。


「……ヘビ野郎と呼ぶのはやめてほしいな」

「なら、名前は?」


 パッと思い付いた名前を告げる。


「アレックスだよ」

「へえ、ご立派な名前だな。で、何してるんだよ」


 珍しい名前ではないと思っていたが、フィルスの反応からすると違うのか。

 一時的な偽名だから問題は無いかと自分を慰めながら、一通りタイルを外し終わる。

 タイルの下に現れた地面に大きめに丸を描いて、フィルスを見返す。


「横穴を掘るんだよ」


 彼の目の前でタイルを拳で割り、その破片の一つを手に取ると、『頑強』『干渉強化』を付与して、簡易的なスコップを作成する。


 そして、腕を中心に筋力を強化する赤色の気、【剛気】を纏うと、スコップを地面に突き刺す。

 思ったより地面は硬い。


 5時間、と言ったところか。


「フィルスは掘った土を他の部屋に運んでくれ」


「は?おい、説明し……」


 ガリガリと勢いよく地面を削り始め、見る見るうちに穴が広がっていく。

 同時に部屋の中は土まみれになり、フィルスにも掛かる。


 もちろんその中心に居る俺は、彼よりも茶色に汚れてしまっている。



 そこからはモグラになったような気分で、ひたすらに地面を掘り進める。

 フィルスも文句を言う暇は無いと理解したのか、横穴の部屋から土をひたすらに運ぶ。

 しかし、栄養状態の悪い彼の体力は早めに尽きてしまい、俺が時折土を運ぶことなった。


 そして、一切の食事を口にしていなかった俺の方も、時折指先から力が抜ける感覚に襲われるようになった。


 もう少し……もう少し。



「ふぅ」


 集中が切れ、顎を滴る汗を手の甲で拭うと、気を薄く波にして進行方向に放つ。

 後、数メートルか。


「よし」


 自分を鼓舞しながら、『頑強』を付与しているにも関わらず先の丸くなってきたタイルを手に取る。

 

 削る、削る、土を運ぶ。

 削る、削る、土を運ぶ。


 岩のように硬い地面にタイルを突き立てると、軽い手応えと共に崩れた土が向こう側に落ちる。


「やっと……」


 向こう側には俺がこの街に入ってくる時に通ってきた横穴が見えた。


 俺が掘っていたのは横穴の横穴だった。これを使えばブルートを出し抜くことができるだろう。

 俺はブルートの横穴の方に入り込んで、横穴の横穴の入り口に土を盛って隠蔽する。

 そうして俺は横穴を通って、森の中の洞穴へと向かって行った。




 ◆◆◆◆


 


