第86話『穴』

 食事を終えた俺達は、交代しながら見張りを立てて残りは休憩を取ることにした。人数が居るのはこういう時に便利だ。


 エンが俺と共に番をする事を希望していたが、それは俺に用があったためらしい。


 二人の間では燻りながらも薪が赤熱している。

 時折弾けるような音が響いた。

 最近雨でも降ったのか、近くには乾燥した枝は無かったので、森の中の木の一つを輪切りにして『発熱』を付与して燃料として使っている。


 この方法を使えば、気を消費する代わりに大雨の後でも焚き火をすることができる。

 森に放たれることが多い里の子供にとって必須の技術だ。


 エンが木の枝で燃えかけの薪を突き回している。

 猜疑心を孕んだ青い瞳が俺を写した。


「あなた、デイズに何かしたの?」

「……」


 デイズに関する話題であることは予測できていたが、この言葉は予想外だった。


 何も知らない人間からすれば、デイズが俺に対して見せる態度の原因は俺にあると考えるのが自然だろう。

 どう説明するのが、最も手っ取り早いか考えていると、彼女の視線が焚き火の方へ下がる。


「あの子の事は前から知っているけれど、明らかに変わったわ。昨日からずっと怯えてる。あなたに対しては特に」


 エンはデイズと以前から知り合いだったようだ。

 逆に俺は以前のデイズの事を知らない。


 辛うじて里外任務が始まった時の馬車で横目に観察した程度だ。

 その時の彼女はもう少し凛とした態度を見せていたように思う。


「あなた……何をしたの?」


 考え込んでいる内にエンの疑いが大きくなっていた。『何かしたのか』という質問から『何したのか』というした事が前提となるものへと変化している。


「俺は何もしていないよ。ウェンとデイズが商人のところに預けられたのは知っているよね?」

「……そう言っていたわね」


 エンは師範の説明を思い出すように頷いた。


「その商人が2人に対して暴行をしたんだよ」

「……そう、なの」


 恐らく、言葉の意味は彼女には伝わっていないだろう。俺たちはまだは教えられていないからだ。


 エンは不思議そうな顔をしながら問いかけて来た。


「……それだけなの?」

「まあ、うん」


 彼女の想像する『暴行』と俺の言っている『暴行』は違うものだが、それを指摘すれば説明しないといけなくなる。

 曖昧に笑って誤魔化す。


 エンの目が鋭くなった。


「嘘吐かないで、殴られた位であんな風になる訳がないでしょう。そうだったらあなたのせいで452期の半分はデイズのようになっているわ」


 もっともな指摘に作り笑いが固まる。

 同時に改めて血と暴力が日常である里の異常性が認識できた。


 エンの視線が冷たくなる。彼女の信用が急速に失われていくのが分かった。


「嘘……ではないんだけどね……」


 彼女が求めているのは取り繕った当たり障りの無い説明ではなく、血なまぐさい真実だ。


 俺はオブラートに包む事を諦める。

 そもそも、誰のために取り繕っていたのかも曖昧だった。


「分かった、全部言うよ。でも、ほとんど俺の想像だからね」

「それでも良いわ」


「多分だけど——」


 彼女の了承を得た俺は、焚き火を見つめながら語り出す。


「……うん……うん……え、そんなことを?…………そう……だから」


 かなり生々しい話をしているにも関わらず、相槌を打つ彼女の表情に嫌悪はそれ程見えなかった。

 彼女の態度は幼さからの不理解というよりも、外の世界への諦念から来ているように見えた。


 例え歳不相応の達観であっても、取り乱すよりは都合が良いとそのまま彼女に問われるまま推測を垂れ流す。


「……分かったわ。そういう事なら二人には何も聞かない方が良いでしょうね」

「そうしてくれると助かるよ」


 エンの疑いが薄まったのが分かる。

 俺に対する猜疑心は残っているようだが、むしろ俺が話した程度で疑いを完全に無くさない彼女の評価を上げる。


「……けれど、あなたは何でそんな事を知っているの?どうやったら子供が出来るか、なんて里では聞いた事がないわ」


 エンは頬杖をついて疑問を漏らす。

 これに対する答えは予め決めていた。


「文字を覚えたんだよ。そしたら、知識は自然と入ってくるよ」

「……わたしにも教えて」


 図々しくも、俺に強請ってくるエン。


「どうして……俺が教えないといけないのかな?」


 彼女の願いは、そのまま俺の労力を奪うのと変わりは無い。加えて彼女に教える分、俺の時間も奪われることになる。

 彼女に文字を教えたとして、俺にどんな利益があるのか、それを彼女に問う。


 エンは首を小さく傾けた。


「だって……文字に書いておけば、任務の時みたいに毎回会わなくても済むでしょう?」


 支部長の暗殺任務の時に、俺たちはエンかオグと接触していた。

 それは文字を持たない俺たちにとって声だけが唯一の連絡手段だったからだ。


 文字を覚えていたなら、すれ違いざまに紙を渡すだけで済む。


 単なる知的好奇心からではなく、生存において必要性を見出しているのなら教えるのもやぶさかではない。


「それだけなら、文字じゃなくて適当な記号でも良いよね?」

「情報集めが出来ないでしょう。良いから早く教えなさい」


 それでもアドバンテージを奪われたく無くて幼稚な反論をすれば、簡単に跳ね除けられてしまった。


 俺は薪の一つをナイフで薄く割ると、燃え損なった炭を拾い上げて、アルファベットにあたる記号を薪の表面に書き込む。


「……はい、取り敢えずこれを覚えてね」


 アルファベットの書かれた板を渡しながら突き放すように言った。


 目を皿のようにして、文字を睨みつける彼女に対して、授業を始めた。




「これが——で、——とか——とかに使われる文字ね、で次が……」

「……」


 初めは文字という概念に戸惑っているようだったが、地面に単語を書きながら説明をすれば、彼女も同じように指先で文字をなぞる。

 どうやら彼女は体で覚えるタイプのようだ。


 恐らくは武術と同じくように肉体の動きとしてインプットしているのだろう。

 実際俺の言葉や文字を見聞きするだけで無く、文字をなぞるようになってから格段に覚えが早くなった。

 

