第85話『蟹でも蠍でも』

「本当にっ、ごめんなさい」


 エルフの少女の指示に従いながら森を進むこと、さらに数時間、太陽の光が覗く時間帯になり、太陽の光が差した瞬間に彼女は目を覚ました。


 超健康優良児なエンが、大きな声で俺に向かって謝罪をしてくる。


 夜を徹して歩いていた脳には、彼女の甲高い声は酷く響いた。


「……くぁ」


 背後であくびの声が聞こえた。

 眠りながら歩いていた彼女は、きちんと疲れが取れているのか気になった。


「歩けるなら良いよ。先に進むね」


 足を止めていたせいで、後ろから追い付かれるのではないかという不安が足元から湧き上がる。

 背中に悪寒が走る。


 そのまま前方を振り返ろうとして、はたと気付く。

 もう太陽は上り、全員の視界は元に戻っている。気を纏っての移動を阻害する要素は無い。


「……ここからは【迅気】を使いながら走って移動しよう。もっと街から離れないと」

「それは、無理なんじゃないかしら?私が言うことでは無いけれど、後ろの子も寝ないと動けなくなるわ」


 エンが強めに反論して来る。


 先程まで眠りこけていたくせに、本当にどの口がそんなことを言うのだろうかと、我慢できない苛立ちが湧き上がって、俺は歯を食いしばった。


「出来る、出来ないじゃない。やらないと死ぬんだよ」


 言っていて、これは理屈になっていないと自覚した。

 具体的にどのような危険が迫っているのか、その分析が欠けていた。


「……」


 何か言いたげに、エンは俺を見つめる。

 俺は一度止まって、最後尾を歩くウェンとエルフの少女の表情を見た。


 一睡もせずに俺に指示を出していたエルフの少女も、索敵に気を張っていたウェンも疲労によって目がうつろだった。


 しかし、まだ限界では無いはずだ。

 倒れて動けなくなるまで半日はかかると判断した。


 俺は前を振り向いた。


「文句が無いなら、行くよ……」


「勝手に行け。わたしは休む」


 その言葉の方を見ると、地面に座り込んだ竜人娘レンゲがいた。

 

 ここに来て彼女まで逆らうのかという呆れが浮かんだ。

 確かに、任務が終わった今、彼女が俺に従う道理は無い。しかし生存を目指しているという点で俺たちは同じ方向を見ていた筈だった。

 彼女が居なければ、万が一の時に俺は誰を盾にすれば良いんだ。


 そもそも彼女はさっきまで半分寝ていた。休みが必要とは思えない。

 それなら早く先に進んで……。


「……あぁ」


 いや、そうか。

 休みが必要なのは俺か。


 額に手を置いて先程の言動を振り返る。

 明らかに感情に振り回されている。

 エンは俺に対して休息を提案しただけだ。それだけで苛立つのはうまく感情を制御できていないせいだ。


 子供の体に睡眠不足はあまりにも毒だった。


「ウェン、近くに人は居る?」

「……いないわよ」


 この中で索敵能力が最も高いのはウェンだ。その次が俺だ。

 森の中であればエルフの少女が俺よりも上に来るだろうか。


 いずれにしろ、エルフの少女が倒れれば森の中で動く事は出来ない。

 そして、ウェンと俺のどちらかがいなければ、索敵範囲が狭まる。


 この三人が同時に倒れてしまえば、エンと竜人娘レンゲだけしか残らない。それは避けたい。


「……分かった。休憩を取るよ。ウェンと……」

「デイズ、です」


 エルフの少女を見れば、自分から名前を教えてくれた。


「デイズ、ね。二人は眠っていて良いよ」


 俺は木の幹に背を預けて座る。

 とりあえず瞼を閉じてみるが、風が鼻を撫でて眠りに就くことが出来なかった。


 薄く瞼を開けると、デイズが時折チラチラとこちらを見ていた。

 彼女の隣にいるウェンの方は気にしないようで、行儀の良い姿勢で地面に寝転がっていた。

 デイズの方が重度のようだ。


「……」


 のっそりと起き上がった俺は、彼女の視界に入らないように幹の後ろに身を隠す。

 コミュニケーションも取れるし、指示も聞ける。だが、あまりにも繊細で、こちらの行動が制限されている。


 エンは静かに周囲を警戒し、竜人娘レンゲは小さくあくびをした。また寝るのか。


 寝ている間に置き去りにされる想像が浮かんだが、実力もあり索敵範囲の広い俺はこの後も必要になる筈だ。

 

