第87話『虫と虫と虫』

 蟹サソリの巣穴を一つ見つけた後、続けて何度もそれを目にした。


 俺はこの方向に進むと決めたことを強く後悔しながらも、退路には聖剣機関の手が回っていると確信して、背後には進まない。


 俺たちが殺したのは聖剣長だ。

 支部でもかなりの人数が居た。その本部となると数も質も上だろう。剣聖の存在を考えると質の方は里を大きく上回っていると感じた。

 その組織の規模を把握してはいないが、街に対して支部長が持っていた権力や名声はかなりのものだった。


 あれはミグレイ・ブレイド個人の力というのもあるが、聖剣機関の支部長という立場が関係しているように見えた。聖剣機関の存在は場所を問わずに大きな影響を持つと捉えて良い。

 ならば、支部もかなりの数が存在しているだろう。


 里との合流を考えるならば、いつかは街へと入る必要がある。

 しかしながら、それは聖剣機関から発見されるリスクを孕んでいる。

 聖剣機関からは見つからず、里と合流する。

 その矛盾を解消する良策を俺は思い付けないでいた。



「シィッ」


 呼気と共に投げつけた杭は襲いかかってきた虫を貫いて、背後の木の幹へと磔にした。

 襲いかかってきた虫は、飛蝗バッタのような発達した後ろ足と、鉤爪のような前足を持っていた。


 この鉤爪を木に食い込ませた状態で幹の模様に擬態していたのだ。

 平たい形の身体を幹に密着させると、外見から気付くことは困難だ。

 さっきのように飛びついて来た瞬間を狙うしか無くなる。


 エンが死骸を見つめながらこちらに話しかけてくる。


「ねぇ、コクヨウ。今気づいたのだけれど、〈虫〉は全部気を持っていないようね」

「うん、隠れられると本当に厄介だ」


 里の子供は視覚や聴覚と並んで気による感知を身につけている。

 気を薄く放ちソナーのように周囲を見る【波握】といった気術を使えば、気を持っていなくとも物理的な形状から見つけることもできるが、このバッタのように薄い身体の生物だとそれも難しい。


 体温が無いので第三の目ピット器官も使えず、感情どころか思考も怪しいので花精族の性質も通じない。

 ある意味で〈虫〉は俺にとっての天敵のような存在だった。



「ちっ」


 竜人娘レンゲが飛び跳ねた〈飛蝗〉の頭部を左手で叩き潰す。

 緑の体液が地面に零れ落ちる。


 掌に付着した〈虫〉の血液が煙を上げて彼女の掌を溶かそうとするが、彼女の皮一枚さえも破ることは出来なかった。

 もう一度舌打ちをした彼女が転がっていた岩の側面で拭う。すると、角砂糖に水を垂らした時のように岩が溶かされる。


 彼女は何かを確かめるように手を握って開いてを繰り返す。

 しかしその動きは錆びついた機械のようにぎこちなく、時折痙攣のように指先が震えている。


 神経が繋がり切らなかったのが原因だ。


 俺の半端な治療では、彼女の治癒能力を持ってしても後遺症が残った。いや、むしろ俺の拙い治療で指が動くまで回復したことが奇跡だろう。


 瞳の躰篭でも、彼女の気の流れが滞っているのが見える。繋ぎ目のところだけ捻れたホースのように通りが悪い。


 俺にもっと技術があれば、彼女を万全の状態まで戻せた筈だ。


 竜人娘レンゲは俺の顔を見ると、怒ったように眉を寄せる。

 俺は思わず身を竦ませる。

 彼女は俺に向き直ると、いつものように傲慢に言い放った。


「この程度、問題無い」


 問題無い訳が無い。

 何でそうも強がるのか。


「うん」


 口では肯定したが、視線は彼女の左手に向かったままだ。

 武器を使わずに拳で〈虫〉を叩き潰したのは、武器を握ることさえままならないからだろう。


 俺は頷いたのに、彼女はさらに怒りを大きくする。


「なら、その目をやめろ」


 竜人娘レンゲが俺との距離を詰める。

 花精族としての性質を発現してから、感情は俺の制御下に置かれている。しかし、長年の経験から俺が彼女の望んでいることが分かるように、彼女もまた、細かい所作から俺の心の内を見透かしているのかもしれない。