 まあ、覚えられるならどちらでも良いか。


「……今日はここまでにしようか」


 眠気を感じたところで、エンに授業の終わりを提案する。


「……あと、ちょっと」


 俺が眠気を感じるという事は、超健康優良児の彼女は更に強い睡魔に襲われていることだろう。


 そう思いながら彼女の方を見たがしっかりと瞼は開いている。


「これが『剣』で、これが『太陽』、これが……」


 単語を反芻する彼女はまるで眠気を感じていないように見えた。


「これが『剣』で、これが『太陽』……」

「うん?」


 しかし、同じ言葉を繰り返したと思ったら突然コロンと地面に寝転がった。


「ぅゅ」


 あざとい声を漏らしたと思ったら、そのまま寝入ってしまった。

 つくづく暗殺者に向かない彼女の体内時計の正確さに苦笑を溢すと、寝返りで焚き火に灼かれないように、エンを抱え上げて子供達が寝転がっているあたりに転がす。


「ぅ」


 乱雑に転がしたせいで、木の幹に後頭部をぶつけるが起きる様子は無い。

 彼女は『生存訓練』でいったい何を学んだのか。


「……」


 エンを抱えて来た時から視線を感じていた。


 その始点に顔を向けると、デイズが寝転がったままこちらを見ていた。


 初めから起きていたわけでは無く、彼女が人の気配に敏感であるために起きてしまったのだろう。


「見張り、交代だよ」


 ちょうど良いとばかりに交代の要求をする。


「……わかり”ました」


 枯れた声は少しだけ治っているようだった。

 のそりと起き上がった彼女は、ウェンを揺さぶる。

 ぐっすりと寝ていたのか、彼女が目を開くまでには時間が掛かった。


「……っす」


 ウェンは限界を迎えた会社員のような泣き声とともに起き上がるとデイズに両手を引かれて焚き火の前へと連れて行かれた。


 俺は苔の生えた地面を背にして、ゆっくりと瞼を閉じた。

 真っ暗な視界の中で、すぐ近くにある気の塊を感じながら意識はゆっくりと落ちていった。




◆◆◆◆




「ねぇ、さっきから虫が多くない?」


 次の日の昼、森の開けた場所で休息を取っていると、ウェンが話しかけてきた。

 虫とは〈蟹サソリ〉の事だ。


「俺もそう思ってたよ」


 感知では何度も捉えていたが、遭遇したのは今日が初めてだった。


 その時に動いている姿を見たが、全然蟹では無かった。

 まず、あの大きさの割りに動きがあまりにも速かった。足が多くて近いものを挙げるならアシダカグモが出てくる位のすばしっこさだった。

 猫ほどのサソリがクモのような速度で迫ってくるのだ。

 あんなもの、子供どころか大人だって泣く。


 蟹とは違って八本の足で走ってくるのも威圧感を感じる要因だろう。


 そんな蟹サソリだが、これまでは時折感知に引っかかる程度だったのが、今日になって急速に数を増してきた。

 おそらくは群生地に近づいているのだろう。


 休憩している間だけで数体の蟹サソリと遭遇した。


「咄嗟にナイフを使ったせいで刃がダメになっちゃったし、ホントに最悪よ!」


 彼女は刃こぼれしたナイフを見せてくる。

 とは言え、今更方向を変えるのも怖い。デイズの方向感覚がどれほど正確か分からない以上、真っ直ぐ進む事を意識すべきだ。


 まだ、道具としては使えるだろうが蟹サソリを相手に使うと消耗が早い。


「はぁ……代わりにこれを使ってくれ」


 『頑強』と『貫通強化』とを施した木の杭を渡す。

 これぐらいなら気が切れなければ幾らでも作れる。


「ふぅん」


 受け取ったウェンは品定めするように、木の杭を観察した後に笑顔を見せた。


