第89話『望まぬ救済』

 俺は男達に叩き出されて、路地裏に捨てられた。


「はは、悪かったな……大丈夫か、お前」


 フィルスは半笑いのまま、表面的には俺を気遣うような言葉を吐いた。

 俺は体の汚れを払いながら立ち上がる。

 自分と同じところまで俺が堕ちて来たのが、そんなにも嬉しいか。


 俺を殴った男の去り際の様子を思い出す。


『明日、日が登ったら直ぐにここに来いよ。メシと仕事をやる。分かったな?』


 そうして倒れたままの俺の背中を叩く。


『分かったよな?』


 小さく頷いた俺に向かって舌を打つと、男は部屋を出て行ったのだ。


 そして、現在に意識を戻す。


「ほら、見ろよ。今日はパンが2つだ!」


 フィルスは嬉しそうにパンを見せてくる。彼の首から下がっていた鎖と瓶が消えていた。


 あの瓶いっぱいに貯めた蟲の血液が、その乾燥しきって固くなったパン2つ分の価値か……そんな訳が無いだろう。

 一体、実際の価値からどれほど乖離しているのか。


 フィルスの持っているパンに手を伸ばすと、これまでにない俊敏さで彼は手を引っ込めた。


「……俺のせいで殴られたから、その詫びな」


 恩着せがましい言葉を付け加えて、俺にパンを渡して来た。


 貰ったパンに鼻を近づける。


「すん……すん」


 カビの臭いがする。

 こんなものを食い続けて、成人まで生きて行けるとは思えない。


 余ったパンの処理と蟲の血液集めを同時にできる大人たちは笑いが止まらないことだろう。


「……フィルスが食べていいよ」

「ぬおっ……おい……後から言っても遅いからな!」


 投げ返したパンが落ちないようにフィルスは慌てて受け取る。


 酷く飢えている筈の彼がパンを俺に渡すような真似をしたのは、本当は3つ貰ったパンを1つ食べてから俺の所に持って来たことへの贖罪のつもりだろう。


 フィルスを慰めるための道具になるつもりは無い。

 彼は受け取ったパンをその場で食べ始める


「……お前も分かっただろ……ここでは……アイツらに逆らって……モグ……生きていけないってよ」

 

 最後の一欠片を飲み込む。


「それがオレ達のってヤツ?お前もわきまえた方が楽だよ」


 味方のような顔をして、俺から抵抗という選択を奪おうとする。

 きっとその言葉は、これまでの人生で彼が大人や他の子供から掛けられたものなのだろう。


 彼にとって大人と子供の間にある隔たりは絶対なのだ。

 もし、自分以外に飛び越える者が居たならば彼の人生は否定される。


 だからこそエンの姿を見た時、彼は呆然とした表情を浮かべたのだ。

 そうして俺が殴られる姿を見て、大人に従う自分が間違っていないことを確かめようとしたのだ。


「それは、フィルスの言葉じゃ無いね?……誰の言葉?」

「……ブルート。オレたちを殴った、アイツだ」


 思った通りだった。

 分を弁える、というのは一方的に支配する側にとって都合が良い言葉だ。


「なら、ブルートよりも強ければ従う必要は無いね」

「アイツは純血の鬼人族だ。敵う訳がないだろ。それに、ボコボコにされてた癖にウソをつくなよ」


 最後の一言は嘲りを含んでいた。


 確かに、鬼人族であるオグは筋力が強かった。

 しかし、ブルートと呼ばれる男は力に頼って技を磨いていないようだった。


 彼が槍を持っていた事からして聖剣機関と関わりがあるようにも見えない。


「……」

「あ……おいっ、怒るなよ」


 黙ってフィルスの横を通り過ぎると、呼び止められるが無視をして路地の中を少し進んだ。

 

 十字路で立ち止まる。

 目の前には白亜の街を貫く道が走っていた。先の方が僅かに湾曲していて、見通す事は出来ない。

 並んでいる建物は元々の白い壁を所々灰色の土で修理したような跡が見える。

 

