第四章

第84話『好手』

 街から脱出した俺達は、夜の闇の中で合流場所にしていた岩の上に腰をかける竜人娘を見つけた。


「お姉さまっ、その腕……」

「……」


 ウェンは彼女の固定された左腕を指さした。

 竜人娘レンゲは姿勢そのままに、ウェンの方に視線を向けると、彼女の問いに答えることなく岩から飛び降りた。

 それでもウェンは竜人娘レンゲの方を心配そうに見ている。


 これまで竜人娘レンゲは負傷をすることはあっても半日の間に治癒していたので、ウェンは彼女が怪我をするところを見たことは無かった。

 だからこそ彼女に対する絶対の信頼が揺らいでいるようだった。


「ネチネチ……」


 ウェンは眉尻を下げた表情をこちらに向ける。

 俺は小さく首を振った。


「心配する程じゃ無いよ」


 そうでないと困る。

 竜人娘レンゲの体内の気の流れも、心臓の躰篭を切ったことで元に戻っている。

 心臓から発生する気の量が増えたことで肉体全体の気のバランスが崩れたということだろうか。崩れた気の流れをダムで言えば川の流量がいきなり増えたような感じだと思う。ダム自体に調整機構があると言っても増加の割合があまりにも多ければ破綻する。


 本当の意味で彼女の気の量を増やしたければ、内臓全体でバランス良く躰篭化する必要があるだろう。


「全員、歩くことはできるね。夜の内に街を離れよう」


 夜の闇に佇む街壁を眺める。

 壁を抜ける時に兵士に気づかれた。おそらく直ぐに追手が出る。

 視認性の低いこの時間帯での行動が、後の生存率を大きく変える。


「どこに向かうの?」


 エンが問いかけて来る。

 そもそも師範が死ぬことを想定していなかったのか、俺達は里への帰り道を知らない。

 彼女はこちらから里へ合流することを考えているようだが俺にそのつもりは無かった。


 こちらからの接触を考えると、どうしても相手に気づいて貰えるように目立つ行動が必要となる。

 しかし、俺達は追われる身だ。目立つ行動を取れば赤髪の男を含む剣士達も俺達のことを見つけるだろう。

 実際に追われているのは支部長を殺した俺と竜人娘レンゲだろうが、俺達と共にこうして街から姿を消した以上、ここにいる彼女達も同罪となった。


 結局最善の行動は剣士よりも里に先に見つかることを祈りながら、ひたすら逃げ隠れるというものだ。

 方向はハッキリ言ってどちらでも良い。


 降臨祭の時に小耳に挟んだ情報を思い出す。


「……海の方かな」

「海?」


 そっちを選んだことに大した理由は無い。

 強いて挙げるなら、そちらの方が国の首都からは遠いという理由だ。


「……取り敢えず、この街道に沿って、森の中を進むよ」


 訓練を受けた俺達でも森の中を真っ直ぐに進むのは難しい。

 森の浅層であれば、馬を駆る兵士達にも気付かれずに進むことができる。


 それに森の奥には俺達でも勝てない〈獣〉が彷徨いているかもしれない。追手に見つかっていない今はまだ、そのリスクは取れない。




◆◆◆◆




 俺達は完全な暗闇の中を歩いていた。

 五人は俺を先頭にして一列となっている。


 ウェン以外の三人は夜闇の中を見通すには、気術を使う必要があるが、なるべく気を節約したい今の状況ではそれを使わせられない。


 逸れないように彼女達に向かって俺の影を伸ばしている。

 この影の躰篭は影梟のものを俺なりに分析して付与したものだ。


 現代で生きてきた俺には『影』を動かす、というのがどうにもしっくり来なかった。

 しかし、実際に影を動かして攻撃して来る生物が居た。


 できない筈は無いと、ひたすらに躰篭化を繰り返した。


 まず苦労したのは、そもそも影へと気を注ぎ込む事だった。

 初めは地面に付与をしてしまうことが何度もあった。


 何度も繰り返していると、地面では無いどこかへ気を送り込む感覚があった。

 そうして、付与に失敗し、目の前のネズミが狂ったように地面を走り回り、しばらく暴れると死んだ。


 次に苦労したのは付与を成功させることだ。