「ネチネチにしては、気が効くわね!」


 クルクルと回してから、服の隙間に差し込んだ。

 よく見ればその服の裾は所々ほつれてしまっている。


 支部長との戦闘のために着替えた俺とレンゲと違って、他の三人はおそらく街で買った普通の服だ。

 そのため、耐久性が無く枝葉に引っ掛けて破けてしまったのだろうと思われる。


 


「……仙器化しないの?服」

「え、あ」


 ウェンは恥ずかしそうにワンピースの裾を隠す。

 他の二人は森に入った時点で既に自分の服を仙器化していた。


「あたし、『仙器化』あんまり得意じゃ無いでしょ?」


 知らないし興味も無い。

 だが不得意をそのままにしておくところが彼女の順位が上がらない理由なのだと分かった。


 仙器化は失敗すると、対象にした物体は脆くなって崩れる。

 彼女の不得意がどの程度かは知らないが、一重の付与でも失敗の可能性がある、ということか。


「少し気を抑えてくれ」

「……なによ」


 ウェンは俺が何をするか薄々分かっていながらも、素直に応じるのが嫌なのか、疑問の声を漏らしながら【抑気】を行う。

 俺は汚れを払うようにワンピースの肩の部分に軽く触れると、その瞬間に気を流し込んで仙器化する。

 ウェンの方がビクリと跳ねる。


「はい、『頑強』だけ付与しておいたよ」

「……本当に一瞬よね。もしかして一番早いんじゃないの?」


「モンクが居るからね」


 彼女の評価が本当であれば良かったが、残念ながら気術において俺はモンクの下位互換に過ぎない。


 彼女に背を向けて座ると、手慰みのようにナイフを抜いて光にかざして刃こぼれを調べる。

 少々の歪みがあっても力尽くで切ったり刺したりはできるのだが、あまりにも破損が過ぎると折れてしまうのだ。

 それが戦闘中であれば命取りになる。

 だからこそ俺は神経質なくらいに何度も確認していた。


「ネチネチ」

「どうかした?」


 ウェンが声を掛けながら背中を人差し指で二度、つついて来る。

 首だけで振り返る。


「ありがとね」

「うん?うん」


 服の仙器化のことだろう。俺は曖昧に頷いて、ナイフの方に向き直った。


「……」


 ウェンが何故か背後に留まったままだ。


 しかし、話かけてくる気配はなくそのまま他の装備の点検をしていると周囲の警戒をしていたデイズが走り寄って来た。


「あ”の、ネチネチさん”……。森の中に穴が空いています」

「穴?」


 森人族エルフとして彼女が持っている知覚能力はどうやら、『植物の感知』と表現できるものらしい。


 森の中であれば、そこに存在する樹木などを俯瞰的に捉える事ができる。それだけでは方角を完璧に把握するのは難しそうなので、森の中において森人族エルフには何か特別な力が働いていると俺は捉えている。


 木々が生えていない場所が存在している程度では、そのような表現はしない。

 表面的には植物は見えなくとも、土の中には草の根が通っているから、それが感知される筈だ。



 俺達は彼女の誘導に従って、穴の場所へと向かう。

 もちろん人が居ないことは把握している。


「ここです」


「これは……」


 彼女の言っていた通り、地面に大きな穴がポッカリと空いていた。直径は4、5メートルほどだろうか。

 穴は斜めの方向に続いており、影の感知を使っても穴の先は感じ取れない。


 しかし、その代わりに闇の中をウゾウゾと動く、夥しい数の何かが影を踏んでこちらへ向かって来るのが分かった。



「ここは……蟹サソリの巣穴だね」




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