 フィルスの視線が切れた瞬間、地面を蹴って建物の上に身を躍らせる。


 地中海沿いの観光地をそのまま白く染め上げたような街並みが眼下に広がる。

 所々補修の跡が見えるのはどれも同じようだった。


 しかし修理の度合いは外側に行くほど大きくなっている。

 中心近くは汚れない白を保っていた。

 地面も中心に行く程高く、加えて一つ一つの建物も大きくなっていた。中心近くには貴人が住むのだろうと容易に想像がついた。


「は?……アイツどこ行った。消えたのか?」


 下でフィルスが俺を探してあちこちに首を巡らせている。


「おい、ヘビ野郎!!返事しろ」

「……」


 俺は街の外側へと注目する。

 白亜の街並みとは打って変わって重厚な黒の壁が周囲を囲っている。

 色合いも相まって、視界に入れていると息が詰まりそうな圧迫感があった。


「ん……?」


 壁の表面を見ていると、違和感が湧き上がった俺は目を皿のようにしてもう一度見てみる。

 初めは黒いレンガを使用して壁を作り上げたのかと思っていたのだが、壁の表面には光沢が見えた。


 材質は分からないが、壁全体を金属で覆っているのか。

 随分と贅沢な使い方だ。


 それぐらいで無いと蟲が蔓延る地域に街など作れないか。

 いや、逆に、金属の壁で覆うだけで蟲の侵入を防げると思うのはおかしい。

 俺は蟲が地面に開けた大穴を思い出す。


 蟲が何処かから穴を伸ばして街中に突然現れる可能性などは、最も警戒すべきものだろう。


 俺はもう一度壁の方に目を向けようとして、遥か上空を飛ぶ大きな物体が視界の端に映った。


「……ッ!」


 弾かれたように空を見上げると、人に翼の生えたシルエットが街の中央へ向かって飛んでいる。


「鳥の獣人か……」


 この世界には空を飛べる種族も居るということを忘れていた。

 そういえば、ウェンは羽を持って生まれたが毟り取られた後傷口を焼かれたと言っていた。おそらくは逃亡対策だろう。

 里には鳥の獣人が居ないせいで、無意識に存在しないものと切り捨てていた。


 この街の地形はなんとなく掴めた。

 俺は壁を這うように静かに降りると、フィルスの背後に降り立った。


「ヘビやろ……ヘボ野郎」

「何かな?」


 ボソリと言った悪口に反応して見せると、フィルスはゆっくりと背後を振り返る。


「うおっ、どこに行ってたんだ。何で返事しないんだよ!」

「……」

「な、何で返事しないんだよ!!」


 声量で誤魔化そうとするフィルスをじっと見つめると、フィルスは僅かに動揺しながらも、同じ言葉を繰り返した。


「……」


 さらに黙ったままでいると、彼はバツが悪そうな顔を見せる。


「悪かったよ。パン見るか?」


 そう言ってフィルスはパンを差し出してくる。

 そこは『要るか?』と聞くところだろう。いや、欲しくも無いが。


 カビの臭いが漂ってきて思わず眉をしかめる。


「……しまってくれ。それよりも街の事を教えて欲しい」

「あぁ……そうだったっけ」


 フィルスの表情が僅かに翳る。




◆◆◆◆




 フィルスの誘導に従って街の中を散策する。


「ここが、街で一番人が集まる場所だな」


 市場やバザールと表現される一画だろう。

 街の規模に対して、店の数は少ない。


 さらに店を出している商人はそのどれもが護衛を伴っている上に、市場をぶらついている人間もそのどれもが戦闘ができる者の空気を身に纏っている。


 何より気術を扱える者特有の静かな気を持っている人間が珍しくは無い。


 その中で一人の少年が走っていくのが見えた。

 彼の手には干した肉を縛った縄の先が握られていた。彼の表情は鬼気迫るものだった。


「バカ野郎」


 隣のフィルスが吐き捨てるように言った。

 彼の顔見知りだろうか。


 あと少しで路地裏に逃げ込むというところで、唐突に彼の頭は弾け飛んだ。


「……おっと……危ない」


 いつの間にか少年の正面にいた男は彼の手からこぼれ落ちた干し肉を血のついていない右手で掴み取る。


 そのまま少年を追ってきた店主らしき人間に干し肉を渡す。店主は血のべっとりと着いた彼の拳と頭部の無くなった少年の死体から状況を察した。


「いやぁ、ありがたい。お礼に肉はどうですかい」

「それは助かる。丁度今から洞穴に入ろうと思っていたところでね」


 男は落とし物の硬貨を渡したら、お礼を言われたような綻んだ顔を見せる。


「おや、剣士さまですか。お強い訳だ」

「まだまだ未熟だ。褒められるほどではない」


 気安い様子で二人は連れ立って市場の中を歩く。


「やめとけって言ったのにな……」


 後には濁った赤色を垂れ流す死体が残った。


 フィルスが盗みに手を出さず、わざわざ横穴に潜る訳だ。

 子供達にとって横穴に潜るよりも盗みの方が危険な仕事なのだ。


 前に居たグルテールでも盗みには厳しかったが、この街では躊躇なく殺される程の罪らしい。

 そして、見たところこの街には多くの剣士が歩いている。

 この街で犯罪を成すなら余程上手くやるか、彼らが近寄らないほどの力が必要だ。


 フィルス達にとっての地獄は、彼らの善意によって堅牢に保たれている。


 近くから見る黒壁は、先ほどよりも高く見えた。




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第89話『望まぬ救済』




 小学生か中学生の頃、『地獄への道は善意で舗装されている』って言葉を小説で読んで子供ながらにビビッと来たのを覚えています。元はドイツのことわざらしいですね。

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