 フィルスと出会った場所に辿り着いた頃には、既に空は白んできていた。

 穴を掘るのに予想以上に時間がかかったらしい。


 気配に意識を集中させるまでもなく、大きめの気の塊が近くにあるのが分かった。


 吸い寄せられるようにそちらへ向かうと、燃えかけた焚き火の跡があった。

 薪から弾けるような音が聞こえる。


 見張りは誰も立てていないのか、と疑問を浮かべた瞬間に鋭い殺気を感じて地面に張り付くように小さく屈む。


「シッ」


 頭上、俺の首があった辺りをナイフが切り裂く。


「ウグ」


 起き上がりながら肘を後ろへ突き出すと、背後の人物の脇腹に当たり、押し殺したような呻き声が上がる。


 痛みで浮き上がった首に、彼女の足元から回り込ませた尻尾を巻きつけて地面に倒す。


 倒れ込んだ少女の手首を踏みつけてナイフを手放させると、途端に彼女の顔が青白くなる。


「ひぁ……ごめんなさいごめんなさいごめんな……」

「デイズ……俺だよ」


 涙で瞳を満たしながら許しを乞う彼女に俺は答え合わせをする。


「……さいごめんなさい……え?……ネチネチさん”……ですか?」


 真正面から俺の姿を見てもなお疑問の声を上げる彼女に、自身の姿を思い出す。

 今の俺は半日近く土の下で掘削を終えた後だった。当たり前だが、その仕事に見合う位には汚れている。


「これは……汚れ過ぎて、分からないね……」

「あっちに……池があり"ます」


 デイズは胸の前で小さく指を差す。


「水の匂いがすると思ったら……ありがとう。身体を洗ってくるね」


 俺はデイズに背を向けると、彼女の指さした方へと向かって歩く。

 先程のデイズの不意打ち、直前まで俺は気付くことが出来なかった。確かにあの瞬間、デイズの気を感じとる事ができなかった。


 そうなる為には【抑気】でゼロまで気を抑える必要がある。

 そこまで気を抑えられる子供は俺以外にはまだ居なかった。


 この劇的な成長は彼女の精神の変化によるものだろう。

 デイズの人に対する恐怖が、人の視線から逃れるように彼女の在り方を歪めたのだろう。


 俺は自身の首元をなぞる。

 もしも避け損なっていたら、ちょうどここを彼女のナイフが切り裂いていただろう。


「すぅ……はぁ」


 指先に力が入り、爪が首元の皮膚に食い込んだ。そのまま首筋に薄く引っ掻き傷が付いた。

 遅れて焼けるような痛みがやってくる。


「……」


 このストレスを取り除く方法は直ぐに浮かんだ。

 彼女の存在を取り除けばいい。


 だがはダメだ。また森の中を通る可能性がある以上、デイズが欠けてしまえば、生存率は大きく下がる。


 この状況の俺にとって共に行動する4人の子供達はそのそれぞれが命綱に等しい。命綱が重いからと言って放り捨てる馬鹿は居ない。


 それに、彼女の隠密能力が上達したのは、素直に喜ぶべきことだ。



 辿り着いた池は木々で隠れていたが、焚き火の場所の直ぐ近くにあった。


 俺は服を脱いで池に入る。池の水に土の色が染み出しているのを見て、改めてどれだけ汚れていたのか実感する。

 次いでに池の縁に置いた服を持ってきて、水の中で軽く揉んで洗う。


 一通り洗って、水を切ると枝の上にかけた。

 森の中で裸になるのは前世の感覚からするとかなり忌避感があるが、今世では訓練の中で『生存訓練』のように森の中で長期間過ごす事が何回もあったので慣れてしまった。

 この池の水は濁りも無く綺麗で、それだけで今までの中ではマシな方だった。


 静かに体を洗っていると、俺の背後、服を吊るした辺りに気配が近づいてくるのが分かった。


「ネチネチ、アンタ戻ってたの?」


 ウェンの顔にはそれほど驚きは無い。

 木に吊るされた服を見て俺がいることを察していたのだろう。


「背中、洗ってあげる」


 彼女は背中の汚れを見て、こともなげに提案してきた。

 こちらへ向かい池に足を踏み入れた彼女に、俺は尻尾で自分の背中に水を掛けて汚れを落として見せた。


「自分で洗えるから良いよ」

「あっそ」


 そう言って彼女は池の縁に戻った。提案を断ったことにも気を害した様子は無い。

 彼女はその場に座って、俺の方を見てくる。

 居座らないで早くどこかに行って欲しいと思っていると、彼女の視線が急に鋭くなった。


「……お姉さまの名前、あんたが考えたんでしょ?」

「いや……違うよ」


 この言葉は肯定しては不味いと思った。

 彼女の竜人娘レンゲに対する執着はかなりのものだった。ある意味彼女が正常を保つための軸だ。ウェンがデイズと違って挙動不審と男性不信に至っていないのは、心の深い部分に竜人娘レンゲから与えられた言葉があったからだと思っている。

 竜人娘レンゲと名前を与え合ったことは、竜人娘レンゲの考えがどうであれ、ウェンに悪影響を与えると判断した。


「……嘘をつかないで、本当の事を言って……怒らないから」


 肩越しに彼女の表情を窺う。


 ウェンの方こそ嘘を吐いている。

 血が出るほど唇を噛み締めて、憎しみで血走った瞳を向けて、これで怒らないというなら人間という生き物に怒りの感情は必要無い。


「俺を嘘つきだと思うなら、竜人娘レンゲに聞いた方が早いよ」


 彼女は沈黙することはあっても、嘘をつくことは無いだろう。

 ウェンもその認識は同じはずだ。


 彼女は俺の言葉にムッとした表情を見せる。

 何か選択を失敗したかと思ったが、おそらく俺が『お姉さま』の名前を口にしたからだろう。


 瞬きの回数が減り、じっと背中を睨み付けるウェンの存在を無視しながら俺は体を洗い続けた。


 デイズと言い、ウェンと言い、なぜ俺は拠点に居る時の方が気を張らないといけないのだろうか。




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第90話『狼二匹』

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