 これが全く上手くいかなかった。おそらく、影という不定形なものを対象としたせいだろう。

 もしかすると、影梟が操っていたのは影以外の何かではないか、そういう疑念を何度も振り払いながら試行錯誤を繰り返した。


 その頃は鼠の影を見ていない日が無かった位だ。

 寧ろ実験に使う鼠を調達するのに苦労した。


 そうして、気が狂うほどに影を見つめていると、ふとカチリと何かが嵌った感覚があった。


 そこでやっとという納得を得た。


 腕を動かせば、影は動く。

 同じように影だけだって動かせる。肉体にはそのような機能が無いだけだと

 心臓の筋肉を止められないのと同じように、意思を持って動かすことが出来ないだけだ。



 この時の俺は何かがおかしかった。

 よく考えれば影は光が作る像なのだから肉体の一部なんてのは狂言だ。それでも実際に躰篭化を成功させた。


 今もまだ、腕や足と同じように動かせるしある程度なら感覚もある。


 この、説明し難い感覚は、俺と同じように穴が空くほど影を見つめ続けた者にしか分からないだろう。


 ウェンの風を知覚する能力もそれに近い。


 そして、後から知ったが、妖精種は大抵が知覚系の性質を持っているようだった。土精族は人が土を踏むのが分かるらしい。

 同期には火精族の少年がいる。彼が火を知覚することができるかは試したことは無いが、おそらく可能だろう。


 妖精種が肉体的に劣るにも関わらず、里の訓練でも割と生き残っているのはこれらの知覚能力が隠密能力を底上げするからだろう。



 背後をチラリと振り返り、全員が揃っているのを第三の目ピット器官で確認する。


 俺の直ぐ後ろにはエン、その次に竜人娘レンゲが並ぶ。

 その後ろにはビクビクと闇に怯えるように首を何度も振っているエルフの少女、最後尾が風の知覚できるウェンが務めた。


 街が見えなくなったところで、エンが尋ねてくる。


「……師範は、どこで殺されたの?」

「俺達はラビンソン商会の屋敷で支部長を殺したんだけど、その後に赤髪の剣士が現れて、その男が師範の首を持ってたよ」


「……剣聖」


 二人の会話にエルフの少女が口を挟んだ。

 俺達は彼女の言葉に耳を傾ける。


「わたし”が屋敷から”に”げる時に、師範が赤い”…髪の男と戦って……ました」


 エルフの少女が痛みを我慢するように喉に手を当てる。

 彼女は師範と赤髪の男が相対する瞬間に出くわしていたらしい。


「師はん”がその男のことを”、『剣聖』って、よ”んでました」


 『剣聖』と言う単語の響きからして、剣士の中でも特別な人間のことだろう。師範を殺した事、そして目の前で見た動きからして、他の剣士とは一線を画す実力を持っている。


 特に彼が現れた瞬間に放った斬撃は、全く動きが見えなかった上に竜人娘レンゲの腕を綺麗に斬り飛ばす鋭さを持っていた。


 見えず、回避が間に合わない速度の斬撃。


 もう一度あれに出会えば、今度は時間稼ぎなどする暇も無く俺達は死ぬ。

 あの時は地下という逃げ道があったが、ここではそのような地形を使った逃亡は出来ない。街の人間を人質にすることも出来ない。


「……っ」


 ウェンが顔を上げる。


「……どうかした?」

「後ろから、誰か来てるわよ」


 遅れて、影が押しのけられるのを感知する。

 明かりを手にかなりの速度を持った誰かが背後から街道沿いに進んで来る。


 俺達は藪の中に身を潜めた。


 蹄鉄が地面を強く叩く音が近づいて来て、そのまま俺達の前を通り過ぎて行く。


「……」


 呼吸も気も押し殺す。

 心拍が強くなるのが分かった。


「——ッ!——!」


 追手と思わしき騎兵の集団は怒号を上げていた。

 彼らの士気は高いようだ。


「……行ったね」


 小さく呟いたのは、後続の少女達を安心させるためだ。

 恐らく、街道を走った先の街へと俺たちの存在を伝えに行ったのだろう。


 堅実に包囲網を作ってきたか。

 こちらの移動手段が乏しいのも読まれているようだ。