「その目って言われても。いつも通りだよ」


 彼女は人に憐れまれるのを酷く嫌う。

 憐れみや施しは上位の人間が下位の人間にやることだからだ。


 しかし憐れみを向けられた時の彼女の怒りは、もっと激しく噴火した火山を思わせるものだった。

 目の前の彼女は『怒る』というよりも『叱る』という言葉が似合いそうな態度だった。

 ならば、俺が彼女に向けているのは憐れみとはまた別の感情なのだろう。


 真っ直ぐにこちらを射抜く竜人娘レンゲの眼光に耐え切れず視線を逸らした俺に向かって、彼女は静かに言った。


「余計な事ばかり考えている、その目だ」


 俺にとって重要な事は生き残る事だ。

 余計な事とはそれ以外だ。


 竜人娘レンゲの左腕に麻痺が残った、ただその事実があるだけだ。

 その傷が俺を庇って受けたものであるせいで、心を乱されていた事を認識する。


 心の中に燻っていた、罪悪感のような何かを意識的に握り潰す。

 これは俺には必要がないものだ。


 戦力を下方に修正して、回復が可能か確認する。

 俺はただそれだけをすれば良い。


 一度小さく瞼を閉じて思考をリセットする。

 再び開けた視界にはやるべきことだけが鮮明に写っていた。


「後で腕の状態を確認する。今は先に進もう」

「……それで良い」


 彼女の不機嫌な気配は少しだけ薄れたようだった。




 ◆◆◆◆

 



 地面に空いた穴から現れる〈虫〉は多様な種類があるようだった。

 サソリと蟹が混ざった毒針を持つ虫。

 鉤爪を持ったバッタ。


 これら二つは大きくとも犬程度のサイズに収まっていたが、他にも人間ほどの体高を持った棘だらけのカマキリのような虫や、鋏だけで人を握り潰せそうな巨大なロブスターが森の中を闊歩していた。

 〈虫〉という呼称はあまり相応しく無いかもしれない。


 厄介なのはそのどれもが毒の血液を持っていることだろう。

 要は食料にならないのだ。

 

 今は時折現れる鳥や、上手く隠れた兎を捕まえることで何とか飢えを凌いでいる状態だった。

 ちなみにこれらの動物は里とは異なり、躰篭を使う気配は無かった。あそこが特殊だったようだ。


 幸いなのは〈虫〉が気を備えていないことで、瘴気を発生させることも無いということだろう。流石に毒の血液を掻き分けて心臓を探すのは骨が折れる。



 夕方に差し掛かった頃、この日何個目かの〈虫〉の巣穴を発見する。


「今までのより一回りくらい大きいね」

「側面もなだらかだし、結構前のものかしら」


 俺の感想にエンが穴の表面を撫でながら答える。

 このぐらいのサイズだと洞窟という方がしっくりと来る。


 これまでで巣穴はどうやらロブスターなどの大きな〈虫〉が掘削して出来たものらしいと分かった。

 つまり目の前の穴を掘ったのはそれだけの大きさがある〈虫〉だということだ。


「分かる範囲でも、〈虫〉の呼吸は感じられないわよ」


 気も感情も無い〈虫〉だが呼吸はする。

 ウェンは呼吸も知覚できるらしく、隠れ潜む〈虫〉たちにとって彼女の能力は相性が良かった。


 この穴は丘に対してほぼ横向きに伸びており、中で休むことも出来そうだった。

 まあ、寝ている最中に虫が現れる可能性があるのでここで野営をするなんて事は流石にしない。



「え?」


 直ぐに移動を始めようとした時、エンが疑問の声を上げた。

 虫でも現れたのだろうか。


 これは……なるほど。


 気の感知に穴の中の存在が引っかかった。

 〈虫〉に意識が集中していたので見落としていたようだ。

 索敵をしているウェンよりも先にエンが気づいたのもそのせいだろう。


 俺は穴の壁面を静かに走ると、逃げ出した存在の首元を掴んで押し倒す。


「なっ、オゴ」


 岩に腹部を打ち付けて少年は声を漏らした。

 俺は少年の体を仰向けにひっくり返すと、その両肩を膝で抑えつける。

 薄暗い視覚でも分かるくらいに、彼の体は汚れていた。

 服などは里の俺達よりも擦り切れて粗末な上に、数日走り通しだった俺よりも臭いがキツい。元の髪色が分からないくらいに土で黒く汚れていた。


 俺は脅していることが理解できるように、ゆっくりと少年の首元にナイフを添えた。


「君の名前を教えてくれ」


 名前を知る事はコミュニケーションの基本だ。

 こちらを盗み見ていた少年の真意を確かめるように、こちらも彼の感情を覗き見る。


「……フィルス」


 彼の瞳にはある種アンリと同じような、濁った諦念が渦巻いていた。




————————————————————

第87話『虫と虫と虫』



 脳が原因の半身麻痺などは、麻痺が起こってから半年の間は機能を回復する見込みがあるようです。

 なんかその期間は脳味噌が回復しようと頑張ってくれるようです。


 そう言う話を聞くと人間、というか生物はしなやかに出来ているのだなぁ、と実感します。

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