 大丈夫だ。大丈夫。

 信頼、信用ではなく、要不要によって俺は彼女達が裏切らないと信じ込む。


 そうすることでやっと浮かんだ不安を打ち消すと、意識がゆっくりと沈んでいった。




◆◆◆◆




 目覚めると、日が傾き始めている時間帯だった。


「ううん」


 眠気を振り払うように頭を振る。

 頭の中を覆っていたモヤが完全に消え失せた感覚がある。


「おはよう、あなたが一番最後よ」

「……そうなんだ」


 エンの影が顔にかかる。

 どうやら俺はかなり消耗していたようだ。


 思えば、秘書の女との戦闘に加えてその後には赤髪の男、剣聖からの逃亡に街からの脱出。

 昨晩はずっと気を張っていた。


 精神的にも不安定になったようだ。


「ごめんね。エン、さっきは気が立っていたみたいだ」

「別に、私は言いたいことを言っただけだから。今度は……大丈夫そうね」


 彼女は俺の顔色を見ると小さく頷いた。

 竜人娘レンゲは膝を抱くような姿勢でこちらを伺っていたが、俺達が出発の準備を整えているのを見てゆっくりと立ち上がった。


「……レンゲは、休憩できた?」

「あぁ」


 首肯している彼女の背後で、ウェンが凄まじい速度でこちらを振り向いたのが見えた。

 俺が彼女の名前を呼んだのが気に入らないらしい。


「ネチネチぃ」


 そして、こちらに歩み寄ろうとしたのをデイズに引き止められている。


「……っ、ちょっと……離してよ、デイズ」

「ごめ”んなさい。一緒に”……居て。離れない”で」


 俯きながら懇願するデイズをウェンは突き放すことが出来なかった。腕に抱きつくデイズの肩をウェンは軽くさすった。


「分かったわよ。ほら、大丈夫だから。ね?」

「ごめんなさい。ごめんなさい”」


 グリグリと頭を擦り付けてくるデイズに、ウェンは毒気が抜かれたように苦笑すると彼女の栗色の髪を優しく撫でた。どうやらデイズはウェンに対しては心を許しているようだった。


 二人を見ていると横から俺の肩をエンが叩いた。


「ねぇ、あなたが寝ている間にこんなのが出てきたのだけれど……」


 そう言って彼女が取り出したのは、大きな甲殻を持った……


「……何、これ?」

「……さあ?」


 猫と同じくらいのサイズのサソリのような生き物だった。

 蟹に尻尾が生えたようにも見える。


 甲羅の中央にはエンのものと思われるナイフが突き刺さっていた。

 どうやら既に死んでいるらしい。


 ゆっくりとナイフを抜き取ると緑色の液体が粘り付いている。

 

「血、かな。緑色をしているし、変な匂いもする」


 肉体で毒を試した今までの経験からすると、俺の勘はこの緑色の液体を毒だと見ている。


 前世でも緑色の酸の血液を持つ生物が有名だった。……それはフィクションだった気もする。


 この蟹と蠍の間のような生き物……〈蟹サソリ〉はこの森に住んでいる動物だろう。

 夜に移動している間は見られなかったから、恐らく森の深いところに生息しているのだろう。

 それにしても大きいな。

 このサイズが最大であることを祈る。


 ナイフに付着した緑色の液体を木の幹で拭うと、エンに返す。


「う……」


 彼女は嫌がる素振りを見せるも、予備のナイフが無いことを思い出して仕方無く受け取った。


「今度からはその場の枝を仙器にして使えば良いよ」

「……そうするわ」


 刺して殺すなら、『刺突強化』か『硬度強化』を付与した枝なら十分甲殻を貫けるだろう。

 俺は蟹サソリをその場に捨てると、【迅気】を纏った。

 それに倣うように全員が気を纏う。


 俺達は地面を蹴ると、風のように走った。




◆◆◆◆




 ほぼ全力で数時間走っても疲れが出てこないのは『走破訓練』のお陰だろう。


 疲れず、恐れず、言われるままに相手を殺す。

 そんな存在を目標として、俺達がデザインされている事を実感する。

 それにも関わらず、デイズのように成長過程に横槍を入れたということは、人族至上主義にとって組織に人族でないものが混じるのは耐え難い苦痛なのかもしれない。


 おそらく、今回の任務も彼らの意向によって決まったのだろう。

 ただでさえ師範が命を落とすような危険な任務を、子供に練習として任せるとは到底考えられない。

 

 困難な任務によって俺達を潰そうとしたと考えるのが自然だ。


 そんな状況で里に戻って大丈夫なのだろうか。

 戻ったところで、訓練に見せかけて殺されるだけなのかもしれない。前のシスターの時は、コンジの助けもあって処理することが出来たが次もそうとは限らない。


 ……そう言えば、コンジは見たところ人族であるにも関わらず、俺達を潰そうとする動きは見られない。人族だからと言って全てが敵では無いという事か。


 俺達が持つ情報はあまりにも少ない。

 相手が敵か味方か判断する材料さえも無い。



 武器を手に入れる必要がある。

 里の上層部から身を守る盾となるような情報。あるいは今も俺達を探しているであろう剣聖の剣技に迫るような技術。


 里では手に入らないようなそれらの情報を、俺は逃亡の間に見つける事を目標に定めた。



 日が傾いてきたところで、俺達は足を止める。

 命の危険が薄れた今、夜を徹してまで進む必要は無い。


「食事にしたいけど……これだけじゃ足りないね」


 俺は手元にある鳥の死体を見下ろす。

 移動する中で木の枝に止まっていたものを捕まえたのだが、見かけでは結構量があると思っていたのだが、羽を毟って中身を見てみるとかなり肉が少なかった。


「俺とウェンで何か獲って来るよ。三人は焚き火の用意でもしていてくれ」


 俺には温度の感知があり、ウェンは呼吸音を感知することができる。狩りにはこの二人が向いているという理由からの選出だ。

 デイズが不安そうな表情をしているのには気づかないフリをした。

 彼女は動かさない方が良いだろう。


 ウェンが森の中に消える。


「ぁ……う”」


 寄る辺を失ったデイズはレンゲとエンの方を見比べる。

 レンゲが視線を返した瞬間に地面へと顔を向けてから、エンににじり寄る。


 そんな彼女達の様子を後ろ目に、俺も木々の中に潜り込んだ。




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