 気を纏えばかなりの速度が出せるが、俺達の中には夜目の効かない種族の者が多い。

 そのため、障害物を避けるためにはかなりゆっくりと移動する必要がある。


 深い闇はこちらの姿を隠してくれる代わりに速度を奪ってしまった。


 朝を待って、【迅気】を纏って高速移動を始めるか……。


 そう思っていると、松明を持った人の群れが街から出て来た。


 数百人単位の集団だ。

 火事の直後なのに、余りにも思い切りが良すぎる。俺は風に揺らめく炎の群れを恨みがましく睨む。


「ネチネチッ」

「見えてるよ」


 彼らの腰には剣が揺れていた。


 支部長はよほど部下達から慕われていたらしい。

 アレックスがオグをたらし込んだ手腕は母譲りだろう。


 対して、求心力に欠ける俺は常に結果で示すしか方法が無い。

 

「森に入るよ」

「良いけれど、迷わないで森から出られるかしら?」


 エンからの指摘が入る。

 

「無理だろうね。でも、このままいけば絶対に死ぬよ。多分、あの中に剣聖が居る」


 前に竜人娘レンゲがバンダナの訓練でやったことと同じだ。


 戦闘は得意だが索敵を苦手とする者が、警報器の代わりに他の人間を使って隠れている者を探す方法だ。


 包囲の薄い場所から抜けようとして一人剣士を攻撃すれば、たちまちのうちに剣聖が飛んでくる。


「——!——!」

「——っ!」


 段々と、剣士達が街道から森の方へと近づいて来た。時間は無い。


 俺は彼女達が握る影を引っ張る。


「あ、ちょっと」

「ヒッ」


 最後尾のウェンが小さく声を上げた。

 同時に、エルフの少女が怯えるように声を上げた。おそらく彼女は暗闇そのものが怖いのだろう。

 彼女を連れて来たのは悪手だったかもしれない。


 俺達は彼らに背を向けると、森の深部へと向かって歩き始めた。




◆◆◆◆




 逃げるように歩き始めて数時間が経った。

 若干、空の上が白んで来た気がする。


 これまで規則正しく生きて来た子供の体では、夜更かしは辛い。


 感じたことが無いほど瞼が重かった。


 背後を振り返ると、子供達の顔が薄らと見えた。


「す……ぅ……す……ぅ」


 竜人娘レンゲは歩いてはいるが、既に瞼は閉じているし、呼吸音は完全に寝ている時のと同じだ。

 ウェンとエルフの少女は気を張っているのか、しっかり起きている。


「……ぅに」


 俺は熟睡してグッタリと力の抜けたエンの体を背負い直すと、前を向いた。


 彼女は森の中を歩いている最中に、電池が切れたようにいきなり倒れ込んでしまったのだ。


 目の前に木が見えたので、左に避ける。


 そうすると、竜人娘レンゲごしに、エルフの少女が声をかけてくる。


「……あの”、そっちに”行くと街に戻りますけど……だい”丈夫です”か?」


 その言葉に俺はピタリと足を止める。

 背中に竜人娘レンゲがぶつかって、薄く睨むように瞼が開いた。


「……ぁ?」


 少し怒っている。

 目を閉じて歩いている方が悪い。


 それよりも、エルフの少女の言葉の方が重要だった。


「街の方向が分かるのかな?」

「街は……分からない”ですけど、元の”場所に戻っているの”は、分かります」


 俺の横の木の方を見ながら、彼女はそう呟いた。


「なら、街から離れる方向に進みたいんだけど、分かる?」

「……え”?……分から”ないんですか?」


 彼女は首を傾げた。

 その言い草はもう一人のエルフの少年、モンクを想起させる。

 彼で慣れているので、そこまで気にはならない。


 森人族も妖精種だ。おそらく彼らの知覚能力は森に対して働くらしい。


 大事なのは森の中も街道と同じように真っ直ぐに進む手段を得たということだ。


 彼女を連れて来たのは好手だったようだ。




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第84話『好手』

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